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【月刊noo】「五月病 年中病んでりゃ  怖くない」【2023.5月号】

《月刊noo 2023.5月号 目次》
・ごあいさつ ~はじめに~
・エッセイ:いざ、ソ連邦
~初めてのシェルメチボ空港 1991年6月13日~
・サバイヴ:苦しい時に電話するのは難しいので、元気なうちに『苦しい時は電話して』を読んでおく。(再掲)  
・レシピ :『土を喰う日々』で米を喰う日々
・ごあいさつ ~おわりに~
・オマケ

【ごあいさつ ~はじめに~】

月刊noo、2号目です。
先月の創刊号を読んで頂いた方、いいねしてくれた方、サポートしてくれた方々、ありがとうございます。
リアクションがあるとやっぱり嬉しいですし、サポートはシンプルに助かります…!感謝です!

5月ということで、世間では五月病(※1)などというものが取り沙汰される時期ではありますが、年がら年中病みがちな私にはなんのその。
「五月病、年中病んでりゃ、怖くない」
5月の私の心の俳句、というか標語をそのままタイトルにした今月号も、どうぞよろしくお願いいたします。
今月号では、私のペンネームの由来となったモスクワ生活時代の思い出のエッセイと、気圧の乱高下がきついこの季節におくるサバイヴの提案、レシピ(?)をご紹介します。楽しんで頂けたら幸いです。
今日もほどほどに。
(「暮らしの手帳」元編集長の松浦弥太郎氏の決めセリフ「今日もていねいに」をオマージュしてみました。ていねいに、は憧れですが、厳しい世の中、日々ほどほどにでも100点満点です)

エッセイ:
いざ、ソ連邦 ~初めてのシェルメチボ空港 1991年6月13日~

私が家族と共にソ連邦に渡った日は、1991年6月13日。
ちなみにこの日付は大人になってから親に確認したもので、実は私は30すぎるまで、自分がソ連邦へ初めて行った日が何日だったのか、ちゃんと知らなかった。

当時、私は7歳になったばかり。
父親の仕事の都合で、家族皆でソ連邦に赴任する、ということがどういうことかあんまりよくわかっておらず、ただお洒落な服を着て、祖父母と前日から空港近くのホテルに泊まれて、父の職場の物々しい数の大人たちに見送られて飛行機に乗る、ぼんやりとした記憶が残っているだけだ。
私は覚えていないのだが、駐在武官としてソ連邦に赴く父とそのご家族ご一行(つまり私達)のお見送りは、成田空港のVIPルームだったという。ラグジュアリー…!
後年、その日の様子を祖父がビデオカメラで撮影していたので映像記録を見ることができたのだが、ビデオにはスーツ姿の大勢の知らないおじさん達と、おじさん達に激励されている父、その隣で顔色が真っ白で具合の悪そうな母がバッチリ映っていた。
父が激励を受けるなか、顔色が悪すぎた母は、出発直前まで周囲からすごく心配されたという。

1991年の、私達家族の赴任当時。今日本でロシアと一般的に呼ばれている国はまだソ連邦と呼ばれていた。ベルリンの壁は崩壊し冷戦(※2)の終結が宣言されていたとはいえ、東西冷戦の余波がまだまだ残っていた時期で、ソ連邦は日本の仮想敵国だった。
ソ連への赴任は父のキャリア的には栄転だったという。だけど、西側勢力である日本でお嬢様として生まれ育った母は、メジャーなアメリカでもイギリスでもなく、よりによってソ連邦に赴任することになってしまったことに慄いた。夫が駐在武官としてソ連に赴任すると言うと、誰からも「可哀そうに…」と言われたらしい。母は赴任前に様々なアドバイスを色んな人から受けたが、そのほとんどが見当はずれでありがた迷惑だったとも聞いた。「ソ連にはトイレットペーパーがない」と言われて、航空便と船便で山ほどトイレットペーパーを持っていったがデマだったとか、まだまだソ連の情報が少なく「こわい」「まずしい」「うさんくさい」そんなイメージばかりが先行していた時期だ。
母は、よくわからない仮想敵国、東側の国、それも恐ろしい共産国家という噂のソ連の首都モスクワに、7歳と5歳の娘を連れて住むことに不安しかなかった。

成田空港から飛行機でおよそ8時間。
顔色真っ白な母の不安を、ソ連は裏切らなかった。むしろしょっぱなからめちゃくちゃこたえまくった。
到着したのは、ソ連で一番大きく立派な国際空港、日本でいうなら成田空港に相当するはずのシェルメチボ(シェレメーチヴォ)空港。

成田でも機内でもぼんやりしていた7歳の私も、初めてこの空港に降り立った時のことはよく覚えている。
そう、薄暗くて、職員が怖くて少なくて、色んな手続きにめっちゃ待たされて、そして天井にハチの巣のような謎のオブジェ?模様?があった、明るさも、解放感も、清潔感も、活気もない、旧シェルメチボ空港である。
※ちなみに2023年現在、1991年当時のシェルメチボ空港は建て替えにより跡形もなくなっており、ガラス張りで明るくエスカレーターとかもちゃんとあるしちゃんと動く、わりと近代的な空港に生まれ変わっている。

(ソ連で一番の国際空港がこれ…?!)
と、母はその空港のぼろさと暗さに順当にショックをうけた。
私と妹は、薄暗がりに浮き上がるハチの巣みたいな天井の模様が怖くて仕方がなかった。
ないないづくしないづくしの国際空港が、不安と期待を裏切らない国、ソ連邦の記念すべき初洗礼である。

さて、空港の職員の数は少ないし、そもそも職員のやる気がないしで、シェルメチボ空港の利用客は税関やら何やらで延々と待たされるのが当時のデフォルトであった。
ソ連邦への入国審査。当時空港職員は、座席の位置がやたら高い謎の箱の中から客を見下ろし、上に備え付けられた鏡越しにパスポートの写真が本人かどうか確認するスタイルだったと思う。見上げると、細い鏡に自分の顔が映ったことをぼんやりと覚えている。
妹はまだ小さかったせいか母と一緒にパスポートを確認されたのだが、母はこの時のことをよく覚えていて、「金髪ですごく綺麗なブルーの瞳の青年が、緊張のせいか瞬き一つせず職員を見上げている妹の黒い瞳を、ニコリともせずにじいっと見下ろしている」のが、とても印象に残ったらしい。

入国審査がすんでも、すぐに空港を出られるわけではないので、私は待たされている間にトイレに行きたくなった。子供だけで行かせるのはどこでも危ないので、母が父に妹と荷物を頼み、私をトイレに連れていってくれた。
ここまでは、場所がソ連の国際空港でなければごく普通の日常だと思う。
休日のショッピングモールとかでも見られる光景だ。
だが、場所がソ連の国際空港だったせいで、それはしごく簡単に非日常と化した。
明るくない、解放感もない、清潔感もない、活気もない。
ないないづくしの旧シェルメチボ空港に、それでもまだないものがあったのだ。

トイレの蓋と紙と座れる便座である。

そのトイレは、母と私が今まで見たことのないレベルでめちゃくちゃ汚かった。
いくつか並んでいたトイレは全て蓋がなく、便座は木製で、そのどれもこれもが謎の液体で濡れて湿っている。そして紙などない。
なぜ?なぜトイレに紙がないの?
なぜトイレの便座がぜんぶ謎の湿り気を帯びているの?
ソ連邦1日目の私達は、それらの疑問全てに応えられる魔法の言葉、「ニチェボー(気にすんな)」をまだ取得していなかった。
この後の3年半のモスクワ生活で、幾度となく聞かされ、また自分自身に言い聞かせることになる「ニチェボー(気にすんな)」。
そう、気にしたってしょうがないのだ。
必要なのは、便座が謎の液体で濡れている紙のないトイレでどう用をすませるか、その方法を考えることなのである。

母は、私が汚れた便座に座らなくてよいように、ふちに私を立たせて落ちないように支え、立ったままで用をたさせた。
その日私ははからずも、初ソ連入国と共に初立ちションをも果たしたのである。
1991年6月13日。その日を私の人生のなかの初ソ連日とするか、初立ちション日とするかは悩ましい問題だ。
そして、トイレに座れる便座も紙もない国際空港で、立ちションをする娘の両脇を支えていた母の胸中は推して知るべし。
「絶望した」
と、後に簡潔に語ってくれた。

だがこの時の私達は、まだまだ何も知らなかった。

今はなき旧シェルメチボ空港を、暗くて古くてハチの巣みたいな天井を、30年後の私達がどれだけ惜しんで懐かしむか。(トイレには紙と蓋と清潔な便座があるほうがいいけど…)

車道に普通に落とし穴があき、地下鉄にのるのにたまに人が上から落ちてくる木製のエスカレーターに延々と乗らなくてはならず、首都に野良犬の群れが出没するこの国で私達家族がすごす、ソ連崩壊あり軍事クーデターありも含めた、かけがえのない3年間のことを。

本当にまだ何も知らなかったのである。

to be continue..?


サバイヴ:
苦しい時に電話するのは難しいので、元気なうちに『苦しい時は電話して』を読んでおく。(再掲)

※本記事は、2021年3月19日に別媒体にアップした記事の再掲です。
※この記事には希死念慮の話が書かれます。記事の内容が精神的な負担になる方はお気をつけください。

↓↓↓ 以下、記事の本文になります ↓↓↓

私は知る人ぞ知る『しょっちゅう苦しくなってる人』だ。
定期的に寝込んだり、夜中に徘徊したり、手ごろな枝を探しに出かけた公園でカップルと出くわしたり、海の近くや橋の上でじっと水面を見つめてエイを見つけたりしている。
鬱の時期が過ぎるとこんな風に自分を客観視できるし、何なら思いつめて奇矯な行動にでる自分を笑い飛ばす余裕さえ出てくるのだけれど、鬱の時は気持ちにそういう余白がまったくなくなり、自分の過去現在未来までも、真っ黒に塗りつぶされた気になってしまう。
この、「気になってしまう」というのも、ある程度元気だからこそ書けることで、鬱の時、自分の全てが真っ暗で真っ黒なのは紛うことなき真実だ。鬱の度に、その暗黒の真実がやってくる。

死にそうな自分をなんとかしたくて、死にそうな気持ちでメンタルクリニックに電話をかけて「次に予約がとれるのは来月以降ですねー」と電話口で言われて憤死未遂となるのを何度も繰り返している私だが、以前から気になっているけどまだかけたことのない電話番号がある。
それが坂口恭平氏の携帯の番号だ。

希死念慮のある人達からの電話を、自身の携帯番号を公開して個人で受け続けている坂口恭平氏。
電話をかけたことはないけれど、彼の書いた『苦しい時は電話して』という本を読んでみた。

私は多分、本当に死ぬほど苦しい時はこの本は読めない。そもそも鬱になると長文が頭に入らなくなる。
だから、この本は苦しい時ではなく、苦しくなりやすい人や、これから苦しくなるかもしれない人が、比較的元気な時に読むのがいいと思う。
個人的にはインフルエンザのワクチンのようなイメージだ。

本文中に、うつ病になると休めと言われるけれど、本当に辛いときは休むことさえ出来ないという一文がある。

同意しかない。

鬱の経験のない方には伝わりづらいのだけど、状態や時期が悪いと本当に心身が休まらないし、休むことが出来ない。
たとえベッドに横になっていても、薬を飲んでいても、眠れない時間のなかで、頭の中は罪悪感と不安でいっぱいで、金切声が喉までせりあがって吐きそうになるのを渾身の精神力で抑え込んでいたりする。ネガティブな状態で興奮しているせいで悪いことばかり考えるのに頭がまわり、想像のなかの最悪の事態にメンタルが削られる。

TV番組で、カメラの外からADの人が画面の外から指示をだすのに使うフリップがあるけれど、脳内のフリップにマッキーの黒の太字で「死にたい」と大きく書かれて、そこから何も動かない感じだ。
坂口氏は、少なくともそういう長くて辛い夜を知っていると思う。

私は坂口氏が公開している電話番号に電話をかけたことがないし、直接話したり会ったりしたことがない。
実際に氏に電話をかけた人のなかには、氏の対応で癒されずに憤慨する声もある。
だから、私がここに書けるのは、自分で読んだこの本の内容についてだけだ。
そしてこの本については、よく死にたくなる人が読める時に読むのはいいんじゃないかと思う。この本は「死にたい」という気持ちを否定したり、無理に抑えようとしたりはしない。
「死にたい」という気持ちの紛らし方、死にたい時の時間の使い方、死にたい人への死ぬこと以外の提案。
書かれる文章は柔らかく、穏やかで、「死にたい」気持ちと共に生きている読者を、どこまでも肯定しようとする。

読むことで、「よーし、これで二度と死にたい気持ちにならないぞ!」とか「希死念慮がきてももう安心!」ということには、多分ならない。
けれど、少しだけ、鬱で死にたい自分、扉のない暗黒の部屋の外に出たり、夜眠れないけど何も出来ない永遠のような時間が過ぎるのをただ待つことの助けにはなると思う。

「死にたい」気持ちと共にいる自分自身と、一緒に生きることは難しい。

だけど、そうして生きることを励ましてくれたり祈ってくれる人がいることを知るのは、悪くないことだ。

レシピ:
『土を喰う日々』で米を喰う日々

はじめに。創刊号にて「こちらのコーナーではモスクワカヌの手料理レシピを公開します」と書きましたが、二号目にして「あれは嘘だ」と言わざるを得ない内容になりますことを、ご容赦ください。
私を知る人には知られている料理ベタのせいか、想像以上にレシピの需要がない。私の手料理、全然求められていない。
というわけで、今回紹介するのはレシピというよりも、「白米を白米のままで美味しく食べるライフハック」です。

もちろん、白米はそもそも白米だけで十分美味しいもの。
ですが、色んな味を受け止める深い度量と懐をもつ白米。なんらかのおかずと一緒に食されることが多いと思います。
白米に卵、白米に唐揚げ、白米にトンカツ、白米にカレー、白米にビール、エトセトラエトセトラ…。
どんなお惣菜も、白米とタッグを組むと間違いのない安心感。心躍るラインナップです。

でも、素敵なおかずを用意できない日って、あると思うんですよ。
疲れていたり忙しかったり体調が悪かったりで、炊いてる米を食べるか、冷凍ご飯をチンするだけで精一杯。冷蔵庫にはすぐ食べられるご飯のお供的なものが何もなく、料理なんてする気になれない。
今回は、そんな時でもご飯を美味しく食べるためのライフハックについて書きます。
それではご紹介しましょう!
白米しかない時の強い味方! デデン!

白米に最高にあう。

水上勉・著『土を喰う日々 ―わが精進12カ月―』
https://amzn.to/42yojJC

本じゃん?って思いますよね? 本ですよ?
は?って思われた方、そうですよね。でも今しばらく私のプレゼンにお付き合いください。
『土を喰う日々 ―わが精進12カ月―』は、著者である作家の水上勉が、野菜畑のある軽井沢の仕事場で、畑の収穫で日々の料理を工夫する様子を月毎のエッセイにした本です。
小さな畑からとれる野菜は新鮮ですが贅沢なものではなく、書かれている料理の多くが、素材の味にまかせるような素朴なもの。
料理の合間合間に、かつて禅寺の小僧でもあった著者の経験や、説法のような雑学のような内容もあって、シンプルに優れた生活と料理のエッセイ本です。といっても、詳しい作り方が載っているレシピ本ではありません。この本が、なぜおかずのない時に、白米の強い味方になるのか?
そのココロは…例えば、文中のこんな記述。

ーぼくは一ど台所の隅に、ほうれん草の根のところをうすく切り捨てたのを放置して、老師に見つかったことがあった。老師は黙ってそれを拾いあつめられると「よう洗うて、ひたしの中へいれとけ」といわれた。
’(中略)
すると、葉の柔らかい青がかったところへ、赤い根は、花のようにまぶされて色めき、舌の上では、根の方が甘かった。しかし、それが根ばかりだとまた、きついのだった。青いところにまじっていることによって、甘さと、色を発揮する。―
(水上勉・著『土を喰う日々 ―わが精進12カ月―』)

上記は一例ですが、この本に出てくる料理のレシピや記述は、こんな感じの丁寧でつましい内容が多い。
もっとも、現代で普通に毎日仕事して家事して、場合によっては家族のご飯まで作っていたりする人達にとっては、ここに書かれているように青菜の根元を丁寧に洗って使うのも一仕事。私はいつも根っこのところはぶった切ります。やってられません。
ですが、この本を読んでいるとですね、不思議と丁寧でつましい暮らし、菜っ葉一つから悟りをえられそうな「土を喰う日々」を、青菜の根元まで洗わなくても追体験できるのです。

この本をお供にする時は、ご飯のおかずは極力少なく素朴なもの、いっそゴマとか塩とか、よくて漬物ぐらいにするのがちょうどよい塩梅です。
なんなら白米オンリーでも可。
食卓がつましければつましいほど、自分の暮らしが清らかで丁寧なような、清貧の気分を味わえます。
清貧。その気分と一緒に食すと、ただの白米が甘いこと。適当…ではなく素朴なおかずの滋味を普段より感じること請け合いです。
例えば、おかずが味噌しかない時は「四月の章」の著者の父親の弁当の描写、梅干しがあるなら「六月の章」、大根に塩ふった一夜漬けもどきしか作れない時は「七月の章」が私のお気に入り。
まじで何もない時は「一月の章」「二月の章」がおすすめです。
「冬の軽井沢にいるんだからしょうがねえ! 穀物に感謝!」という気持ちで、いつもより米が美味しくなります。
この本が優れた生活料理エッセイ本として『美味しんぼ』(注3)とかでも語り継がれているの、超・納得!
読む人がたとえ都会のコンクリートジャングルで生きていても、小さな畑をもっているような気にさせる、そんな不思議な力に満ち満ちています。

疲れて帰ってきて「ああ、今日もろくに自炊ができなかった…」という落ち込んだ気持ちで、炊飯器のなかで冷たくなったご飯をチンして食べる。現代人あるあるなそんな夜はついつい「わびしさ」「むなしさ」を感じ、自分の人生までつまらなく味気なく、物価上昇に薄給に年金のことまで考えだして暗い気持ちになりがちですが、この本はそんな夜でも白米の美味しさ、滋味深さ、ついでに日々の暮らしのありがたさまで味わわせてくれる、心強いご飯のお供です。
ご飯を美味しく気分よく食べれたら、きっと元気にもなりやすい。
『土を喰う日々』で米を喰う日々。
どうぞお召し上がりくださいませ。


【ごあいさつ ~終わりに~】

月刊noo、2号目はいかがだったでしょうか?
編集もライターも校正も私一人…というか、私が仕事できないマンなので実質「一人未満」という、ささやかすぎるマガジンですが、皆様の生活の「ちょっと楽しい」「ちょっと面白い」になれていたら幸いです。
よろしければ、いいねやサポート、ご感想等頂けますと励みになります。

劇作家モスクワカヌのゆるゆるマガジン、次号は6月20日前後に公開予定です。モスクワ生活のエッセイの続き、ごく個人的ご飯のお供、梅雨シーズンなので、メンタル弱い民の敵のような季節のサバイヴについて等書きたいと思います。
それではまた!


★宣伝★
劇作家モスクワカヌが「2020年、もしくは2023年のあなたの話」をテーマに、自身の思いや体験を戯曲として作品化したい方を募集し、モスクワカヌ自身が応募者にインタビューした内容から短編を書き下ろす『キクカク企画』開催中!

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皆様のお話との出会いを楽しみにしております。

オマケ

写真があるほうが月刊誌ぽいかな?ということで、5月に撮ったり撮られたりなフォトをいくつかご紹介します。

キッチンで気を抜いてる一枚(撮影:オノマリコ)
鈴さんと仕込んだ果実酒。
素敵なお誕生会にお誘い頂いた日の1枚。
ラグジュアリー!
鈴さんとリコさんとミュージカル観劇。

【文章中の脚注】
(※1)
五月病とは医学的な病名ではなく、新年度が始まった後、新しい環境への適応がうまくいかず、なんとなく体調が悪い、やる気が出ない等、5月頃から心身に不調があらわれる状況のことをあらわす言葉。
(※2)
冷戦とは、第二次世界大戦後の世界を二分した西側諸国(アメリカ合衆国を盟主とする資本主義・自由主義陣営)と、東側諸国(ソビエト連邦を盟主とする共産主義・社会主義陣営)との対立構造。米ソ冷戦(べいそれいせん)や東西冷戦(とうざいれいせん)とも呼ばれる。
(※3)
『美味しんぼ』は、雁屋哲(原作)、花咲アキラ(作画)による日本の漫画。

wikipedia等


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