書かない執筆 弾かないピアノ

私はやろうとするとできなくなる逆張りの体癖らしいのです

筋道だった執筆や 計画された演奏を試みたこともありましたが

あまり自分に向いていないなとつくづく思います

わたしはたぶんのびのびしているのが長所なんでしょう

なにをやっても「きちんと格好よく」できません

かならず面白く 斬新になります

句読点が時系列を前提としていて息苦しいので 今日は書きっぱなしです

どこから読んでも いいでしょう 本来言葉や身体はらせん運動をしている

ので こちらの方が 体には自然なのでしょう

知識はテータベースではなくあなたの技術です

憶測を練って 意味づけをする

私は「学校は間違えるところだ」という詩を小学校で習いましたが

先生は「社会に出たら間違えられないからだ」とおっしゃいました

私はそうは思いません 「学校は間違えるところだ」

それは初めからある正解という的を外してもいいという意味ではなく

学ぶということが正解を当てる練習をするのと同じくらいかあるいはそれ以上に間違えることだからです

間違えないと正解にたどり着かないとかではなく

その正解を決めるのは私たちの生活のほうですが

間違えることが学びの本性なのではないでしょうか

ならば十分に間違えられる場所が最高の学び場ですね

私は高校時代に周囲に発想や着眼点が天才的だと言われて

自身のアイディアが人類史上初だと思っていたことが多々ありましたが

それは後々とうに研究されていたテーマだと知って大きく落胆しました

しかしそれはコンテンポラリーダンスの振付という意味では世界最先端です

コンテンポラリーダンスは決まった振付がありません だからいつでも私が世界最先端

知識やシステムは何のためにあるんですか?データベースを完成させるのではなく私のためにあるんです

鏡の中の精神のご飯は結構おいしいよ

全身を静水のようにして横たえて

私の場合は何か降ってきます ポツン!見ている人がどうだか知りませんが

宇宙ごと回りだします めっちゃ最高!!

自分で撮影して作品を見て、インスピレーションだけでなく実感でとらえていい感じにはしたいですね

そのとき数学の問題を解くときにやらされた反省の方法は役に立たなさそうですね

僕は数ⅲをやるまで分数の計算間違いがひどかったです

景色が広がると急にできるようになった

テーマが、風景がイメージできるっていいですね


作者の意図は存じませんが 意図しない解釈を許容するのが

詩のいいところではないですか しらんけど

ある時は間違えられないでしょう

しかしある時はまちがってもいいのではなく むしろ間違わないと採算が合わなくなると考えて自然なのではないか


自分で決めた答えに合わせに行こうとすることもあります

しかし私の真に生きるもっと動的な世界である野性的格闘の世界では

答を出している暇がもったいないとおもうのです

本当はその何万倍もある人生を100年のカレンダーに閉じ込めたくない

それが素直なことばです









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?