本部朝基の型
これまで、アメブロ時代も含めて本部朝基の型について何度か記事を書いてきた。「本部朝基はナイハンチ初段しか知らなかった」というのは広く流布された説だが、実際はどうだったのであろうか。
本部朝基がナイハンチ初段を中心に教えたのは事実である。実際、たいていの門弟はナイハンチ初段しか習っていない。とはいえ、一部の高弟には、それぞれの特質に合わせて他の型も教えていた。現在、本部流に伝承されている型は以下のとおりである。
ナイハンチ初段
ナイハンチ二段(本部朝正)
白熊(高野玄十郎)
セイサン(丸川謙二)
カッコ内は型を伝授された人物である。丸川先生によると、本部朝基はパッサイも教えていたそうだが、丸川先生自身は見せてくださったことはなかった。見ただけで習わなかったのか、習ったけれども忘れてしまったのか。セイサンは丸川先生から本部朝正に伝授されている。
ほかに、渡山流の兼島信助がナイハンチ、ワンシュウ、ジッテを本部朝基から習ったという話は以前記事に書いた。渡山流の型は筆者は見たことがないけれども、もし事実なら本部流の型と合わせて本部朝基は少なくとも6つの型を教えていたことになる(パッサイを含めれば7つ)。
上記は実際に教授していた型であって、それ以外にも知っているが教えなかった型、習ったが自分には合わないと思って稽古しなくなった型もあったであろう。もちろん知られていないだけで、本部朝基から上記とは別の型を習ったという人もいたかもしれない。
チャンナンについては、本部朝基自身が『空手研究』(1934)のインタビューで糸洲安恒から習ったと証言している。白熊はピンアン二段に似ているので、これがチャンナンではないかという説もあるがはっきりしたことはわからない。また、チャンナンが当時1つだったのかも不明である。ピンアンは当初三段までしかなかったという説があるから、チャンナンに五段全部があったということはないと思われる。
さて、安里安恒は型の「望ましい習得数」について以下のように語っている。
安里によると、型はたくさん覚える必要はない、5、6種類を選んで練習すれば充分だという。すると、本部朝基が6つの型を教授していたという事実は、伝統的な考え方に即したものであることがわかる。
たくさん型を覚えて、それらを忘れないように日々練習しようとすれば、必然的に組手の稽古が疎かになる。戦前、戦後の沖縄の空手家の多くがほとんど組手を稽古していなかったという事実を考えれば、安里の教えは理にかなっていると言えるであろう。
いずれにしろ、本部朝基がナイハンチ初段しか知らなかったというのは誤りなのである。
注 安里安恒談、松濤筆「沖縄の武技(中)」『琉球新報』大正3年1月18日。
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