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10 怒る=他人の思考に依存

 前回は人がシンプルな答えを求めるのは思考力が低下している為だと書きました。今回はもう一つ別の思考力の低下現象についてです。

 怒る人は世の中を見回しますとけっこう多いものです。学校の先生、昔は怒る人がけっこう多かったものですが、今はどうでしょう? 会社の上司の中にも怒る人はいます。ある企業の社長も怒る事で有名だったりしますが、あえて名前は出しません。

 私たちが誰かに怒られる時、私たちは無意識に怒られるような事をしてしまったんだと自分を責めます。ああ、失敗したのは自分の努力が足りなかったのだ。これができなかったのは自分の実力不足だ。もう少し勉強すれば良かったのに。彼ができて自分ができないのは自分がダメな人間だからだ。こんなふうに考えてしまいます。実際には努力して、工夫して、それなりに時間を費やしたり、資料や本をたくさん読んだりしていてもです。わかっていて怠けていたならば自分で自分を責めるのも仕方ないかもしれませんが、あまりそんな人はいないでしょう。

 ここで考えなければいけないのは、怒られる方ではなくて、怒る方です。なぜかわかりますか? 怒る方は他人に考える事や労力を費やす事、そして結果を出す事を依存しているのにその自覚が無いという事です。私は上司だから部下の仕事を評価するのだ。私は夫だから主婦である妻が子供を見るのは当然だ。そんなふうに言うでしょう。そして結果が悪ければ怒ります。相手が部下であろうと妻であろうと、その他の誰かであろうとそれは他人に過ぎません。その他人は自律的に生きている別の人格の人間ですから、よほどきちんと説明できていなければ思い描く正解は多少なりともズレています。正解の範囲も違うはずです。それにも関わらず怒るのです。おかしいと思いませんか?

 怒る人は前のところで書きましたように、問題→シンプルな答えの思考、でなく反応をしています。問題を思う時に同時に答えを思い、問題と答えの中間にあるはずの思考や行動による紆余曲折をスキップしてしまい、その部分を他人に押し付けているわけです。そうなればどうあっても完全に満足できる正解には至りません。あたりまえの事です。そのあたりまえがわからない。

 笑い話のような本当の話ですが、ある大手企業に勤務する海外に出張で出ている人たちの中でOKYという隠語があるそうです。海外で仕事をすると日本とは大きく勝手が違いますので予定が遅れたり、日本で簡単にできていた事ができないという事が多々あります。日本の本社にいる人たちにはそれがわかりません。そこで、海外にいる人たちに向かって「なぜできない!」「そんなの簡単じゃないか!」と言うそうです。海外に出ている人たちは言い返す事ができないので、陰でこう言います。(O)おまえが(K)こっちで(Y)やってみろ! 日本にいる方は命じる方ですからとてもシンプルに結果を予測します。つまり現地の人たちに依存して考えのを止めているのです。命じられた方はそのシンプルな結果に合わせるのがとても大変なのです。

 そうしたわけで、「怒る」も思考をサボっている状態の一つと言えます。また、怒られる方も新たな恐怖を得て、それに駆り立てられて生きなければなりませんからそれもまた大変です。理不尽なものです。

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