私の「好き」は中途半端なのかもしれない

フリーランスのライターとしてお出かけ情報系月刊誌の制作に関わっているのだが、ご多聞に漏れず、コロナの影響を受けている。というか、受け始めた。


3月、まず担当ページが1ページ成立しなくなったため休載になった。今も続いている。
4月から8月は、通常とは違ったにしろそれなりのページ数を稼げた。
ところが9月、担当エリアの兼ね合いもあってページが半分に。
そして10月、企画の兼ね合いと仕事をもらっている会社の都合で、ベースでもらっている金額が今後支払われないことになった。もちろんその分の編集雑務・庶務はやらなくていいことになった。
さらにこれまでは一律で1ページいくら、という単位で報酬が出ていたのが、計算方法を変えると言われた。休載中のページ単価は上がったが、それ以外はがくっと下がることになる。

「この媒体以外にも、お願いしたい仕事があるんです」と言ってくれるのだけど、それは単発で毎月のことではないだろう。
とりあえず提示された単発の仕事は、単純なテキストのライティング。60件。全然できるしやるけど、これまでの月刊誌で細々身につけてきた編集のスキルは使わないことになってしまう。

文章を書くのは好きだ。好きというか、苦にならない。
ずっと文章を書く人になりたかった。だから今の職場に巡り合えたことは本当に幸運で、嬉しいことだった。

でも、と思う。

これは何もかもをかなぐり捨てても貫きたい「好き」なんだろうか。
仕事が減らされることが分かってからの私は、慌てて複数の派遣会社に登録し、求人情報を漁り始めた。事務の仕事で月に稼げる額は今よりずっとずっと多い。3年という制限はあるが、その間は少なくとも安定した収入が見込める、というところにクラクラした。
その方が良くないか? 今より稼いで、おいしいもの食べに行って。

でも、と再び思う。

書く仕事を手放したら、きっともう2度と取り戻せない。

あああ。不安定な収入だけど好きな仕事。
安定した収入で大して興味のない仕事。

事務の仕事は仕事で、お金を稼ぐ手段として割り切る、という風にも思える。稼いだお金と仕事をしていない時間で、好きなことをすればいいのだ。そうやって生きている人がたくさんいることも知っている。

では、正社員として出版社なり編プロなりに入ればいいではないか。
否。周りの社員さんをみていると、よっぽど歳がいっている人でなければ全員未婚だし、午前様は当たり前のハードワークだ。
離職率も異様に高い。無理もないと思う。
そして、私には無理だ、と思う。家のこともちゃんとしたいし、絶対精神的に追い込まれて数年ももたないだろう。

要するに私は甘っちょろいのだと思う。
文章を書くのが好き、といったって、フリーランスの不安定さに今更のように悩むし、正社員にはなれない(この歳でこの経歴ではどこも採用しないだろうし)。ブログが認められて書籍化、なんて華やかなニュースに鳩尾が熱くなるほど嫉妬する。
私の「好き」は中途半端なんじゃないか、と自己嫌悪で嫌になる。

逃げるように、資格を取ろうかとか、積読を増やしたりだとか、している。

そんな10月16日。

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