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舞方:空手と舞踊の融合

本部御殿手では、以前より空手(剛拳)と琉球舞踊の関係を強調してきた。それは、琉球王国では空手も琉球舞踊も職業専門家によって担われていたわけではなく、士族によって――しかもしばしば同一人物が――二つとも担っていたからである。

いや、二者の「関係」どころか、二者が「融合」したジャンルがかつて存在した。それが舞方(メーカタ)である。音曲に合わせながら即興的に武術的な舞を披露するのが舞方である。

中国では、武術も舞踊もその評価が低く、清代には社会の最下層の人間がするものとみなされ、支配階級では稽古は盛んではなかったというから、琉球士族がこれらを熱心に稽古していたという事実は重要である。しかし、従来、空手史研究者で舞方に関心を向ける人は少なかった。戦後、とくに琉球舞踊は女性が担い手の中心になっていることもあってか、「女が踊るようなものがどうして空手と関係するのか……」と考える人も多かったかもしれない(実際直接そう言ってきた人もいる)。

ちなみに、琉球舞踊の女踊も男性士族が「女形」として踊っていた。女性が踊るようになったのは廃藩置県以降のことである。

実は本部朝基も舞踊が得意だったことはあまり知られていない。琉球舞踊家の島袋光裕氏によると、戦前本部朝基はよく琉球舞踊を芝居小屋に見に来ていて、時には楽屋裏にきて「アドバイス」もしていたそうである。

出典:
「舞方」(アメブロ、2018年9月16日)

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