見出し画像

曜変天目茶碗と空手

曜変天目茶碗ようへんてんもくちゃわんは中国の南宋時代(12~13世紀)に焼かれた陶器製の茶碗である。世界に3点しか現存しておらず、その3点とも日本にある。そしてこの3点はいずれも国宝に指定されている。

2016年末、この曜変天目茶碗の4点目がテレビ番組の鑑定で発見されたとして話題になった。しかし、翌年1月にはあれは偽物だと専門家が指摘してさらなる騒動に発展した。

銘稲葉天目。座右宝刊行会『世界陶磁全集』第10、河出書房、1955年

曜変天目茶碗は様々な陶芸家が再現を試みているが、いまだ成功していない。成分や製法が完全には解明できていないようだ。

陶器制作も一度技術が失われると、800年経っても、現代の科学をもってしても再現は容易ではない。どうして中国でこの技術が途絶えたのだろうか。

もともと曜変天目茶碗を至高の陶器として尊重してきたのは、歴史的には日本である。中国ではそう見なされていなかったのか、あるいは尊重されていたが、時代や王朝の変化で価値がないものと見なされるようになったのか。

武道の伝承も何となく似たような境遇にあるように思う。明治維新後の文明開化の風潮で、もう必要ないとして多くの武道流派が失われた。さらに太平洋戦争後も武道流派は受難の目にあった。

空手の運命も同じようなものだったが、空手の場合、「近代化」の名目で内部からも自己否定運動が展開されたので、多くの古流の型や組手の技法が失伝したり改変されてしまった。

いま「伝統派空手」と呼ばれている流派の空手家たちが昭和の頃の空手雑誌では、「空手の近代化」を声高に叫んで「新技法」の開発を主張していた。いわく「蹴り技が少ない。もっと開発して種類を増やすべきだ」云々。

「回し蹴り」はいつから空手で使われるようになったのであろうか。「踵落とし」がフルコンタクト空手の試合で登場したのも、たしか昭和の終わり頃であった。

宗家(本部朝正もとぶちょうせい)も、戦後「ナイハンチみたいな地味な型はやってもしかたがない」とか「もっとダイナミックに改変してはどうか」などと、ほかの空手家から“アドバイス“を受けたりもしたが、最近のナイハンチの再評価を見ると、変えずに良かったと思う。

本部流では、本部拳法の「掛け手」や本部御殿手の「棒蹴り」のように、ほかの流派では(ほぼ)失伝してしまった技法も今日まで継承している。

掛け手、演武:丸川謙二、本部朝正、1992年5月、東京。

しかし、「本を見て復元したのではないか」などと、批判をしてくる人もいるから、映像などで記録を残すことも大切である。本部流はもう過去50年近く学術的な調査をしてきており、その成果は日本武道学会でも発表している。

新技法を開発すること自体は間違っているわけではない。しかし、それに「伝統」のラベルを貼ることは間違っている。

一度失われた技法は再現は容易ではない。再現したところで、800年後にも残る陶器と違って、本来無形の武道の技というのは、昔と同じものだと誰が断言できるであろうか。だから、時代の流行に流されずに、連綿と受け継いでいくことが大切なのである。

出典:
「曜変天目茶碗」(アメブロ、2017年1月26日)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?