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琉球王朝の末裔

2016年のことである。ヤフーのトップニュースに、「ある女優は琉球王朝の末裔」という記事が出ていた。

その方の曾祖母がそう語っていたそうだが、父方なのか母方なのかは記事では書かれていなかった。

琉球王家の姓は尚氏しょううじである。歴史学では、第一尚氏と区別して第二尚氏とも呼ばれる。廃藩置県後、尚氏の姓をもつ人々は基本的には最後の国王、尚泰王の子孫だけとなった。その弟は今帰仁朝敷なきじんちょうふというように、尚氏ではなく今帰仁氏を名乗った。

琉球王国時代は、尚氏は国王と王子のみが使用を許された姓であった。孫からは向氏しょううじとなった。向を「こう」ではなく「しょう」と読むのは、この字が尚の欠画として使われたからである。

「尚」の字から一画減らすと「向」の字になる。つまり国王の一族でも孫以下は、遠慮して欠画の「向」を使ったのである。

本部家(本部御殿)も、尚質王の子孫だが向氏であった。向氏の人々は廃藩後は、それぞれの領地名に由来する大和名やまとなを名字にした。本部姓は領地の本部間切(現・本部町)に由来する。

ピンク部:尚弘信、本部王子朝平(本部御殿の祖)。正史『中山世譜』より。

向氏は琉球士族の約一割(295戸)を占めていたので、その末裔となると現在ではかなりの数になると思う。母方が向氏出身という例まで含めれば、さらにふくれあがる。

ちなみに、戦前の空手家で向氏は、

・本部朝勇(本部御殿)
・本部朝基(同上)
・義村朝義(義村御殿)
・喜屋武朝徳(喜屋武殿内)
・知花朝信(知花家)

などがいた。だいたい名前に「朝」の字が付く人は、戦前なら向氏である。

なお、向氏、つまり孫以下でも、摂政に就くなど功績があれば王子の位を授与され、尚姓を賜った。本部御殿の歴代当主からは3名が尚姓を賜っている。ただしこれは一代限りの栄典で、子孫は功績がなければやはり向氏である。

出典:
「琉球王朝の末裔」(アメブロ、2016年10月2日)。


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