あまぞ

大学生の暇つぶし。

あまぞ

大学生の暇つぶし。

最近の記事

時は流れ、

 すいません。ごめんなさい。ごめんね。本当にごめん。ごめん、許して。ごめんね。ごめん。本当にごめんね。  関係性が変わっていく度、言い方も言葉も言う時の顔もどんどん変わっていった。  僕の方はあまり変わらなかったけれど、最後まで君は謝ってくれていた。謝らなくていいことで。  あー、僕はなんて最低なんだ。

    • さよならが言えただけいいじゃない。

      僕はあなたの笑顔が大好きだった。顔をしわくちゃにして笑うその顔が大好きだった。できればこの言葉が過去形になる前に、君に伝えたかったけれど。  僕はその顔が見たくて慣れない感じにおどけたり、真面目に頑張ってみたりしたけれど、結局、あなたのその笑顔は、一度も私に向けられることはなかったね。「それでもよかった」と言えるほど、僕は大人ではなかったけれど。君が彼のことを話しながら、僕の目の前でしてくれた笑顔は、僕を思ってのものではなかったけれど、唯一僕が君の笑顔を独占できた瞬間だ

      • これもなにかの儚さか。

         「永遠なんてものはない」とは言われすぎて飽きてくるぐらいの表現だと思う。ただそれだけ言われるということはそれなりの根拠があるのだろうし、それなりに当てはまることが多いから言われ続けるのだろう。では、なぜ永遠ということばが出てくるのだろう。  永く遠くと書かれるこの言葉は、変わりゆく時間のようなものの中で不変なものを指している。そのような存在の概念が誕生したのは哲学や宗教の世界のように思う。それは、神や超能力のような、常に人類によって探されている拠り所なのではないか。  

        • また頑張るしかない

           今日からまた一年毎日投稿チャレンジをしてみます。前回は、ギリギリ0時をすぎて毎日投稿が途絶えるという悲しい結果に終わってしまいました。思ったより書きたいことがあったり、思ったより文章にできなかったりと不安定な状態ではありますが、暇つぶしがてら余裕を持ってやってみます。

        時は流れ、

          思ったことを書く。

          自分は、自己紹介が苦手である。人に自分のことを紹介するのが苦手というよりは、自分がないから困るのである。大学生の自己紹介の定番として、名前、学年、年齢、やってるバイト、入ってるサークルなどを紹介するのだが、趣味・特技これが非常に困るのである。 好きなものとして自分は真っ先にテレビをあげたいのだが、今2022年にテレビを見ている大学生の人口はとても少ない。一人暮らしなら、テレビを所持していない人も多い。昔のドラマの話ならみんな対応できるが、今のテレビについて話しても、共感して

          思ったことを書く。

          『ハロウィンの花嫁』を観た。(ややネタバレあり)

          毎年恒例の劇場版名探偵コナンを見てきました。本当に前情報をほとんど入れずに行ったのでめちゃくちゃ楽しめました。いろいろ思うことはありましたが、ここ最近のコナン映画の中では一番楽しめた。 ※ここからは多少のネタバレが含まれます。 今回の映画は、初(?)の警察メンバーに焦点が当たった映画でした。捜査一課メンバーと、いわゆる警察学校同期の5人。 ここ数年は、京極さん、安室さん、赤井さんとキャラクターに焦点の当たった、自分なりの言い方だと、キャラクター映画が続きましたが、今回も分

          『ハロウィンの花嫁』を観た。(ややネタバレあり)

          ひとりですがなにか。

          皆様は一人〇〇というものにどれだけ抵抗があるでしょうか。 私はほとんどありません。というか、むしろそっちの方がいいと思う時もあります。テレビでは、一人〇〇ハードル表みたいなのが紹介されていた時もありましたが、いまや、ソロ活というちょっとおしゃれな名前までついてしまいました。 一人でいろんなところに行けるのは、人間としての一周の痛覚が欠落した状態なのか、ある種の才能なのか、あるいはただの勇気の問題なのか、色々とまた考えてしまいますが、とりあえず、自分のできる、やってきた一人な

          ひとりですがなにか。

          レールの上で何が悪い。

          先に断っておくと、僕は大学生なので、就職しているわけではない。なので、働いているということにきちんと該当するのかはわからないが、アルバイト中に思うことを書きたい。 自分はひねくれ者なので、「仕事は、自分で考えて動かないとだめなんだよ」と言ってきた奴がいた時に、つい、腹が立ってしまった。この言葉は、最近の時代を表すような言葉のような気がする。少子高齢化が謳われ、AIの時代だと囃され、仕事が減っていくなどと言われている。 その中で仕事をしていくには、自分から積極的に行動できて

          レールの上で何が悪い。

          シラバス。

          相手を好きな時、人はその人に夢を見ているのかもしれない。何が正しくて、何が本当かさえもわからない。もはや本当に好きなのかもわからない。 夢というのはみている間はそうだと気付けないから夢なのであって、気づいてしまえばあっという間に醒めてしまう。そしてその時に後悔をしたり、そのことを馬鹿にして自分を取り繕う。 ただ、一つだけ言えると思うのは、夢を見なければそれは恋ではないのかもしれない。現実というものから抜け出して、何もかもが相手に向いて、自分が自分のことを保てないほどに全力

          シラバス。

          深夜2時だったら気絶するほど面白いものは間違いなくくだらないもので、言い換えると、深夜2時に一番みたいものでもある。

          深夜2時だったら気絶するほど面白いものは間違いなくくだらないもので、言い換えると、深夜2時に一番みたいものでもある。

          とある人へ。

          人は何をもって死ぬのだろうか。生物学的な解釈でいけば、生命活動が停止した時だろう。詩的なことを言いたいのならば、人の記憶から忘れられた時であるなどという表現もある。 ただそんな小難しい話をしたいのではなく、とある人に向けての手紙といった気持ちで書きたい。その人には、何かを伝えることはもうできなくなってしまったので、社会に発信して、ネット空間を彷徨ってもらうしかない。 君は突然消えた。ある意味では突然でもなかったけど。徐々に徐々に消えていった。正確にいうと、君に関する記録が

          とある人へ。

          舞浜通過記。2月〜4月編

          アルバイト先の関係で、ここ3ヶ月、水曜日の夜に舞浜駅を電車で通過する。舞浜駅から乗ってくる人々は、耳のついたカチューシャをしていたり、なぜかこの時間帯に制服だったり、しあわせの色をしたビニール袋を抱えていたりする。 2月は、幸せそうな大学生しか見なかった。カップルか女子大生集団の二択だった。彼女らの視界におそらく僕は入っていない。というか、自分の格好はスーツに革靴なので、おそらく僕が現実に引き戻す担当を引き受けてしまっている。幸せそうなカップルの視界にも、当然自分は入ってい

          舞浜通過記。2月〜4月編

          若者はどこへ行く。

          自分はテレビ大好き人間なので、20代前半の同世代の中ではよくテレビを見る方だと思っている。もっとも、大学入学時の自己紹介で、テレビが好きですと言って、周りが全く見ていないなんてことは普通になっていた。好きな人が出ている時だけ見る。面白そうなドラマの時だけ見る。アニメが深夜にやっているのをみる。Netflixしか見ていない。そんな人ばかりな気がする。 一方で、自分が中高生だった頃は、Youtubeという文化の創成期であった。テレビの終焉が始まったと揶揄されるタイミングとも言え

          若者はどこへ行く。

          自我があるうちに。

          今日は、映画館で『モービウス』を見てきました。作品の批評は苦手なので、本筋の直接的なネタバレ等もするつもりはありませんが、テーマ的な部分の話なので、何も情報を入れたくない方はご注意ください。 まず第一に、楽しい映画だったことは間違いないです。アクションもそれなりにあって、ストーリー展開もダークヒーローの誕生譚としては良かったと感じました。若干怖いシーンもありましたが(本当に若干)。ヒロインとヴィランの関係性に関しては、唐突さを感じるところもなくはなかったけど、話には入り込め

          自我があるうちに。

          完全試合を見て、切なくなる。

          本日、2022年4月10日、ロッテの佐々木朗希選手が28年ぶりとなる完全試合を達成した。完全試合を達成するのは、史上16人目の快挙だそうだし、連続奪三振などに関する記録も一気に塗り替えたことになるそうである。 この辺りでしっかりと断っておくと、自分は申し訳ないが、ロッテファンではない。されに言えば野球オタクでも、野球部だったわけでも、もっと言えば、野球ファンですらない。にわかどころの騒ぎではないが、弟が野球ファンであるために、その凄さは感じていると思う。 そんな野球自体に

          完全試合を見て、切なくなる。

          偽りのない言葉。

          皆様には、昔は友達だった奴という存在はいるだろうか。4月は、奇しくも卒業と入学シーズンである。桜が散るとともに別れるという経験はなんともセンチメンタルである。 青春映画や恋愛映画のクライマックスシーンなんかは、桜吹雪の舞う中で別れていく二人を演出することもある。そしてまた、その未来に光を感じさせるものになっている。 現実でも、SNSのタイムラインに時々流れてくるキラキラとした若者たちの卒業報告の写真は、桜をバックにしたものは少なくないし、芸能人の卒業報告とくれば、母校の前

          偽りのない言葉。