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光の交錯の場 宮沢賢治の「イギリス海岸」

岩手県花巻市に「イギリス海岸」と呼ばれる川岸がある。宮沢賢治ゆかりの場所だ。

この場所について『季刊 アンソロジスト 2022年夏季号』でエッセイを書いたが、そのときには訪れたことがなく、賢治のエッセイや詩歌など、文章を通して触れたものに基づいていた。

先日念願叶って、この場所を訪れることができた。

イギリス海岸は、岩手県花巻市にある北上川流域の泥岩層が露出している部分のことで、花巻駅の東方約2kmに位置する。「イギリス」と呼ばれるのは、泥岩層の風合いがイギリス・ドーバー海峡に面した白亜の海岸を想起させるためだ。「海岸」と呼ばれるのは、賢治が地学の知見に基づいて、この場所が地質時代の第三期の終わり頃、たびたび海の渚だったと考えていたためだ。

日が強く照るときは岩は乾いてまっ白に見え、たて横に走ったひゞ割れもあり、大きな帽子を冠ってその上をうつむいて歩くなら、影法師は黒く落ちましたし、全くもうイギリスあたりの白堊の海岸を歩いてゐるやうな気がするのでした。

宮沢賢治「イギリス海岸」

エッセイ風の作品「イギリス海岸」に描かれているように、農学校の教師だった賢治は、生徒たちを臨海学校の代わりに、しばしばこの地に泳ぎに連れて行っていた。そこで、バタグルミや哺乳類の足跡の化石を発見したこともあった。

海から離れた花巻市の農学校では、簡単に海に行くことができない。その上、この文章が書かれた1920年代、イギリスは遥かに遠い憧れの地である。第三紀の終わり頃は、五、六十万年から百万年前と考えられていた。「イギリス海岸」という命名は、遥かな地域、遥かな時代へと私たちを誘う。北上川の岸辺は、異国と太古の風光を重ね合わされ、謎めいた魅力を放ち始める。賢治は、詩と科学の力で、見慣れていたはずの場所に秘められていた意味を掘り起こし、新しい風景を作り出したのだ。

イギリス海岸は、今どんなふうになっているのか。グーグルマップを見ながら、イギリス海岸へと歩を進めると、なんと「白鳥の停車場」が現れた。

白鳥の停車場(バス停)

白鳥の停車場は、賢治の代表作として知られる「銀河鉄道の夜」に登場する、天空の停車場だ。この駅で途中下車したジョバンニとカ厶パネルラは、プリオシン海岸に行き当たる。この天上の海岸の着想源になったのが、イギリス海岸である。今や逆に、天上の列車の停車場が地上のバス停のモデルになっている。さすがの賢治も、このバス停を見たら驚くのではないだろうか。

北上川

記念碑のある土手を超えて、足を進めると、北上川の美しい流れが広がる。しかし、そこに泥岩層は見受けられない。現在はダムが整備され、水量が変わったため、泥岩層が水中に沈んでいるためだ。これまでは、一年に一度水量を調整して、訪れる人のために泥岩層を浮かび上がらせる試みも行われていたが、現在休止されている。

『春と修羅 第二集』の「序」には、北上川が一度氾濫すると百万匹のネズミが死ぬと書かれている。農民として生きることを志向する賢治は、自らをこのネズミと重ねていた。美しい北上川は、氾濫により破壊をもたらす存在でもある。単なる自然愛好家ではなく、科学とテクノロジーに基づいて、郷土を改善しようとした賢治は、治水のためのダムの存在を肯定するかもしれない。しかし、それによって、ロマンあふれる泥岩層が見えなくなってしまったことには寂しさを感じてしまう。

もともと泥岩層が見えないことは知っていたが、少しばかり露出していないかと、川岸を探して回った。おそるおそる飛び石を踏んで中洲に移動したりしたが、見つけられなかった。そんなとき、ひとりベンチで休憩していたパートナーからLINEのメッセージが来た。「イギリス海岸あったよ」と。一緒に写真も送られていた。

写真:高田怜央

指輪の宝石を通して、水面を映している。この指輪は、前日に訪れた宮沢賢治童話村にある、また別の「白鳥の停車場」で買ったものだ。孔雀貝の真珠層と水晶が重ねられている。

自分も指輪を借りて同じように水面を眺めてみたが、孔雀貝の煌めきがカットされた水晶に反射して、虹色に輝いている。そのレンズの中にイギリス海岸が詩のように浮かび上がっている。

賢治は、イギリス海岸をたびたび訪れていた。その泥岩層は、さまざまな記憶が折り重なる場所である。地殻変動が繰り返され、無数の生命のドラマが繰り広げられた地球の記憶と、自分の記憶が折り重なる。太古の記憶を宿した地層を通して、賢治は自己自身と向き合い、生命の神秘を探っていたように思われる(一連のイギリス海岸に関するエッセイや詩歌、「小岩井農場」、「薤露青」、「図書館幻想」などの解釈に基づく)。

北上川の岸辺を「イギリス海岸」と見ることは、賢治のレンズを通して見ることである。泥岩層が水中に沈み、「イギリス海岸」を見失いかけたとき、同行者が指輪という新しいレンズを提供してくれた。本人は特に意識していなかったようだが、孔雀貝の真珠層は海の生命の記憶である。賢治のレンズと指輪のレンズが折り重なる。そのレンズの内を満たすのは、「イーハトーブ」と呼ばれた土地の光である。「イギリス海岸」は、土地と他者たちが織りなす光の交錯の中で掘り起こされたのだ。

『春と修羅 第一集』の「序」では、一人ひとりの存在が「照明」に喩えられている。

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

『春と修羅 第一集』「序」

私たちは一つの照明、無数の照明が織りなすネットワークの結節点である。この理解には、賢治が強い関心を持っていた大乗仏教の宇宙観である「インドラの網」の影響が指摘されている。インドラの網とは、無数の宝石が織りなす網であり、私たちは一つ一つの宝石である。宝石同士は鏡のように映し合い、一つの宝石の輝きの中に他の一切の宝石の輝きが映っている。自分の光というものは、他の無数の生命の光を映していくことの中にしか存在しない。ここには、「自分とは何か」、「創造とは何か」の一つの答えがあるように思われる。

私の「イギリス海岸」はどのようにして見出されたのか。土地、賢治、パートナー、指輪にはめ込まれた水晶、孔雀貝、その指輪を作った人、それを売った人、「白鳥の停車場」を作った人......。無限に広がる、さまざまな人、生物、無機物、それぞれが発する光が折り重なることで、それは現れたのではないか。さまざまな色の絵の具を均等に混ぜ合わせると黒ずんでいくが、さまざまな色の光を均等に重ねると透明になる。その透明は無色なのではなく、無数の色をたたえた透明である。

世界に存在する無数の光の交錯は、イギリス海岸の泥岩層と同じように、目に見えるとは限らないものである。賢治の時代でも泥岩層から太古の世界の風光を感じるには地学の知識が必要であり、それが水中に沈んだ今、賢治の文学を知らなければ、その存在に気づくことも難しい。詩も科学も、世界を読み解き、さまざまな無機物や生命と感応するための技芸である。

「イギリス海岸」はどこかにあるものなのではなく、光の交錯の中で生まれるものなのである。

東京 渋谷の街で、宮沢賢治と保阪嘉内を発見したエピソードはこちら。


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