オウム真理教の幹部、逮捕者まとめ

2023年現在、若者の中には2011年の東日本大震災を知らない人が増えてきているようだ。このような状況ではオウム真理教についてはそもそも知らないものとなっていく。

インターネットが発達した今の時代、あらゆる情報はインターネット上に蓄積されており検索をすれば大抵のことは解る。しかし、ある程度の前提知識がないと情報を見つけ出すことはできない。

オウム全盛期から約30年の今、あえてオウム真理教についてまとめてみようと思う。

誤解の無いように書いておくと、私自身はオウム真理教の信者ではないし、オウム真理教が犯した犯罪は明らかに社会に反するものであったと捉えている。
その一方で、日本にありがちな「過去のことは水に流す」となってしまい、オウム真理教のことを誰も取り扱わないと風化してしまい、第二のオウム真理教が出てくると思っている。

「オウム真理教。おかしな人たちね」というのもあまりに短絡的すぎる。本当におかしな団体であればあれほどの団体にはならない。行き場を失った人たちに居場所を与えた存在であったのだろう。(繰り返すが私はオウム真理教の信者でもなんでもない)

歴史は繰り返す。
2020年ごろから数年続いたコロナウイルスも100年前のスペイン風邪と類似した現象であるし、安倍元首相暗殺事件(要人狙撃事件)も100年前には数件発生している。

このままいくと2040年ぐらいには世界大戦となり、2060年ぐらいには学生運動が盛んになっていくのかもしれない。オウムについても記録を残すことで未来に同じようなことが発生しないことを願う。


オウム真理教 幹部、逮捕者まとめ


麻原彰晃(本名 松本 智津夫)
階級:尊師
1955年生まれ
貧しい家庭に育ち、片目に障害があった。
片方の目は正常であるため小学校で問題なく学べる状況であったが、盲学校では学費、生活費、食費が無料になることから両親の意向で強制的に盲学校に入れられてしまう。
盲学校において生徒では唯一目が見えることからリーダーシップを発揮、皮肉にも指導者としての英才教育とも言える環境で過ごす。
大学受験では東大を目指すが夢は叶わず、鍼灸院を開いたのちに宗教に傾倒。オウム真理教の開祖となる。
1990年 政治政党「真理党」から第39回衆議院議員総選挙に立候補(落選)
1995年 逮捕
2004年 死刑判決(東京地裁)
2006年 死刑確定(最高裁)
2013年 再審請求を繰り返していたが以降の再審請求は認めない決定
2018年 死刑執行、平成30年の出来事であり、翌年には改元(元号の変更、平成から令和へ)されるため平成のうちに執行したとの説がある。

麻原彰晃の家族


松本 知子(改名後 松本 明香里)
階級:正大師(尊師、正報師に次ぐ上から3番目の階級)
1958年生まれ
麻原彰晃とは予備校で出会い結婚、6人の子をもうける。
1995年逮捕
2002年和歌山刑務所出所

長女(第一子)
松本 美和
階級:正悟師(上から6番目の階級)
1978年生まれ(麻原彰晃が23歳の時の子供)
流通監視省大臣

次女(第二子)
松本 宇未
階級:無し
1981年生まれ(麻原彰晃が26歳の時の子供)
2000年 長男(第五子)連れ去り容疑で逮捕、保護観察処分
2021年 麻原彰晃の遺骨の引受人となることが最高裁で決定
Twitter https://twitter.com/umi_matsumoto
Blog
 https://ameblo.jp/matsumoto-umi

階級無し、最高裁の決定で遺骨の引受人となることからオウム真理教への関与は比較的少ないと考えられる(遺骨の神格化による後継団体の繁栄に関与しない存在)

三女(第三子)
松本 麗華
階級:正大師(上から3番目の階級)
1983年生まれ(麻原彰晃が28歳の時の子供)
法皇官房長官
2004年 和光大学に合格するが入学拒否をされ裁判で勝訴
Twitter https://twitter.com/RikaMatsumoto7
Blog
 https://wanttobefree.org/ 

「アーチャリ―」のホーリーネームも有名
手記を出版し、2023年現在も顔を出してインタビューに対応している。

四女(第四子)
松本 聡香(ペンネーム)
階級:正報師(尊師に次ぐNo.2)
1989年生まれ(麻原彰晃が34歳の時の子供)
2017年 父母(麻原彰晃と松本知子)からの相続廃除を申請、認定

2010年に手記を出版
家族の中では最も階級が高く麻原彰晃から期待された存在であった
麻原彰晃逮捕時にまだ6歳という年齢を考えると異例の抜擢である。

麻原彰晃は死刑執行前、自らの遺骨の引受人として第四子を指名している(結果は最高裁判決で第二子が引受人)

第三子とは6歳離れており、第三子が大学に進学できた(最低限の学力を得られる環境にあった)のに対し、第四子は小学校入学時点で父親(麻原彰晃)が逮捕されており入学拒否されるなど、義務教育さえ困難な状況にあった。

長男(第五子)
1992年生まれ(麻原彰晃が37歳の時の子供)
1996年 4歳にして麻原彰晃逮捕後の教団の教祖になる

麻原彰晃逮捕時に3歳であったこともあり情報が少ない

次男(第六子、末子)
1994年生まれ(麻原彰晃が39歳の時の子供)
1996年 2歳にして麻原彰晃逮捕後の教団の教祖になる
2006年 春日部共栄中学校合格(入学拒否)

コメント:子女の環境について
「蛙の子は蛙」ということわざもあり親と子は類似したものという考えもあるが、本来であれば子供に罪はない。

義務教育という言葉があるように、子供に教育を受けさせる義務は憲法で定められており、本来これに反することはできない。
しかしオウム真理教側は子女を学校に通わせなかったり、また学校側も入学を拒否したりと麻原彰晃の子女は教育を受けることが困難な環境にあった。
 
オウム真理教にとって大きな転換点は2つほどあると思う。
1つは1989年~1990年
1989年に坂本弁護士殺害事件でオウム真理教が注目され、さらに1990年には真理党として衆議院背隠居に立候補し大規模な選挙活動をしている。
この辺りで、日本人のオウム真理教の認知度はほぼ100%になった。
 
この時点で小学校に入学していた第一子~第三子は周囲からの冷たい目はあっただろうが、それなりに教育を受けることができたと考えられる。少なくとも公立の小学校に入学拒否されることは無かった。
 
2つ目の転換点は1995年
麻原彰晃の逮捕である
これによりサリン事件がオウムのものであると断定され、オウム真理教のイメージは「異様な教団」から「テロ組織」となった。公立の小学校なども入学を拒否するという異例の対応をしている。
 
この時点で第三子は小学6年生。非常な困難はあったであろうが、最終的に和光大学に入学できるだけの教育の素地を得ることができたのではないだろうか。
 
一方、第四子はこの時点で小学1年生。
そもそもとして教育をうけるべき時に教育を受けることができなかったことはその後の社会生活を困難なものにしていると推察される。
それは第五子、第六子も同様であるが、第六子はある程度レベルの高い私立中学に合格するなど教育を受ける機会はあったことが解る。
 
逮捕と同時に児童相談所が子供を保護するなどの対応が必要であったかもしれない。


オウム真理教の幹部

後日追記予定


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?