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茄子は茄子にしかならん

おはようございます。今朝事務の子に、突然いつもの4倍の元気よく挨拶したら、朝からシンドイって言われたmotomです。
#失笑は頂きました
#明日はトーンを4倍上げて挨拶してみます

さて今日は、茄子は茄子にしかならんという至極当たり前の話しをしたいと思います。
#因みに茄子が主役ではありません

▼理想と現実のギャップ

皆さんは憧れる友達や先輩・タレントと現在の自分との間に大きなギャップを感じて、凹んだり悩み苦しんだ経験ってありませんか?

僕はバッチリあります。
「あの人みたいに成りたいなー」って思って近づく努力はしても今一上手くいかず、なんならキャラ違いだなーってうっすら自分で気付き始める。

これ僕の尊敬する森岡 毅さんというあのUSJをV字復活させた凄腕マーケターが仰ってた言葉が印象的で、森岡さんは

「得手して自分が憧れる人というのは、自分に足らないものを持っているものだ」

と仰りました。どういうことかと言うと、

「茄子は胡瓜にはならん」という事です。
#例えが雑

ちょっと残酷かもしれませんが、憧れ=自分の不足を補っていて素敵に見える。と考えると、
苦手・不得意な部分をいくら改善しようとしても、伸び代は狭いは成長スピードは遅いわで、まるで川の流れに逆らって泳いでいる様なもんで、

鮭が産卵時に川を登る写真

あえてそのマッチョなレースには参加せずに、自分の得意な部分を伸ばした方が良くないですか?というのが今日の主題。
#川の流れの様に

▼茄子は茄子にしかならん

生き物全てに言えますが、人生という時間は有限です。
その有限な時間を、何にどれくらい割り当てるかという視点で人生を捉えると、
少しでも多くの時間、幸せを感じられた方が良いだろうし、
少しでも多くの時間、好きな事得意な事に充てられたら楽しいでしょう。

僕は集中力が散漫で、正確性を求められる様な事は大の苦手です。スケジュール管理とかも絶望的です。(よく予定を勘違いして覚えます)
記憶力なんていったら妻から「手の施しようがない」と立派なお墨付きを頂く程能力が低いです。

そんなんで良く仕事が務まるよねって思われそうですが、こんな僕でも
物事を俯瞰したり本質を掴む能力は、他人から褒められたりします。
前例が無い難解に対して解決の糸口を見つけるのが好きだったりします。

その得意な領域に出来るだけ時間を割いて、
苦手な分野は得意な人にお任せしたり、
あいつの提出物は当てにならないから要チェックするなどして諦めてもらってます。

憧れは人生を彩り豊かにしてくれるのでステキなことです。
ですが自分の向き不向きとは全く別次元の話だと理解していて、
結局、茄子は茄子にしかならないので、
だったら立派な茄子にした方がよっぽど自分の人生が豊かになると考えます。
なので一体自分は「茄子」なのか「胡瓜」なのかを早いうちから探っていった方が良いと思います。

以上、茄子が多めな回でした。

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