見出し画像

洗礼を意識しはじめた出来事

↑ こちらの記事の続きです。↑

私の脳裏に微塵もなかった「洗礼」という言葉を牧師先生から言われた後、頭から離れなくなりました。
「あ!ちょうどいい、来月洗礼式があるからそのときに受けたらいいんじゃない?!」と、続けて先生は言われました。私は驚き、「いえいえ、私はまだいいです。」と全力で否定したものの私の気持ちはゆれました。
そのときの私の頭の中には、宗教に対しての偏見が強い夫に反対されるのではないかという不安がありました。クリスマス礼拝に参加することさえも反対した夫です。私が洗礼を受けるなんて考えられませんでした。
帰宅後、勇気を出してすぐに夫に話してみると、意外や意外、「いいよ。」と夫がすんなり言ったのです。こちらの方が驚き思わず、「え??洗礼受けてもいいの??」と聞きかえしました。「うん。受けたいんでしょ?別にいいよ。俺が受けるわけじゃないし。」と。さらに「俺の好きなことも認めてくれてるでしょ。だから。」と言いました。
絶対反対されると思っていた私は拍子抜けし、神が働くってこういうことなのかなと思いました。

洗礼を受けようと思った私はサロンの窓口だった信徒さんにメールをしました。洗礼式のときだけ夫に息子をみてもらおうと思っていました。
しかし、その日は幼稚園のはじめての遠足の日と重なってしまい、これは無理だなとすぐに信徒さんにお断りのメールをしました。すると、その信徒さん経由で牧師先生からお言葉をいただきました。私にとっては厳しく感じた言葉で考えさせられました。

それから数日後、いつもサロンでお会いする信徒さんと参加者の2名の方と洗礼を受ける場所を見に行くという約束をしていて、迷いながらも参加しました。集いの内容やそれぞれの事情などをお聞きしたり、クリスチャンの方がもう一名いて、その方にもいろいろお話を伺うことができ、物事には「神の時」があると聖書に書かれていることを教わりました。
やはり、洗礼を受けるタイミングは今なのかなと思い直し、私の中での気持ちが洗礼を受ける方向にシフトしていきました。
自分なりによく考え、今の我が家の状況では遠足よりも受洗だなと思い直しその日の夜、信徒さんに「受洗します。」とメールしましたが、
その数日後、洗礼を受ける方は集会の全日程を参加しないとダメだと担当の信徒さんからメールで言われ、この年の受洗を諦めました。
全日程参加は当時の我が家にとっては無理でした。

洗礼を受けることをお断りした数日後、
父がこのことだけは私に伝えたかったと前置きし、わざわざ我が家に来て、私の母は反対していたことを知りました。洗礼を受けることに対しては別にいいが、子育てを優先するべきだという考えです。
私の母ならそう考えるだろうと思いました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?