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型の中の気合い

海外で本部流のセミナーを開いたりすると、ときどき気合いについて質問を受けることがある。ここでいう気合いとは、型の中の見せ場で発する気合いのことである。

歴史的には、もともと型で気合いを発することはなかったと思われる。 昔の沖縄では、人に見つからないように隠れて稽古した。もちろん音を立てるのは厳禁である。 

たとえば、本部朝基は、戦前の琉球新報の座談会記事で、以下のようなことを語っている。

昔の武術者は何を目標にしていたかと言うと、昔は手を習うにも隠れて人に見られぬように、こっそりと先生の家に通ったもので、それも夜の明けきらぬ暗いうちに行き、巻藁を稽古するにも音を立てないようにしたものだ。棒の稽古などもカチカチ音たてぬように藁を巻いてやったものである。

『琉球新報』昭和11年11月10日

上記によると、昔は巻藁突きや棒の稽古では音を立てないように注意した。棒の話はおそらく組棒のような対人稽古か、立ち木打ちのような目標物を棒で打つ稽古を指しているのであろう。そういうとき、棒がカチカチ鳴ると稽古が他人に知られてしまうので、棒に藁を巻いて音を立てないようにしたということである。

ここでは、空手の型については述べられていないが、不用意に音を発しないで稽古した当時の様子からして、型でも気合いを発しなかったことは容易に想像できる。

「演武」の場合、どうだったのか。そもそも空手の型を多数の前で披露すること自体、琉球王国時代にはほとんどなかった。冊封式のあとに国王の御前で演武することはあったが、 それは何十年に一度の出来事である。したがって歴史資料から気合の有無を知ることは困難である。礼法の観点から考えても、国王に向かって大きな声を発するのが好ましかったとは思われない。

型の中の気合いは、おそらく戦後始まったのであろう。とりわけ競技が本格的に始まった昭和40年代以降、審判や観客に強くアピールするために広まったと思われる。 もしそれ以前に行われていたとしても、それは個人的なレベルの話で、伝統として昔からあったわけではない。

出典:
「気合」(アメブロ、2018年8月12日)。

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