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32 遺伝子に逆らう人生

 前回は、人生の場合、問題が誰かから提示されて答えを出す方式ではなくて、自分自身の答を自分で最初に用意しておくという話でした。

 とは言え、受けてきた教育の成果はいつでも私たちの頭を問題待ちにしてしまいますから、その方法を今すぐに変えるというのはなかなか難しいでしょう。ここにもう一つ、難しいかもしれない課題がありそうなので書いておきます。それは遺伝的な癖の問題です。


 たまたまですが、今日、久しぶりに弟から電話がありました。お互いに仕事や家庭を持ちますと会ったり電話で話したりもしなくなります。今日は仕方のない事情で連絡を取り合う事になって少しだけ話す事になりました。

 電話に至る事情については関係ありませんので書きませんが、電話口でなぜか弟は怒っていました。私にはその理由がわかりませんでした。彼はただ連絡を私に伝えれば良いだけだったからです。あちら側で何かあって八つ当たり? それとも何かの誤解? 考えたところでわかるはずもありません。

 彼が怒っている理由を想像しながら、私の頭の中に出てきたのは数年前に亡くなった父の事でした。弟のその怒り方が父のそれに似ていたからです。私が覚えているのは私が小学生の頃からの事ですが、父は夜に仕事から帰りますといつでも怒っていました。怒って母と喧嘩をするのは日常の事になっていて、私と弟はとばっちりを避けようとできるだけ近付かないようにしていました。ですが、小さな家ですし、逃げるといったところで襖一枚隔てた隣の部屋ですから逃げようがありません。記憶の中ではかなり頻繁に頭をゲンコツで打たれていたと思います。理由は全く記憶にありません。なぜなら、自分はイタズラしたり悪ふざけしたりするような子供ではなかったからです。

 それからずっと経って、私も弟も友人たちとの関係が深まって外へ出る
ている時間が多くなりました。誰でも高校生や大学生になればそうなるようにです。私も弟もできるだけ家族といる時間を作らないようになり、私は弟とも疎遠になりました。そしてお互いに仕事に就くと家を出ましたから、どんなふうに生活しているのかがわからなくなりました。ただ言える事は、私も弟も父から離れたかったという事でした。

 そうしてさらに数十年が過ぎ、私は年老いて足腰の弱くなった母に対する弟の態度を目の当たりにしたのです。同居ではありませんから母のところに来るのですが、来るなり怒った様子でした。最初は多少認知症的で我儘を言うようになった母の介助に疲れての事かと考えていましたが、そのうちにもしかすると父に似てきたのかなと感じ始めました。親子ですから元々似てはいるわけですが。

 そして今日の電話です。やはり遺伝的なものが作用している気がしています。実は、驚く事に妻の姉にもそうした様子が見てとれます。こちらは両親でなくて、おばさんですが。妻と姉が嫌っていた理不尽に怒るおばさんがいたのですが、妻から見ると姉の怒り方はまさにそのおばさんをイメージさせるのだそうです。

 私たちのイメージの中では、人間は自分自身で考えて好きなように生きられるもののはずです。ですが、研究者に言わせますと、例えば音楽の才能は遺伝の影響が割合強いとか。その方にもスポーツその他、遺伝的に才能を引き継いでいるものがけっこうあるとわかってきているそうです。その中で怒りやすいというのは誰も言ってはいませんが、もしかするとあるかもしれません。

 東南アジアのある地区の人たちは人当たりの良い優しい人たちです。ですから観光で行くと印象がとても良いのです。ただ、何かがあって怒り出すのが急で激しいという面も実は持ち合わせています。そうした場面に出くわす事は稀ですけれども。以前、欧州にある研究者が調べたところ、その地方の人たちは遺伝的にてんかん気質があるという事でした。やはりな、という結論です。私たちは遺伝の影響から逃れられないのでしょうか? そうだとすれば親ガチャどころではありません。先祖代々ガチャになってしまいます。


 もし遺伝の力が強大で私たちには何もしようがないのなら、それは絶望です。いくら頑張って何かをしても、理想像を描いたり、尊敬する偉人のように生きようとしても無駄という事になってしまいます。終了。

 いえいえ、諦めるのは早いです。私の弟のように無意識に父のようになっているのであれば意識で対抗する事ができるかもしれません。意識し続けて結果は死ぬまでに出せれば良いのですから。遺伝子の性質の上に意識して別のものをそれ以上に積み上げてみたら、もしかすると遺伝子に勝てる可能性だってあるはずです。試してみましょう、とりあえず。

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