蠱毒と孤島サバイバル

どうも、モトタキです。コロナ厄ですっかり巣篭もりが定着してきた昨今だからこそ、荒野行動やPUBG、CODなどのサバイバルゲームに興じる人も少なくない。かくいう、ぼくもドン勝つを目指して楽しんでいる。PS4を引っ張り出してきて、ApexやBFをプレイする準備すらしている。

この手のゲームをご存知でない方に、軽くご説明すると、「最後の一人あるいは一組になるのを目指して、島やステージでみんなで楽しく殺し合う」を楽しむ趣向の遊戯だ。

字面だけ見ると、とても物騒この上ない、教育上も精神衛生上も悪いものに見えるし、事実その一面を否定はしないのだけれども。

いわゆるeSportsとしての楽しみがある。だから仲間とワイワイできるのもあり、流行り続けているのだろう。

呪術として見ると立派な蠱毒

表題にもある「蠱毒」。毒虫や蛇、場合によっては狼などを同じ器の中に百種を入れ、殺し合わせて、最後に残った一人を呪いの道具とする。古代日本では、明確に犯罪とされていた行為の一つである。

流行りの孤島サバイバルは、デジタル上の器の中で、百人の殺し合いを仮想実現させて、最後の一人を作り上げるのだから、これは立派に蠱毒だと言える。

蠱毒の仕組み

ここからは、ぼくの完全に独自解釈の話になる。そもそも、蠱毒とは、最強の生物を作り出すような、そんな類の術式ではない。

勝ち残る個体は、いってしまえば運が良かったことの方が多い。範馬勇次郎のような最強生物でもない限り、たいていの生き物は運の良し悪しで生きている。

なので大事なのは、勝者ではない。たった一人の勝者に向けられる敗北者たちの無念と怨嗟こそが、蠱毒が発動する上で必要不可欠なのだ。

器に満たされた負の情動を術式に流し込むことで発動させる。蠱毒では、残った個体を祀るが、それは九十九種の敗者の魂を煽る目的もあろう。

孤島サバイバルが集めた炎は何処へ

術式ではないのだから、行き場のない憤怒の炎が、電子箱の中で渦巻いていることになる。もちろん、それは「次こそは勝つぞ」とプレイする糧となり、人々をハマらせていく円環を為すのだろうけども。

行き場なき魔性に魅入られる。そんな小学生が現れれば、鵺野鳴介の事件簿入りしそうだ。

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