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シュガーソングとビターステップの歌詞構成は世界中を驚かせてしまう

シュガーソングとビターステップ。

今年で16年目のロックバンドUNISON SQUARE GARDENがプロデビュー10年目に発表したメガヒットシングルです。
一般の方にも広くユニゾンの名が知れ渡ったこの曲はユニゾン代表曲になりました。逆にシュガビタしかユニゾンの曲を知らない方もいるのではないでしょうか。

ユニゾンは難解な歌詞、何を言ってるのかよく分からない歌詞と言われがちですがその実ちゃんとメッセージは込められています。それはシュガビタも例外ではありません。
なぜ作詞作曲の田淵智也さんは分かりやすい歌詞を書かないのでしょう?
それは歌詞カードを見ながら歌詞の意味を考える、「一聴では分からないなら それこそが贅沢な暇つぶし(mix juiceのいうとおり)」だからです。
という事で、贅沢な暇つぶしとして本日は私なりのシュガビタの歌詞考察・メッセージ解読をしてみましたした。

するとこの曲、驚きに驚きを重ねてくる深みのある激アツエモ構成になっていました。

ちなみに、日本語の歌詞を日本語で直訳した上に意訳が必要とかザラでした。やはりユニゾンの歌詞は一見日本語で書かれているようで日本語じゃありません。田淵語です。

本文ではなぜこのような歌詞解釈になったのかということをねちっこく説明していきますが、恐ろしく長くなりました。

短気な人は、最後に結論として私なりに意味を訳したシュガビタの歌詞を置いておきますのでそれを読んで下さい。


1番Aメロ・パート1

超天変地異みたいな狂騒にも慣れて
こんな日常を平和と見間違う
rambling coaster
揺さぶられながら見失えないものは何だ?

超天変地異みたいな狂騒は、非日常と言い換えられます。
ユニゾンはよくライブの事を遊園地に行くのと同じようなたまに訪れる"非日常"だと形容します。
「いつもの日々の中で、たまにの日常としてライブを楽しんで。とりあえず僕らはいつでもライブハウスにいるから、気が向いた時にふらっと寄ってれれば良い」という旨の話を作詞作曲の田淵さんは何度もしています。
その事からここで言う「狂騒にも慣れて」とは、彼らにとってはライブが日常になり、当たり前の日々になった事を表していると考えられます。

rambling coasterは直訳すると散漫な(不均整な)コースターです。
散漫ということは、このコースターにはレールが敷かれていない、目的地が無いのでしょうか。またコースターという単語には速いイメージが持てますよね。
これは移り変わりの激しい音楽業界を揶揄していると考えられますが、その理由は後々。

①②から

・超天変地異→非日常な体験
・狂騒→ライブ
・rambling coaster→移り変わりの激しい音楽業界

と置き換えると、1番Aメロの意味はこのようになります。

非日常な体験であるライブはユニゾンをやる中で
日常だと錯覚するようになった
移り変わり激しい音楽業界に揺さぶれる中で
見失えないものは何だ?


1番Aメロ・パート2

平等性原理主義の概念に飲まれて
心までがまるでエトセトラ
大嫌い 大好き ちゃんと喋らなきゃ
人形とさして変わらないし

平等性原理主義は、「平等性」と「原理主義」に分けられます。
田淵さんは「喧々粛々轟々」「静謐甘美」など、よくこうした造語を作ります。「rambling caster」や2番の「蓋然性合理主義」も同様ですね。
平等性は平等さ、等しさを意味し、そこに過激さを想起させる原理主義(元来は違う意味ですが)という言葉をくっつける事で、過激な等しさ、と訳せます。
これは日本の出る杭を打つ風潮、右ならえ風潮を揶揄したものでしょう。
ユニゾンの歌詞の中ではこのような「右ならえな風潮」を揶揄した歌詞を幾度も登場します。

エトセトラはいくつかのものを羅列する時に、使われる「その他」「以下略」という意味の言葉です。
つまり、主要ものではない、重要なものではない、優先順位が低い事を表します。

①②から

・平等性原理主義の概念→みんなと同じ、右ならえを過剰に押し付ける風潮
・まるでエトセトラ→優先順位の低下

これを置き換えると、意味はこのようになります。

「みんなと同じ」を過剰に押し付ける空気の中で
本心の優先順位すらも、エトセトラに入るくらい下がってないかい?
大嫌い、大好きをちゃんと表明しなきゃ人形と変わらないよ


1番Bメロ

宵街を行く人だかりは
嬉しそうだったり 寂しそうだったり
コントラストが五線譜を飛び回り
歌とリズムになる

宵街は夜の街を示します。
ライブが終わりハウスを出るのは大体20時〜22時頃、すなわち夜です。前の歌詞でライブが日常になった旨を語っているので、ライブ帰りの道を示しているとも考えられます。
または、仕事や学校などが終わった後の道ですね。

コントラストとは、直前に「嬉しそう/寂しそう」という対に近い言葉を使っていることから推測するに、感情の起伏を表していると考えられます。
また、五線譜を飛び回るのは音符です。その音符の音の「高い/低い」もまたコントラストです。これは2つの意味が掛けられているのだと思います。

①②から、

・宵街→ライブ帰りの道、あるいは普段の帰り道(演者の、あるいはリスナーの)
・コントラスト→感情の起伏、音程の高低のダブルミーニング

置き換えます。

夜の街(ライブ、または日常の帰り道)を行く人々の感情は嬉しそうだったり、寂しそうだったりと様々
人の感情には高低がある。それは音符となって五線譜の上を飛び回る
そして世の中に新しい楽曲が生まれる

このように解釈できます。

「人に感情の起伏があるから新しい楽曲が生まれる」

という説は一見突然出てきたかのように感じるかもしれませんが、実は似たような事がシュガビタよりも遥か前に出たシューゲイザースピーカーという曲で歌われています。

どんなヒットソングでも 救えない命があること
いい加減気づいてよ、ねえ
だから 音楽は今日も息をするのだろう

これとシュガビタのこの部分の歌詞を併せると

全ての人を救済する歌は存在しない。
あったら人は自殺をしないし、誰かを殺しもしない。
いつまでも安寧が訪れないから、人間は喜んだり悲しんだりができる。
その感情を人は音階(五線譜)に委ねて、音楽がこの世に生まれる。

という思想が田淵さんの中にはあるのではないかと考えられます。
ちなみに「救えない命」に「自殺」も入れたのは、
「人生はよく出来てる。だから生きて欲しい」
「現世にサラバだ?死んじゃったらもったいない」
というように、どうか自殺だけはしないで欲しいという意味の歌詞がユニゾンの曲には出てくるためです。

ちなみにこのシューゲイザースピーカー、トリビュートアルバムのThank you, ROCK BANDS!の中でThe pillowsにカバーされているのですが、そちらも爆裂バチボコにカッコイイので原曲と併せて是非


1番サビ

ママレード&シュガーソング、
ピーナッツ&ビターステップ
甘くて苦くて目が回りそうです
南南西を目指してパーティを続けよう
世界中を驚かせてしまう夜になる
I feel 上々 連鎖になってリフレクト

サビはまだ訳しません。
訳するには現時点ではピースが足らなすぎるのです。なのでここは一旦置いておいて、軽い解釈だけになります。

マーマレードピーナッツは、特に深い意味はなく、それぞれ甘い物と苦い物の代表として、語感が良いものを当て嵌めたものだと考えられます(田淵さんはよく雰囲気で言葉を当て嵌めます)。

ピーナツは甘くないですが、このピーナツとはピーナツバターなので甘いです。ユニゾンの武道館ライブの際に販売されたシュガビタTシャツにピーナツバターとして描かれています。

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甘くて苦くて目が回りそう、というのは、Bメロの「嬉しそうだったり寂しそうだったり」という歌詞の踏襲です。
なのでプラスな(甘い)感情とマイナスな(苦い)感情であると考えられます。

サビはまだ解釈しない、というのは正確には1番時点ではできないからです。なぜなら歌詞の進行上、この時点ではまだ分からない事が多すぎるのです。

シュガーソングって何?
ビターステップって何?
南南西って何?
世界が驚くのなんで?
上々なのなんで?
連鎖してリフレクトって何が?

これらはこの先に進まなければ分かりません。
とりあえず1番のサビで分かることは、ピーナツはピーナツバターということだけです。


シュガビタの「謎」について

全部謎だわ。

……と、言わないでください。わかりますが。
さて、次から2番に入ります。この時点で記事が恐ろしく長いのですが、まだ半分いってません。
これからもっと長くなるので辛抱強い方はこの先もお付き合い下さい。

さて、1番でシュガーソングとビターステップの謎は全て出揃いました。
2番からは本格的にユニゾンの方向性を歌っていくと同時に、謎解きに入ります。
1番で提示された主な謎は以下の7つです。

・見失えないものは何か
・シュガーソングとは何か
・ビターステップとは何か
・南南西とは何か
・世界はなぜ驚くのか
・何が連鎖するのか
・何がリフレクトするのか

これを念頭に後半に入りましょう。


2番Aメロ

蓋然性合理主義の正論に揉まれて
僕らの音楽は道具に成り下がる?
こっちを向いてよ 背を向けないでよ
それは正論にならないけど

ここからは1番のAメロBメロを理解していないと一気に意味が不透明になります。

蓋然性とは、平たくいえば「確からしさ」という意味です。
合理主義はそのまま、理性的に無駄をなくそうとする様です。
合わせると、「確からしい合理さ」となります。

②"正論"とは何か。
直訳すれば正しい論理という事ですが(日本語なのに直訳とは)、これはこの歌詞の中で最も意訳が必要な言語です(日本語なのに意訳とは)。

1番のAメロで、私はrambling coasterを音楽業界だと解釈しました。
では移り変わりの激しい音楽業界における「確からしい合理的な正論」とは何でしょう。

それは即ち「一般受けする音楽を作ること、売れる音楽を作ること」です。

僕らの音楽は道具に成り下がる?と、明らかに不服の意を示していますよね。
つまり、「蓋然性合理主義の正論に反した音楽」を「僕ら」はしているのです。
正論でない音楽。
それはつまり、邪道な音楽です。

一般受けする音楽は歌詞がわかりやすいです。
ユニゾンの音楽は歌詞が意味わからないと言われます。

一般受けする音楽は曲の流れが分かりやすいです。
ユニゾンの音楽は転調や変拍子や謎の奇声などが盛り込まれています。

一般受けするライブは観客を煽って一体感を出して、MCの時間をしっかり取ります。アンコールもします。
ユニゾンのライブは基本放置です。煽らず、踊るも動くも座るも観客の好きにさせます。
MCは最低限で、無いこともあります。
アンコールで一旦退場する時間が勿体ないと、フェスでは基本アンコール無しで持ち時間を目一杯使って、曲だけを聴かせて帰らせます。

どちらが良い、悪いではなく、ユニゾンは彼らの美学の下そうしています。
けれどそのスタイルは、音楽業界において決して王道ではありません。

僕ら」とは、UNISON SQUARE GARDENであり、邪道な音楽を愛するリスナーであり、つまるところマイノリティなのです。

※ややこしいけどオタク特有の面倒臭いこだわりですが、ユニゾンは自分たちとリスナーを「僕ら」で一括りにはしません。ユニゾンの3人と、邪道な音楽を愛する人たちは括り方としては分けられてると思います。

そんな「邪道な音楽」が自分たちの美学なのに、売れるために意図的に曲げてしまったら、その音楽はアーティストの道具ではないか?

「邪道な音楽」を愛する心を、周囲に合わせるために曲げるのは、音楽は本来自由なものなのに、そのリスナーにとっては道具になってないか?

そう歌っているわけです。

そしてどういう時に、音楽を道具にしてしまうのか。
ここに繋がるのが1番のAメロパート2

平等性原理主義の概念に飲まれて心までがまるでエトセトラ。人形とさして変わらないし
同調圧力に飲まれて本心の優先順位が低下し、人形と変わらない状態

これなんです。

1番の時点でアレ?となった方もいるかもしれませんが、1番Aメロパート2、それ以外の部分では音楽の話してる中で、いきなり「本心の優先順位下がってない?」という啓発的な話になっていて、流れとしてちょっと浮いてるんです。

その違和感を2番Aメロという同じ箇所で補足します。

本心を殺して人形になってしまった時、人は音楽を道具にしてしまうんじゃないか
このように意味が繋がってくるのです。

はえ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
なんて鮮やかな伏線回収………。

と、思うでしょう。
ですがこの後は、こういう伏線回収のオンパレードです。楽しみにしててください。

こっちを向いてよ 背を向けないでよ は誰が誰に言っているのでしょう。
邪道好きのマイノリティが、マジョリティ、大衆、王道に対して言っている構図です。
(ユニゾンからファンに向けた言葉とも捉えることは可能ですが、彼らの方向性上「僕らを見ててね」なんて言わないです)

正論にはならない、の「正論」は比較的原義に近いです。正当性がないという事です。

移り変わりの激しい音楽業界で、見失えないものは何か?と前もって提示し、それについて自己問答する思考が2番Aメロになります。
では訳します

①②③④から
・蓋然性合理主義の正論→ 一般受けする音楽を作り、王道なライブをすること
・道具に成り下がる?→自分の方向性を意に反して曲げること
・それは正論にならない→「見捨てられないために」というのは音楽を道具にする事を正当化してくれない。

となります。訳すと

「一般受けする音楽とライブをする」という音楽業界の正論
でも意に反して音楽性を変えた音楽は道具じゃないか?
「見捨てられないために」というのは
自分たちの音楽を捨てる事を正当化してくれないけど

これが2番Aメロだと考えます。
しかし相変わらず、「見失えないもの」の解答にはたどり着いていませんね。


2番Bメロ

祭囃子のその後で 昂ったままの人
泣き出してしまう人
多分同じだろう
でも言葉にしようものなら稚拙が極まれり

=非日常、囃子=音楽ということで、祭囃子はライブの事でしょう。
ここで歌われるのはライブをやりきったアーティストの心理であり、またライブ帰りのリスナーの心理ですね。
ちなみに田淵さんの昂りはライブ中の暴れ方に出ていますが、ライブ後の打ち上げではよく泣いてるそうです。

一応訳しますが、あまり変わらないですね

ライブの後、感情の表し方が違っても、きっと受けた感動の大きさは変わらない
けれどその感動を言葉にしようとするとどうにも言葉が足りなくなってしまう


2番サビ

最高だってシュガーソング
幸せってビターステップ
死ねない理由をそこに映し出せ
惜しがったって等速で明日は来ちゃうけど
脳内天気予報のアップデートを果たしたなら

最高だって / 幸せって 、これどちらも後に続く言葉の区切り方をしていますよね。
けれどこのままだと意味が通りません。
ということは、シュガーソングもビターステップも、どちらも文になってる可能性が高いわけです。
田淵さんはよく、日本語の単語と音が似てる英語を並べ立てる言葉遊びをします。
kid, I likeで喜怒哀楽とかね。その法則がここにも適応されているのではないか、とファンの間では言われています。つまり

シュガーソング→シュガ/ア/ソング→Sing a song

ビターステップ→ビタ/ア/ステップ→Beat a step

という事です。

「最高だ」って歌って
「幸せ」ってステップを刻む

このように突然意味が通りますね。

等速で明日は来ちゃうの等速とは秒針の速さ、つまり時間の経つ速さは何時いかなる時も等しい事を表しています。

脳内天気予報のアップデートとはおそらく感情の切り替えを表しています。
1番Bメロの「嬉しそうだったり寂しそうだったり」を晴れ模様、雨模様と置き換えた上で対応させてるのだと考えられます。

①②③から
・シュガーソング→シング・ア・ソング
・ビターステップ→ビート・ア・ステップ
・等速→時間
・脳内天気予報のアップデート→感情の切り替え

「最高だ」って歌って、「幸せ」って踊って
死ねない理由をそこに映しだせ
楽しい時間(ライブ)が名残惜しくても、時計はいつもと同じ速さで時を刻んで明日がやってくる
けれど気持ちの切り替えができたなら

という意味になる訳です。


ユニゾンの葛藤について

Cメロからラスサビの解説に入る前に、UNISON SQUARE GARDENというバンドの過去の説明を挟みます。

なぜシュガーソングとビターステップという曲に、「音楽業界での正論」だの「音楽性」だのといった一見飛躍したような解釈が生まれるのか。

シュガーソングとビターステップは、ユニゾンがプロデビューを果たしたバンド活動10周年目、初の武道館公演決定、初のベストアルバム(シングル曲を一つも入れないという捻くれ散らかした名盤) の発売決定、という彼らの活動史上最も節目となるタイミングで発表されたシングル曲だからです。

一風変わった彼らのスタイルは今でこそユニゾンらしさとして確立しましたが、駆け出しの頃はライブや音楽の方向性について随分と揉め、迷走した(本人談)そうです。それこそ「売れやすい路線に変えるかどうか」という点で。

それを知っているコアなファンは、シュガビタの歌詞を見た時点でこの曲はユニゾンの決意を表面する歌だというのは言われるでもなくピンと来ていると思います。

先述した通りらユニゾンが非常に独特な歌詞や曲を扱うバンドだと言うのは、例えユニゾンのことをよく知らなくても「作詞作曲 : 田淵智也」の字面を見ただけで分かる人は分かるのではないでしょうか。
ライブスタイルも世の中の主流と比べると些か外れています。
けれど迷走期は今と違って、ライブで煽りもしましたし、ロックにいくか、ポップにいくか、わかりやすい曲を作るか悩み、メンバー内でもピリついた時期だったそうです。

今の、ポップもロックもやる。
分かりづらい歌詞と難易度の高い曲でやる。
ライブは煽らない。
MCは最低限という方向性が固まってきたのがオリオンをなぞるをリリースした辺りです。

ウケやすい音楽か、やりたい音楽か。
観客の一体感を煽るライブか、自由に過ごさせるライブか

これらがかつてユニゾンが激しくぶつかった壁であったという事を知っていると、シュガビタにはより一層の深みが出ます。

それを乗り越え、スタイルを確立し、ついに迎えた10周年目
発表されたシングル、シュガーソングとビターステップ

2番のサビも終わり、曲はいよいよ佳境に入っていきます。

さて。

ようやくです。ここまでの歌詞でばらまいた伏線が、この後一気に回収されていきます。
ここに書いた事全部、この先のシュガビタ謎解きタイムに必要な事でした。
ここまで読んでくださった方、本当にお疲れ様です。

1番で提示された謎の確認をしたいと思います

シュガーソングとは何か→シング・ア・ソング=歌を歌うこと
ビターステップとは何か→ビート・ア・ステップ=ステップを刻むこと(踊ること)

残りの謎は5つ

見失えないものは何か
南南西とは何か
世界はなぜ驚くのか
何が連鎖するのか
何がリフレクトするのか

ほぼ答えの出ているものもありますが、順を追って見ていきましょう。


Cメロ

someday 狂騒が息を潜めても
someday 正論に意味がなくなっても
feeling song & step 鳴らし続けることだけが
僕たちを僕たちたらしめる証明になる、QED!

狂騒は1番Aメロに出てきましたね。
ライブの事です。
技術の進化により今や音楽は画面越しに聴く(観る)ものになっていきました。そんな中でいつの日かライブ体験が下火になるかもしれないことを歌っています。

正論とは、2番Aメロに出てきた蓋然性合理主義の正論……つまりウケやすい音楽と王道なライブをすることです。
けれど音楽の多様化が進み、リスナーもそれぞれがそれぞれの好きな音楽"だけ"を聴く時代では、一般受けというもの自体が無くなる日が来るかもしれないと歌っています。

Q.E.D.は証明終了を表す言葉です。ここで証明されるのは「僕たち」です。
2番Aメロの「僕ら」。それはUNISON SQUARE GARDEN、そして邪道な音楽を愛するリスナーです。

一般受けしない曲でも、鳴らし続ける事で自分たちはここまで来た。
貴推さんのドラムと、
斎藤さんのギターボーカルと、
田淵さんのベースと曲による確立したスタイルは、今や彼らがUNION SQUARE GARDENだと証明するものになった。

10年目にして彼らはそう宣言したのです。
奇しくもシュガビタは大ヒットを飛ばしましたが、その後のユニゾンは殊更「いつも通り」をモットーに活動するようになりました。

いつも通りの田淵節の強い音楽を、いつも通りの会場で、いつも通りのメンバーで、いつも通りのクオリティで演奏する。
それ以上もそれ以下もない。
一般受けも狙わなければ、バカ売れしたくもない。
テレビよりハウスにいる。
なぜなら自分たちは、自分たちの音楽でライブがやりたくて、バンドやってるから。

その宣言通り、武道館ライブでもユニゾンはいつも通りの演奏をし、銀テすら飛ばしませんでした。

同様にリスナーも、邪道でもマイナーでもその音楽を愛する本心がその人をその人らしくする。

①②③から

見失えないものは何だ?
→僕たちを僕たちたらしめるもの

というメッセージが見えてきます。

以上を踏まえて訳すとこうなります。

いつの日か ライブが下火になっても
いつの日か 「普遍的な一般受け」が無くなっても
歌とステップを感じて、本当に好きな音楽を見失わず鳴らすことが
僕たち(あるいは君)を、他の誰でもない、僕たちだと証明してくれる、Q.E.D!

そんなパートになります。
熱すぎる。少年漫画でいうラスボス戦前の覚醒シーンのようですね。

1番の冒頭で投げかけた問いをCメロで回収する構成も化け物なんですが、こうしてめちゃくちゃに盛り上げた先に待ち受ける最高に盛り上がるラスサビが続きます。


ラスサビ・1

ママレード&シュガーソング、
ピーナッツ&ビターステップ
生きてく理由をそこに映し出せ
北北東は後方へ その距離が誇らしい
世界中を、驚かせ続けよう

マーマレード/ピーナツは対、コントラストになっていますね。
1番Bメロから、コントラストになっているものは感情と音程です。
そしてシュガビタはマーマレードの&は「に」と読んで、ピーナツの&は「アンド」と読みます。
このことから
「嬉しい時に歌って」「高い音に歌って」
「寂しい時と踊って」「低い音と踊って」
となります。
※嬉しい時と高い音、寂しい時と低い音はイコールではなく、マーマレードやピーナツという言葉が持つ2つの意味なので併記します。

北北東は、南南西の真反対に位置します。
この歌の中で「僕たち」は「南南西」へ向かっていて、「北北東」は遠くに。
もうこの方角が何を表すかは明白です。

南南西は邪道、マイノリティ
北北東は王道、一般受け

自分たちが良いなと思う音楽&ライブだけれどそれは、北北東(=正論=大衆受けする音楽、MCを沢山したり、ファンサしたり、煽るライブ)とは真反対に位置する。

自分たちの信念を貫けた証である北北東との距離が、今では誇らしい。

そのような歌詞になっているのです。

1番2番でサビの解説をちゃんと出来なかったのは、Cメロまでの流れが分からないとサビに散りばめられた単語の意味がわからないためでした。
ピースは揃った今、続々訳し行きたいと思います。

③「世界中を驚かせ続けよう」ですが、ユニゾンの中で歌われる「世界」というのは基本的に各国ではありません。
私たちが生きている範囲の空間が私たちにとっては世界の全てで、そのことを指して「世界」と呼んでいます。
人、及び世間は、一般的ではないもの、予想だにしないもの、邪道なものに対して驚きます。

つまり、「邪道な音楽・変な音楽を僕らを取り巻く世界に対して流し続けよう」となります。

①②③から

嬉しい時/高い音に歌って
寂しい時/低い音と踊って
生きてく理由をそこに映しだせ
一般受けとは遠く離れたけれど
その距離が誇らしい
邪道な音楽で、世間を驚かせ続けよう


ラスサビ・2

ママレード&シュガーソング、
ピーナッツ&ビターステップ
甘くて苦くて目が回りそうです
南南西を目指してパーティを続けよう
世界中を驚かせてしまう夜になる

I feel 上々 連鎖になってリフレクション
goes on 一興去って一難去ってまた一興

目が回りそう なのは、嬉しい/寂しいの感情の起伏と、高い/低い音程の差、それをベースに感情、日常、音楽業界、楽曲の展開、ライブ、ありとあらゆるものの甘い側面と苦い側面に対しての言葉だと思います。

パーティー祭囃子と同じくライブです。
南南西(=邪道)を目指してライブを続けよう。
この続けようは、ライブそのものだけでなくバンドとしての活動も指すと思います。このスタイルでこれから先の活動を続けよう、と。

I feel 上々 連鎖になって
上々とはこの上なく良い、非常に良い事です。2番サビの「最高」「幸せ」と同じです。

そして「上々だ」と感じている( feel )しているのは、I なので、当然ながらこの曲の一人称である「僕ら(ユニゾン)」です。
そしてマイナー音楽好きのリスナーです。
連鎖するのは、その「最高だ」という感情ですね。

リフレクション
ついに最後の謎解きです。
リフレクションとは、反射、反映という意味の単語です。これが動詞になると反射する、映し出すという意味になります。
作中で「映し出せ」という歌詞がありましたよね。
そう、それは「死ねない理由」「生きてく理由」です。

「最高だ」という感情は連鎖して、自分の、あるいは誰かの死ねない理由、そして生きてく理由を映し出す

こうなります。

⑤そして、goes on(続く)。
バンド活動が、日常が続きます。
それは、楽しい事(一興)が過ぎて
苦しい事(一難)が来て過ぎて
また楽しい事(一興)が来るということです。

①②③④⑤から訳します。

嬉しい時/高い音に歌って
寂しい時/低い音と踊って
音楽も、業界も、ライブも、人生も、何もかも展開が目まぐるしい
邪道でも好きな方向を目指してライブを続けよう
この音楽で、僕らが生きてる世界を驚かせてしまう夜になるよ

最高なこの気持ちは連鎖して
死ねない理由を映し出す
甘くて苦い日常が、また続いていく

締め

You got happiness, pharse and melodies !

締めですね。
これはもう直訳で良いと思います。どこで区切るかによって若干意味が変わりますが、斉藤さんの歌い方通りに区切ると上記のようになります。
訳:君は幸せを手に入れた。(それは)フレーズと音楽


総括

本当に好きなものを見失わずに楽しめば、その中に死ねない理由が映し出されて、目が回りそうな日常が続いていく

総括するとこのような歌詞になっている訳です、シュガーソングとビターステップは。

ということでシュガビタ解釈でした
3分そこらの楽曲に何文字使ってるん??って感じですよね。でもそういうアーティストなんです彼らは。沼は深いですよ。

この曲は曲の中での謎解き構成が最高に上手いですねー。
最初に謎を提示して、ラスサビ前で解答編、その後一気に伏線回収してエピローグに繋げるあたりが気持ちいい………あの推理小説の話してませんよ、曲の話です。

考察がこんなに長くなったのは、この曲の単語や文がいくつもの重複した意味を持ってるからです。
けれど、これ血界戦線のタイアップ曲なんでこの考察の上に、更に血界戦線のオマージュも散りばめられてるんですね。「超天変地異」「平和と見間違う」とか。
その辺全部削ってこれです。

一般受けは気にせず邪道な方向にいくぞー!!って曲が一番ファン層以外に浸透してのもまた面白い現象だなと思います。

ちなみにユニゾンは楽曲のクオリティはこの通り歌詞も曲も難解ながらも高いのですが、曲中何度もライブに強い意識を向けているように彼らはライブ技術がエグいです。
ユニゾンってなかなか音楽番組などに出ないのですが、メンバー曰く「3日に1日はライブしてる」というくらい彼らは現場にいます。

ユニゾンのライブを観た人が口を揃えて言うのが「演奏技術が高すぎる」ということです。

あの最高難易度の歌詞を、音程を外さず完璧に歌いながら複雑なギターを弾きこなす斎藤宏介。
手数の多さと正確さで曲の基盤を絶対にブレさせないドラム鈴木貴雄。
暴れてるのに何故かちゃんと弾けてるし何故かコーラスも出来てる田淵智也。
性格も趣味もバラバラな3人は、各自の武器を研ぎ澄まして最高のライブパフォーマンスを見せます。
ユニゾンのライブ本当に最高なのでオススメです。

きっとあなたの世界が驚く夜になります。


おまけのエモポイント

ユニゾンの1stシングル、センチメンタルピリオドに、「高性能のヘッドホンなんで、世界の音も聞こえません」という歌詞があります。

この時、ヘッドホンをして、自分だけに好きな曲を聴かせて世界の音を聞かないフリをしていたステレオ少年は、10年後にシュガーソングとビターステップというキラーチューンを引っさげて、世間と折り合い付けつつも依然邪道な音楽で武道館公演1万5000人に向かって自分の音楽を鳴らしました。

熱い……………
少年漫画か…………?​

ここまで読んでくださってありがとうございます。きっとシュガビタ聴きたくなったことでしょう。
シュガーソングとビターステップのライブ映像こちら

シュガビタの意訳まとめ

非日常な体験であるライブも
今や日常だと錯覚するようになった
移り変わりが激しい音楽業界に揺さぶれる中で
見失えないものは何だ?

「みんなと同じ」を至上とする空気の中で
本心の優先順位が下がってないかい?
大嫌い、大好きをちゃんと表現しなきゃ
人形と変わらないよ

ライブ(または普段の)帰りの夜の道中をいく
嬉しそうだったり寂しそうだったり、
様々な感情の人達
そんな感情の起伏は音符となって五線譜を飛び回り
世の中に新しい歌とリズムが生まれる

嬉しい時に歌って/高い音に歌って
寂しい時に踊って/低い音と踊って
なにもかも展開が目まぐるしい
邪道でも好きな方向を目指してライブを続けよう
この音楽で世界中を驚かせてしまう夜になるよ

「一般受けする音楽とライブ」という音楽業界の正論
でも意に反して音楽性を変えた音楽は道具じゃないか?
「見捨てられないために」というのは
"自分の音楽"を捨てる事を正当化してくれないけど

ライブの後、感情の表し方が違っても
きっと受けた感動の大きさは変わらない
けれど感動を言葉にしようとすると
言葉が足りなくなってしまう

「最高だ」って歌って、
「幸せ」って踊って
死ねない理由をそこに映しだせ
楽しい時間が名残惜しくても、時計はいつもと同じ速さで時を刻んで明日がやってくる
けれど気持ちの切り替えができたなら

いつの日か ライブが下火になっても
いつの日か 「普遍的な一般受け」が無くなっても
歌とステップを感じて、本当に好きな音楽を見失わず鳴らすことが
僕たち(あるいは君)を、他の誰でもないと証明してくれる、Q.E.D!

嬉しい時に歌って/高い音に歌って
寂しい時に踊って/低い音と踊って
生きてく理由をそこに映しだせ
一般受けとは遠く離れたけれど
今ではその距離が誇らしい
世界中を驚かせるような僕らの音楽を鳴らし続けよう!

嬉しい時に歌って/高い音に歌って
寂しい時に踊って/低い音と踊って
なにもかも展開が目まぐるしい
邪道でも好きな方向を目指してライブを続けよう
大好きな音楽が、僕の生きている世界を驚かせてしまう夜になる

最高な僕のこの気持ちは人に連鎖して
死ねない理由を映し出す
一興も一難もある、甘くて苦い日常がまた続く

(君は幸せを手に入れた。フレーズと音楽をね)

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