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西欧の文化と日本の文化

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「西欧文化と日本の文化」「ブランドとは何か?」「日本人にとってのダイアモンド」の三部構成の1回目、
今日は西欧文化と日本文化の違いについて書いていきます。

結論から言えば
・西欧文化=所有と支配の文化(大陸も同じ文化)
・日本の文化=共有と協力の文化

西欧は理性から出発し様々なことを考え、
日本は自然から出発し様々な事を考える
ようになりました。


ではなぜそのような異なる文化や考え方が形成されたのか書いていきたいと思います。
様々な複合的な要素があると思いますが個人で調べた5つの項目を上げて説明します。
項目は<気候><地形><宗教><古代の農業><国の成り立ち>の5つです。
近代ではなく、AD0年あたりの内容です。

【一覧 気候、地形、農業、国の成り立ち】

西欧と日本の比較一覧

【気候】

西欧・・・亜寒帯気候
夏の間だけある程度の気温になり、それ以外の気温はツンドラ地帯の気候と似ています。農業を行うにはあまり適した気候ではありません。
人が自然と共生するために厳しい環境です。

日本・・・温暖湿潤
西岸海洋性気候と比べ夏季が高温で、地中海性気候や温帯夏雨気候と比べると年間を通して比較的降水量が多いです。 夏季の平均気温が高く、冬の気温が低く四季の変化が明瞭です。 夏季の多雨により稲の生育に適するので稲作に適しています。

【地形】

地形については説明するまでもありませんが、
西欧は国家間が陸続きで、他の国に移動することが人も動物も非常に簡単です。
 
日本は国の周囲を海に囲まれた島国で近代文明が発達するまでは他国に移動することは渡り鳥以外には困難でした。

【宗教】

西欧・・・諸説ありますが宗教は自然環境が厳しいところで生まれ、人間が自然を制するという考えをしている所があります。
キリスト教もイスラム教も神が人を作ったと書いてあり、ユダヤ教ではモーゼが海を割ったという有名な話もあります。
宗教は理性から出発し多くの事を考えるようになったきっかけだと思います。
 
日本・・・日本では自分を作ってくれた自然やご先祖様に感謝する習慣があります。
お正月には神道で神社にお参りし、お盆には仏教でお寺にお参りしご先祖様に手を合わせ、結婚するときはキリスト教で神父さんの前で一生の愛を誓います。
日本には八百万の神、森羅万象の全てに神を感じるという考えが元々あり西欧の人から見たら考えらないようです。
七福神も日本古来の神様は恵比寿様のみですよね。

【農業】

西欧・・・畑作 麦
乾燥していて寒い気候の所で出来ます。畑作農業は連作障害と言い同じ場所で作物を栽培するとだんだん育たなくなってしまいます。そのため数年ごとに育てる場所を変えなくてはなりません。また使っていない畑は追肥をして肥料を与え土地の栄養を保つ必要があります。
安定した生産をするために数年ごとのローテーションを組まなければならず、広大な土地を確保しなければなりません。
 
日本・・・稲作 米
温暖湿潤な気候の所でできます。稲作の方が連作障害も起きないため圧倒的に栽培の効率が良いです。さらに追肥する必要もなく土地を耕すために手間がかかりません。

【国の成り立ち】

西欧・・・国王が政治を行い全て決定する権限を持っていました。国王が変わるたびに国の名前も変わっていった歴史があります。
 
日本・・・天皇が存在し、国名や国の形が変わることはなく安定している歴史があります。

独立記念日と建国記念日は全く意味合いが違います。
日本は建国記念日を祝えることを誇りに思い感謝したいですね。

【西欧文化と日本文化】

・西欧文化
西欧の気候は亜寒帯気候で稲作が出来ない環境でした。自然環境は人間にとって厳しく自分や家族以外の人にやさしくする余裕が無かったことが想像できます。
食べ物を確保するためには畑作農業を取り入れる必要があり農地を確保するためには広大な土地が必要で更には家畜と奴隷が必要でした。
ヨーロッパではありませんが、ヨーロッパと自然環境が似ていた中国大陸の北側でも同じ事が起きています。
史記の中で司馬遷は「南には食うに困る奴はいないが、富豪もいない。北はその逆である。」
という記述があります。
中国大陸の南側は日本と気候が似ていたため稲作を取り入れることができました。
当時の中国でも王朝が変わっていたようにヨーロッパでも王朝がどんどん変わっていきました。
世界史を選択すると国王と国名、勢力図を覚えるために非常に苦労したと思います。
武力をもって他の地域を制圧し、その地域の人々を奴隷として働かせ王が支配し、そこで奴隷とされた人々も食料が必要になるため新たな地域を制圧し、新たに奴隷が生まれていきます。
このような形でどんどん奴隷が生まれ所有する者と所有される者が生まれる文化が出来ていきました。
 
・日本文化
日本の気候は温暖湿潤で稲作に適した環境でした。自然環境は人間にとって優しく山、川、海があり稲作を取り入れる前から肉、魚、塩は容易に取ることができました。
そのため、八百万の神の考え方が生まれ自然に感謝し他の人にも優しくする余裕があったのだと思います。
そのような気質を持つ日本人に稲作農業は合っていたようです。
先程、書きましたが稲作農業は畑作と比較し大変、効率が良く少人数で沢山のお米を取ることが出来ます。おかずはもうすでに日本中のどこでも取ることができました。
そのような安定した環境で天皇が生まれ皆で協力して多くの事を共有して生活する文化が出来てきました。
 

最後までお読みいただきありがとうございました。
次回、「ブランドとは何か?」について書いていきます。

2023年10月20日
MOTHER’s DIAMOND
BRAND MANAGER

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