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「自分で決める」と自己責任論に回収されてしまうのか

劇作家・平田オリザさんと経営学者・宇田川元一さんの対談。第3回では平田オリザさんの著書で語られている「文化の自己決定能力」というキーワードを出発点として、「自己決定能力」や「過去の棚卸し」について話し合います。外の世界に氾濫する「ノウハウ」に依存する前に、自己の内なる資産に着目する――。通底する思いを胸に、ふたりが実行してきた施策を辿ります。

※本記事は、2019年10月にcakes上に公開された記事を転載したものです。

自己責任論の罠


宇田川 平田さんの著書『下り坂をそろそろと下る』では、「文化の自己決定能力」ということが書かれていますね。これは一つ大きなテーマになってくるのかなと感じています。つまり「自分なりに頑張ってみる」という意味だと私は解釈しているんですが。

以前、私は地方の大学に勤務していたことがありました。そこは典型的な地方都市で、得体の知れない「権威」に対していかに取り入るかということが発想のベースになっていた。自分たちがどうしたいかという考えがないので、結果としてものすごくつまらないものを量産し続けるということが発生していました。

ただ一方で「自己決定」に関して感じるのが、ニュアンスが微妙、ということです。というのも、一歩間違うと「自己責任論」に陥りかねないと思っていて。ビジネスの文脈でいうと、「自責と他責」とか「自分事と他人事」という言葉が結構流行っていまして、たとえばリクルートに「お前はどうしたい?」っていう言葉があるらしいんですね。

要するに、仕事は各々の創意に基づいてすべきだから、自分がどうしたいのかを自分で決める自由がある、という意味なわけです。でもそれは使い方を誤ると、「お前はどうしたい?」って尋ねる側の責任逃れにも使えてしまう。そのあたりの微妙な意味合いについてはいかがでしょうか?

平田 とても難しい問題です。私が文化の自己決定能力の必要性を訴えてきたのは、地方創生の文脈でした。つまり自分で決められないと、あっけなく東京やグローバル資本に搾取されてしまうということなんです。

だから地方自治体ほど文化の自己決定能力を持たなきゃいけない。そのためには教育しかないと僕は思っているんですが、難しいところは、宇田川さんがおっしゃるように自治体の「自己責任論」になりかねない。

自己決定能力を持てない地方自治体に対しては、選択肢は2つあると思っています。1つは、かつて田中角栄が提唱した『日本列島改造論』みたいにみんなで協力して乗り切るというスタイル。ただ、ここに戻るのは現実的にちょっと無理。日本にはそれほどの余力はもはやありませんから。じゃあもう一方の選択肢として地方を切り捨てるのはどうか。それも日本人には向いていない。

そうなってくると、もう第3の道を見つけないといけないんじゃないか、と思うんです。その時に、全部の自治体を救うことは、無理かもしれない。だから、3分の1ぐらいは豊かになれるような政策が落としどころじゃないかと思っているんです。ある程度の競争と淘汰は必要ですから。ただし、そこのさじ加減は非常に難しいですよね……。

過去の「成功体験」を掘り起こす


宇田川 第3の道、ということに関して、今私は、ある業界の最大手メーカーのイノベーション推進室でアドバイザーをしていますが、そこでは今、過去のイノベーションの棚卸しをしているんです。

例えば、業界を変えるようなイノベーションは、最大手である以上いくつか起こしてきているわけです。その革新をなぜ起こすことができたのかを検証していくことで、インサイドアウト、つまり自社の内側からイノベーションを起こして、次世代に向けてできることを見出していこう、と。

日本の大手企業は、創業時からの歴史を紐解くと、立派な理念や、創業者の意志のもとに事業を運営してきた結果、今の姿がある。けれども現状では、東京と地方の関係性と同様で、稼ぎ頭の事業に、その他事業が付き従っているようなケースも多いわけです。

それもあって、新たなイノベーションを起こすのが難しい状況にある。起こそうとしてもリスクの方が大きいし、短期的には合理性もないから、会社としても大きな投資に踏み切りづらい。その結果、外部のコンサルティング会社に依存するような状況が起きているのではないかと思っています。

平田 その話には2つのポイントがあるように思います。1つは、企業や自治体の話だけではなく、日本全体がそうなっているということです。

「アベノミクス」は非常にうまくできている。小泉純一郎は「痛みを伴う改革」と言ったけれど、更に上をいっている。痛みがあるのに感じさせないような、モルヒネを打ち続ける状態になっているんです。海外と比較して相対的には貧しくなっているのに、島国だから実感できない。問題をうまく先送りするシステムなんですよ。

全国を回ると、「もうウチは今のままでいいです」という態度も多い。直接的には言いませんけどね。でもその状態でも日本の場合は食べていけてしまう。巨大な「茹でガエル」のような状態です。

宇田川 つまり、日本全体がモルヒネの依存症のような状態になっている、と。

“よそ者”が過去の遺産に言葉を与える


平田 もう1つのポイントは、希望的な側面です。宇田川さんの言う「過去のイノベーションの掘り起こし」にも関係してくる話だと思います。僕は先日、兵庫県の豊岡市に引っ越したんですけど。

宇田川 そうなんですか。

平田 ええ。ここには『城崎国際アートセンター』という施設があります。使っていないコンベンション・センターを大規模なアーティスト・レジデンスに作り替えた施設ですが、世界中から芸術家や観光客が来訪しています。

宇田川 『下り坂をそろそろと下る』にも書かれている施設ですね。

平田 はい。この城崎という場所は元来温泉街として知られていました。木造3階建ての旅館街をずっと守ってきて、志賀直哉の『城の崎にて』という小説の舞台にもなっています。温泉と文学でずっと食べてきた街なんですよ。志賀直哉自身は、地元でもなんでもなくて、数週間滞在しただけなんですけどね。

この温泉街は、彼だけではなくていろいろな文人墨客(ぼっかく)を招いて逗留させて、掛け軸を一筆書いたら無料、みたいなことを江戸時代からやっていた。そんな話をしていくうちに…

宇田川 それって……

平田 そうそう、「今でいうアーティスト・レジデンスじゃないか」ということになった。

宇田川 ですよね。

平田 だったら、使われなくなったコンベンション・センターをアーティスト・レジデンスに改修しようと。滞在するアーティストも目利きのプロデューサーに選んでもらって、21世紀の『城の崎にて』ができれば、この街はまた100年食っていくことができる。

そこで生まれたのが『城崎国際アートセンター』なんです。そんなふうに、過去の遺産をリニューアルして、そこに“言葉を与える”。それが私たち“よそ者”の仕事だと思っています。

宇田川 “言葉を与える”ですか。なるほどな……。

企業の話に戻して付け加えるとするならば、「成功の掘り起こし」だけではなくて「失敗の掘り起こし」も今後やっていきたいと思っていて。「失敗」っていうのはなかなか残りにくいんですね。

ある種の反骨精神や、ユニークなアイデアがあったものの、あるところで頓挫してしまったとか。新たなイノベーションに生かせそうなヒントが詰まっているのに、結果的に失敗に終わってしまったがために、埋もれているものがひょっとするとあるのかもしれません。

外目にはダメに思えるものでも掘り起こせば次世代の事業を再定義するきっかけが見つかるかもしれない。今の平田さんの話を聴いてそう思いました。

(編集:中島洋一 構成:吉田直人 撮影:小林由喜伸)

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