レールの上で何が悪い。

先に断っておくと、僕は大学生なので、就職しているわけではない。なので、働いているということにきちんと該当するのかはわからないが、アルバイト中に思うことを書きたい。

自分はひねくれ者なので、「仕事は、自分で考えて動かないとだめなんだよ」と言ってきた奴がいた時に、つい、腹が立ってしまった。この言葉は、最近の時代を表すような言葉のような気がする。少子高齢化が謳われ、AIの時代だと囃され、仕事が減っていくなどと言われている。

その中で仕事をしていくには、自分から積極的に行動できて、仕事を見つけて動ける者が生き残ると、なんたら説明会ではよく言われる。自分はこれに反対したいわけではない。そんなことができるなら、その方がいいと思う。それができることは一種の才能だし、能力値の重要なパラメータだとも思う。

しかし、その言葉を、仕事に対する主体性という考えで、切ってしまうのはどうなのかと思う。なぜならその言葉の裏には、間違いなく、「言われたことができているのが前提で」という言葉が隠れている。

言われたことができるのなんて簡単だ、と言われるだろうか。でも、言われたことを全員がこなせているのなら、きっと社会はこんな感じではないと自分は思う。自分の一生を支える仕事となれば、責任も半端なものではないし、年々言われたことができるようになり、自分から仕事を見つけていけるのだと思う。

だけど、アルバイト先ではどうなのか。周りの大学生の話を聞けば、ちゃんとシフト通りに出るだけで優秀扱いだったり、仕事でミスをしないことを求められるといった話を聞く。それを考えると、言われたことをできるのも一つの偉い要素ではないかと思ってしまう。

その上で、「自分で考えて動く」ことを説かれるのなら、納得はいくのだが、それが達成できているのか?と思っている人にそれを言われると、つい、前提ができてからじゃないのか?と思ってしまう。

こんなふうに思っている自分だから、僕が働いていて一番嬉しい、笑顔になれる瞬間は、自分の中で当たり前だと、誰でもできると思っていることをやっただけなのに、褒められた時である。

誰でもできることでも、しっかりと褒められればなんだか嬉しい。自分の当たり前の基準がしっかりとしていたことに対してのどことない安心感もあるのかもしれないが。

ともかく、僕はこれからも、「誰にでもできることを」「当たり前に」取り組んでいきたいと考える。そんな奴がいてもいいじゃないか。

#はたらいて笑顔になれた瞬間

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