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49 自分のこと、あちらから見たら?

 前回は神様のことから始まって、自分自身で考えて自分自身で実行するという単純なことが誰のバックアップも無しにできるか?、というお話でした。ちょっとわかりにくかったかもしれませんが、自分でそれができなければ自分以外の何かに頼らなければなりませんし、周囲に同様の人が集まってしまうと勢い余って大変なことになりかねません。


 さて、いきなりですが、皆さんは自分の存在がこの社会の中でどんな位置付けになっているかを考えたことがありますか? 「社会」などと言ってしまうとなかなか難しいでしょう。私含めてほとんどの人は「会社の中で」「地域社会の中で」「仲間の中で」程度ではないでしょうか? 今回は日本という「社会」の中で自分がどんな地位を占めているか・・・実際にどうかというよりはどう思われているかというお話をしたいと考えます。

 まず第一に、皆さんは納税していますか? もちろんしていますね。私のような完全無収入の者でさえ納税の義務はいくらかありますので納税はしています。ところで、私は所得税についてある資料を探していました。そのものズバリの良い資料は探せなかったのですが、これでどうかな?、と思うものがありましたのでリンクを貼ります。資料と言いましても全部読んで頂かなくてもけっこうです。途中にある「納税額・所得の分布」のグラフだけ見てください。

日本の所得税負担の実態

 どうでしたか? 驚きましたか? このグラフは、要は「所得税は実際、誰が納めているのか」を示すものです。昔から言われている割にはあまり話題に上りません。何らかの所得を得ている人をその所得額順に並べてみると、下位側にいる半分の人々はほとんど納税していないのです。所得税には控除がありますし、累進課税もありますから所得が低い人の方が納税の面で有利なわけです。しかもこのグラフ登場するのは所得がある人だけですから所得の無い人は含まれません。ということは人口の半分をはるかに超える人は所得税という形で納税はしていないということになります。え、それがどうした、ですって? 一所懸命働いても給料が少ないのだから少なく納税するのは当たり前だと考えますよね。そう、その通りです。ですが、その理由は何かわかりますか? 簡単です。それは「人権」があるからです。収入が少なくても最低限の生活を保証しなければならないのです。

 まあ、それはそれで良いのですが、政治をしている人たちこれをどう見ているでしょうか? ちょっとしか税金を払えなくても道路は使う、体調が悪ければ医者に行く、ゴミが出たら収集しないといけないなど、納税しているよりたくさんの税金を使っていますから納税が少ないどころではありません。赤字です。


 ここでちょっと別の方向のお話を入れます。「アベノミクス」という言葉はご存知ですね。(今はこれを批判するとかそういう趣旨で挙げるのではありませんのでご注意ください) アベノミクス時代のこと思い返してみてください。政府が「景気が良い」という言い方をした時、私たちにはその実感が伴いませんでした。なぜかといえば、政府の「景気が良い」は主に「株価が上がっている」を示していて私たちの感覚とは違い指標だったからです。つまり、資本主義の最もわかりやすい指標がそれです。株価が上がっていれば納税している企業が税金を払える可能性があります。割と簡単です。

 逆に、所得税はそのまま増えません。あまり期待できません。雇用が増えてもアルバイトやパートでは税金には繋がらないのです。はい、という事で、政治家から見ますと人口の半分以上はお金を使う人であって、要は経済を豊かさの指標とする限りにおいて「社会のお荷物」に見えるわけです。

 最初の問い「自分はどう思われているか」の答えはこれです。愕然? まあ、そうでしょう。ですが、それは事実です。

 ですが、お荷物にも彼らは救いの道は用意しています。何だかわかりますか? それは「消費税」です。消費税が導入された時に政治家はこう言いました。「消費税は一番公平な税金です」と。私たちは消費税は確かにたくさん買った人がたくさん払うのだから公平かもしれないと考えました。それは確かにそうです。でも、言われませんでしたがもう一つの意味がありました。「所得が少なくて所得税払えない者も消費して納税せよ」です。つまり、税負担を全員で均等化する手段として導入するので、税全体として公平という意味です。そして今、どうなったかと言いますと、消費税は所得税を抜いて額面上最も多い税金ということになりました。

 ここまで来ると、なぜ無理してオリンピックや万博をやろうとするか、なぜ補助金を出してまで旅行へ行かせようとするか、プレミアム付きのクーポンを配ろうとするかがわかります。私たちは政治家から見ると生産する人でなくて「消費者」に位置付けられているのです。これがどう思われているかという問いへのもう一つの答えです。

 こんなにくどくど言わずとも私たちは自分の身の回りを見ていればそうだとわかる人も多いでしょう。私たちは個々に特別であったり制度に特例を設けなければならないほど特別な存在であることを求められませんし、かえってそれは煙たがられます。私たちの住む社会はそうなっていますし、それを変えていこうという話も出ません。その代わりにイベント事にお祭り騒ぎをし、皆と同じ何かを列を成しても書いたがり、制度上に用意された選択肢から人生を選ぶ者であるのを望まれているのです。

 ずいぶん前の話ですが、日本人は働き過ぎと他国から言われた時に政府は公休を増やしましたが決して自分自身で自分の都合の良いように休暇を取るようにはしませんでした。そう、以前どこかで書きましたが理想の日本人像は「理想的な消費者」なのです。

 ですが、私たちは選ぶことができます。社会全部を変えるには時間がかかって困難であるにしても、自分の周りのルールを変えていくこと、自分だけのやり方を少しずつ修正していくのは誰にもできます。誰でも自分に従えるからです。

 というわけで、今回はこれで終わりです。いよいよ次回が最終回となります。ではまた。

 

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