図面について___まだ2D図面を描くとしたら、その理由___

1.視点としての図面

 2D図面(以降、図面と呼びます)の伝達メディアとしての役割は終わりつつあると言えるでしょう。発注者に対するプレゼンテーションはほぼ3Dメディアに移りつつありますし、システム化されたハウスメーカーの設計CADは3Dがベースです。ハード面の条件が整えばその他の施工発注・監理もデジタル3Dモデルがベースになっていくでしょう。私はここで、模型やデジタル3Dモデルを過小評価したり、否定したりするつもりはありません。また、「図面が描けないやつは建築が分かっていない」といったような偉いことを言う立場でもありません。
 デジタルや模型で3Dモデルを立ち上げる時、実際に建築するボリュームが手に取るように把握できるモデリングはワクワクします。中をのぞいて、シークエンスや光の状態も正確に確認することができます。一方で、平面図や断面図、立面図を作る時には、それとは少し違った興奮があります。一つの平面で立体をカットして図にする時、普通の視点では見ることのできない姿がそこに現れます。そこには、3Dでは見いだせない、2Dだからこそ得られる視点があります。「伝える」役割を終えつつある図面でも、「考える」段階で使われる時にはまだ何か利用価値があるように感じられます。考える時に図面から得られる視点、に着目することで、もしかしたら図面でしか伝えられないものも見えてくるかもしれません。

2.アーキテクトの視点


 それでは、図面で得られる視点とは何でしょうか?3Dモデルを見る時の視点と比較した時、図面の視点の特徴として2つ挙げることができると思います。一つは「全てが見えている」ということです。3Dモデルの視点で全てを見る場合には、実際の建築と同じように、自分を動かして歩き回って見るか、モデルをぐるぐる回して動かさないと見ることができません。一方で図面、例えば平面図の視点では、床上1.5mの切断面にある全てのものを一度に見ることができます。
 もう一つの特徴は、「正確なスケール(寸法)である」ということです。遠近法のかかった3Dモデルでは、手前にあるものに比べて遠くにあるものは小さく見え、視点に対して相対的に物のスケールが変わっていきます。一方で、図面上では、全ての寸法が同じ縮尺です。アイソメトリック図やアクソメトリック図を使えば、立体的でありながら正確な寸法を描くことができますが、これらは図面に属するものと言えるでしょう。
 これら2つの特徴を持つ視点「全てを一望することができ、正確なスケールである」を使って、何を考えるのが良いでしょうか? 一言で言うと、”計画”を考えるのに適していると思います。建築を設計する時には、周辺環境や方位、人の動線や設備・構造など、様々な与条件がありますが、それらを一度、同じ条件の元で図面に並べて一覧することが、計画にとって不可欠だと思います。旅行や作業のプランを考える時に、行先リストやToDoリストを作るのと一緒です。
 図面はリストのように全てを一覧して、スケールや形を検討するのに適しています。つまり、図面によって得られる視点とは、計画者の視点、アーキテクトの視点であると言えるでしょう。翻って言えば、アーキテクトのスキルとは、図面を描くこと(もしくは図面のように事物を捉えること)、と言えるかもしれません。

3.正しすぎる部分たち


 「アーキテクトの視点」という視点は、正直言って古いです。既にあるストックを再利用することが求められるリノベーションの時代、新しく全体を構想する発想など求められないかもしれません。なぜ今さらこんな古い視点を持ち出して、この文章を書いているかと言うと、今年の春にある建築学科の卒業設計・修了設計展覧会に行ったことがきっかけです。展覧会を見た全体的な印象は「図面表現が弱いな」ということでした。単に「今の若いやつは図面を描かないでけしからん」ということではなく、「図面表現が弱い」ということが、全体の連続性とか計画に対する意識が弱いことに起因しているように感じたのです。
 反面、強化されているのは、アイレベルのスケッチによる部分のプレゼンテーションや、文章によるストーリーです。図面を描かずに、各部分とそのストーリーを並べている作品もありました。それぞれのスケッチやストーリーはとても魅力的で、等身大で、正しいことしか描いてありません。見ていても楽しいものなのですが、何かそれに感想を言おうとすると言葉が出てきません。SNSのタイムラインに流れる投稿のように、いいね!と言うことしかできないのです。それらの小さいストーリーは、まるで科学の証明実験のように、条件を絞って狭めて、否定できない正しさを主張してきます。「設定」や「テーマ」と「表現」の整合性を問い詰めるような、設計課題の講評システムがこのような状況を産んだとしたら悲しい状況です。今の学生さん達はとても大変だなぁと感じました。
 過去にも、全体ではなく部分に着目した建築はありました。例えばフランク・O・ゲーリィの建築は、いろいろな素材や形のパーツをごちゃまぜに繋ぎ合わせたような建築です。それぞれのパーツだけ見ても意味や魅力はありません。それぞれが特定の位置に配置されたり、繋ぎ合わされたりして、パーツにキャラクターが生まれ、ステージの背景になったり、廊下のちょっとしたニッチになったりします。各部分が、意味の無い自立した部分と、意味ある配置された部分のダブルミーニングになっており、それが建築体験に発見の幅をもたせ、楽しい建築になっています。
 一方で、先の展覧会作品における部分は、意味を持っていて魅力的ですが、それぞれの関係性は見えないようになっています。一見、魅力的な部分たちが浮遊する自由な空間に見えますが、鑑賞体験としては意味ある部分にのみ、ひたすらフォーカスしてき、意味を伝えることに特化しているような感じで、視点の幅の無さが息苦しくも感じられます。
 「アーキテクトの視点」はオジサン臭い古風なものですが、新しい視点にチャレンジする時に古い視点を切り捨ててしまうのは、とても勿体ないことだと感じます。いままで建築が育ててきた視点をキープしつつ、他の視点を加えていく、というのが賢い方法であると私は思います。

以上、最後までお読みいただきありがとうございました。最終項は説教くさくなってしまいましたが、学習の一助になれば幸いです。


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motose

建築

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