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1929年の白樽の棍

白樽(しろたる)の棍は沖縄の棒術の型である。白太郎とも表記するが、樽(タルー)は日本の「太郎」に相当する沖縄の童名なので意味は同じである。日本の太郎、次郎、三郎は、沖縄では、樽(タルー)、次良(ジラー)、三良(サンラー)と表記する。

白樽の棍も、今日沖縄では幾通りかのバリエーションがある。しかし、それは小さな差異で、概ね一致している。ところで、以前紹介した三木二三郎・高田瑞穂『拳法概説』(1930)に、彼らが昭和4年(1929)に沖縄に渡って大城朝恕から学んできた白樽の棍が演武線のイラスト付きで紹介されているのであるが、これが今日の沖縄の白樽の棍と著しく相違しているのである。

今日の白樽の棍は、例えば下記の喜屋武真栄氏の演武のようなものである。

ところが、『拳法概説』の白樽の棍は下記のようになっている。演武はこのブログの記事をときどき翻訳してくださっているドイツのアンドレアス・クヴァスト先生によるものである。

クヴァスト先生は、『拳法概説』の解説から苦労して上記の型を復元して動画に撮り公開した。詳細な解説は、以下の英語の記事で説明されている。

Shirotaru no Kon (4) – Techniques of Shirotaru Deciphered

なぜこのような相違が起こったのであろうか。

三木等に白樽の棍を教えた大城朝恕は、戦前の棒術の名人で、知念三良(山根流開祖)の高弟である。したがって、大城が間違った型を教えたとは考えがたい。

すると、白樽の棍は戦後沖縄で大幅に改変されたのであろうか。あるいは伝承者がそもそもまともに伝承しておらず、名称だけ同じにして新たに創作したのであろうか。それとも、戦前すでに複数の白樽の棍が存在していたのであろうか。

それとも『拳法概説』の解説がそもそも間違っているのか。この本にはほかの型の解説も演武線のイラスト付きで紹介されているが、それらは正確なので、白樽の棍だけ間違ったとは、これまた考えがたい。

真相は謎であるが、空手の型同様、棒術の型も大きく改変された可能性があるということを、心に留めておく必要がある。

出典:
「白樽の棍」(アメブロ、2018年8月18日)。

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