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沖縄の空手家の名字の読みの問題

沖縄には本土にはない独特な名字があります。たとえば、今帰仁(なきじん)とか仲村渠(なかんだかり)のような名字です。また、本土にあっても方言での「読み」が大きく異なる例があります。玉城(たまぐすく)のような例です。

こうした沖縄の名字の「読み」をどう表記するのか。基本的に廃藩置県以降、共通語(日本語)での読みで表記するのが一般的だと思います。羽地朝秀なら「はじちょうしゅう」と表記するのが一般的で、「はじちょうしゅう」と方言表記はしません。

しかし、共通語表記に統一されていない例もあります。たとえば、玉城朝薫は「たまぐすくちょうくん」と読むのが一般的で、「たまき」とか「たましろ」とは読みません。

こういう読みの矛盾は沖縄学や沖縄県では何らかの基準が設けられているのかはわかりません。わたしの印象では慣例的に行われてきたのではないかと思います。

空手家の場合はどうでしょうか。空手家の場合も基本的には共通語の読みでの表記が一般的です。松村(まつむら)、松茂良(まつもら)、糸洲(いとす)等。

しかし、方言の読みが重要な場合は、方言の読みを書く場合もあります。たとえば、松村と松茂良は方言ではともに「まちむら」と発音します。本部朝基が「首里の松村(まちむら)から習った」と言ったのを、「泊の松茂良(まちむら)から習った」と聞き間違えたような事例があり、そういう場合は注意を促す意味で書きます。本部朝基は両者を区別するために「首里のすぃぬ」や「泊のとぅまいぬ」と地名を冠して言っていたはずですが、本土の弟子にはその区別がよく理解できなかった人もいたでしょう。

また、添石(そえいし)と末吉(すえよし)は方言では共に「しーし」と発音しますが、古武道の型では両者を混同していると思われる事例もあるので、そういう場合も方言の読みの問題として取り上げてきました。

しかし、すべての名字を共通語と方言の両方で表記するのはあまりに煩雑なので、通常は共通語の読みで書いています。

ただ現代の空手書籍でも、共通語と方言の表記で統一されていない人物の例も若干あります。たとえば、城間真繁は「しろましんぱん」と表記されていたり、「ぐすくましんぱん」と表記されていたりします。

金城三良も「きんじょうさんら」だったり、「かなぐすくさんら」だったりします。個人的には城(しろ)は「ぐすく」と表記される例が多いように思います。また「ぐすく」以外にも「ぐしく」とか「ぐすぃく」と表記する場合もあり、ややこしいです。

一心流の島袋龍夫も日本では「しまぶくろたつお」の表記が一般的ですが、海外では「しまぶくたつお」の表記も使われています。実は最近、海外の空手家の間で、「しまぶくろ」が正しいのか「しまぶく」が正しいのかで論争しているのを読みました。

わたしからすると、「どちらでも構わない」と思います。上で述べたように書籍で表記する場合は共通語の読みが一般的ですが、方言読みをしても問題はありません。

実際、同一人物が2つを使い分けていた例もあります。わたしの親戚に新田という人がいましたが、本土では「にった」と自己紹介していて、沖縄では「あらた」と言っていました。昭和の頃まで、本土に出てきたときは差別とまではいかなくても、「めずらしい名字ですね」と奇異な目で見られるのがいやで、あえて本土風の読みで自己紹介していた人もいました。島袋先生が使い分けていたかは知りませんが、そういう事例もあるので「どちらでもよい」と思うのです。

また、あまり方言読みにこだわると、表記の不統一を招くという心配もあります。もし方言読みをしだしたら、摩文仁は「まぶい」、宮城は「みゃーぐしく」、東恩納は「ふぃじゃうんな」になります。

本土の人は読めないし、沖縄でも若い世代は読めないでしょう。もちろん、人によっては方言にこだわる人もいるでしょうし、時代の変遷でいまと風潮が変わる可能性もあります。

数百年後には本部は「むとぅぶ」、富名腰は「ふなくし」と表記されているかもしれませんが、それはその時代の人が選択すればいい話です。だから、現代では共通語の表記が一般的だが、方言表記にこだわる人がいれば、止めはしないというのがわたしの立場です。

日本語の場合、漢字でどう書くかが重要で、「しまぶくろ」でも「しまぶく」でも島袋と変わりませんが、外国ではShimabukuroかShimabukuか違って書かれるので、日本人の感覚とズレが生じているのかもしれません。

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