見出し画像

週末に本を手放せないひと

  自分から、本を読むということを取ってしまったら、この経験のない私は、泣きべそを書くだろう。それほど私は、本に書かれていることに頼っている。1つの本を読んでは、パッとその本に夢中になり、信頼し、同化し、共鳴し、それに生活をくっつけてみるのだ。
ー太宰治 『女学生』より

全然起きあがれなかった。目を覚まして、顔の横に置いてあるスマートフォンを見て、自己嫌悪に陥る。17時を過ぎていた。冗談みたいだ。布団がぬくい。指先と鼻先が冷たい。

ああ、なんでいつもこうなんだろう。毎週末、飽きもせず、わたしは午後まで眠ってしまう。気だるさ、自己嫌悪、無力感で、重力が3割り増しでかかった腕をゆらりとあげて、手の甲を額に当て、目を閉じる。そのまま、ズズリッ、と手の甲は丸いおでこでカーブを描き、柔らかい枕へ。ベッドと枕の間に落ち込んだハードカバーの存在を、指先が感じてる。いつ読みかけた、なんてタイトルの本かもわからない。ため息だって、ついてしまう。

本当だったら、と思う。
本当だったら、朝と認識できる時間に起きて、洗濯をして、シーツも枕カバーも洗って、布団も干すはずだったし、なんなら、トイレ掃除までしよう思っていた。そして、お昼はカフェで食べて、午後はショッピングをして、帰ったら本棚からあぶれた積読を一気に消化する予定だった。何度目の遅すぎる起床に落胆すれば、私には無茶な休日計画だ、と学習するのか。
身体も脳も、心も重く沈み込んで、ああ、なんだか、せっかくの休日なのに、楽しむ気分がこぼれていってしまう。

パチッと眼がさめるなんて、あれは嘘だ。濁って濁って、そのうちに、だんだん澱粉でんぷんが下に沈み、少しずつ上澄うわずみが出来て、やっと疲れて眼がさめる。
ー太宰治 『女学生』より

とにかく、起き上がろう。手に、腕に力をいれて、なんとか身体を支え、まずは上半身。北向きの部屋、シンッと冷え切った空気が、起き上がった身体に触れる。窓の外は音もなく、雪が降っていた。春の雪、異常気象だ。毛布が大きく動いたせいで、知らぬ間にベッドの足元に追いやられた本が数冊、ドザドザと床へ落ちた。冷たい床につけた足指を見ると、甲が少し赤くなっている。いつぶつけたのか、記憶にないので、そっと見えないふりをした。

歯を磨いて、顔を洗って、水道水をコップ1杯分飲んで、またベッドの側に戻る。いつまでも眠気を引きずるまい。寝間着のスウェットをポンポン脱いで、ベッドに放り、クローゼットにかかった厚手のワンピースをガボッと被るように着る。着て、くるっと周り、裾が広がる様を楽しむ。目が覚めてきた。素足なので、足ばかり冷える。

昨日、寝る前に読んで、寝たあとにベッドから落としたらしい太宰の短編集(新潮文庫。表題は『走れメロス』)と、昨日飲んだビールの空き缶をひらった。ちょっとの希望を込めて、缶に口をつけてあおってみる。一滴も落ちてこない。床の上にポコポコ立っている本の塔をよけ、キッチンに向かいつつ、キャシャンと凹ませてからゴミ袋に入れ、『女学生』部分を開いて読む。いつも『女学生』からばかり読みなおしてしまう。すっかり癖がついていて、両手より断然、片手で、片手間に読むほうがいい具合の文庫本に育ってしまうほど。

さっき缶を潰した手で冷蔵庫をあけ、取り出した牛乳をそそぐ。トットットッ、と日本酒をそそぐのと同じ音がしたので、電子レンジにかけて温めることにした。足の裏が冷たくて、ブゥンと電子レンジが動いている間、片方の足の裏を、もう片方の足のふくらはぎに押し当てて、交互に温かみをえる。起き上がってから、部屋の暖房はおろか、電気もつけていない。

おやすみなさい。私は、王子さまのいないシンデレラ姫。あたし、東京の、どこにいるか、ご存知ですか?
-太宰治 『女学生』より

電子レンジの完了音を無視して『女学生』を読み終えると、東京にきて10年経ったことに気がつく。あたためた牛乳はすでにつめたくなっていた。もう一度電子レンジにかける。今度はあたためすぎて、牛乳に薄い膜がはっていた。膜を上手に舌ですくって、ズズッとすすって飲む。本を食器棚の隙間に仮置きし、もう一度、なまあたたかい液体をすする。舌先はすぐに火傷するのに、唇を火傷したことは、そういえばない。
『女学生』は「おやすみなさい」と言ったけれど、わたしの今日はこれからだ。足の裏を、ふくらはぎでこすりながら、きょうこれからを考える。

◼️

遅い時間に起き上がって、”きょう”について毎週末考えるけれど、結局外出しよう、と決める。眠っていた時間が長いほどに、“なにかした”と感じてから1日を閉じたい。布団の中でだけ過ごす時間は、魅力的なのに、どうしても不安。外出は、”なにかした”実感と行動が伴って、安心する。

ゆるく降っていた雪は、雨に変わっていた。吐く息が仄白く、ワンピースの裾とマフラーの隙間から、ヒュルリンと入り込む風はただ冷たい。早く電車の中に滑り込んでしまいたいけれど、電光掲示板によると、電車はまだ1つ前の駅に停車中らしい。身体にぎゅっと力をいれて、寒さに鈍感になろうとしても、寒いものは寒かった。本当は春であっても、ヒートテックもウールのコートもしまえないし、しまわなくて正解。

目の端がチラッと光る。わたしが乗り込む電車がホームに近づいてきていて、冬の薄暗い景色に、ライトがいっそう発光して見えた。レーザー光線、に似てる。お日様の、友好的なおおらかさがなく、いつだって攻撃的で、視神経をぶっ刺してくる。でも、電車に乗り込んでしまえば、どんなに座席が空いていても、蛍光灯の明かりは柔らかく、空気は暖かい。
座席に腰掛けると、ふくらはぎにぬるい熱風があたった。あくびを噛み殺し、コートのポケットから、文庫本を取りだす。起き抜けに読んでた、新潮文庫の『走れメロス』。腰の位置にある大きなポケットの中は、片方にクレジットカードと定期とスマホ。文庫本が入っていたもう片方はリップクリームひとつと、家の鍵。必要なものは全部ポケットに収まる気軽さ。手荷物は、空色の傘だけ。

読みつつ、なんだか集中できず、ちらり周りを伺う。私の斜め前に、先程ホームで一緒に立っていた男子高校生。そうか、彼も、どこかに向かって、電車に揺られている。


私たちには、自身の行くべき最善の場所、行きたく思う美しい場所、自身を伸ばして行くべき場所、おぼろげながら判っている。
ー太宰治 『女学生』より


急に、電車が停車した。ガクンと身体が左右に揺れる。慣性の法則だ、といつも自分の知識を確認する。男子大学生が、イヤホンをかたっぽだけはずして、車内アナウンスを待っていた。急停止信号。目的の駅のひとつ前に近い位置で止まったらしい。ホッとして息を吐き、前を見たら窓ガラスが曇っていた。乗り過ごさないようにと緊張して、身体が強ばる。文庫本は膝の上で、固く閉じた。

外出する先はだいたい、美術館、映画館、百貨店。ご飯屋さんも、たまにいく。きょうは美術館にいこう。電車のドアが開く直前に決めて、大股で軽快に、駅のホームから改札まですり抜ける。街頭や電飾で、都会の夜はいつも明るい。アスファルトを等間隔に照らすだけの電柱ですら洗練されているような気がして、実家のある田舎のあぜ道を照らす電柱とつい比べてしまう。大都会を象徴する交差点で、日焼けした広告の剥げた電柱の侘しさを思い出す。

そういえば、弟からLINEがきていた。既読スルーしたまま、メッセージの内容も覚えていない。実家で一緒に暮らしていた頃の弟は、わたしの部屋に増え続ける本の塔を見るたび「ほんまに全部読んでるん?」と睨んでばかりだった。友人とボールを追いかけ回し、しなやかな筋肉と日焼けした手足をもつ、動物みたいな弟と、本ばかり読んでいるわたしとでは、心惹かれるものが真反対にあるせいで、どこか他人行儀なことが気になっていたけど、一度離れてみると、それが正解だったのかもしれない。


肉親って、不思議なもの。他人ならば、遠く離れるとしだいに淡く、忘れてゆくものなのに、肉親は、なおさら、懐かしい美しいところばかり思い出されるのだから。
ー太宰治 『女学生』より


美術館に入ってすぐ、弟が「俺、太宰きらい」と言って国語の教科書を放って投げたことを思い出してしまって、展示の内容がまったく頭に入ってこなかった。また行けばいいや、と思う距離に美術館があってよかった。来週末にでも、行こうと決めたら行ける。もし、きょうを覚えていたら、いっしょに連れて行く本から太宰作品は避けたほうがいいかもしれない。

霧雨のような雨は止んでいた。地面が濡れて、テラテラ光っている。誰かのブーツが、小さな水面を無遠慮に揺らす。


最後まで読んでくださりありがとうございました。スキです。