私の妄想1

なんか思い付きで、こういう形で色んな妄想を形に残してみたいと思います。

記念すべき一つ目の私の妄想です。まあくだらん話と思ってお付き合いください。

私は昔から、時々ハッと周囲をじっと見渡す、クセのようなものがある。たとえば小学校の時のこと。学校集会みたいなのがあって体育館に整列して並び、体育座りで静かに待機する。全校生徒が集まり、校長先生や教頭先生など色んな人のお話を聞いたりする時間。真面目で良い子だった私は一生懸命先生の話を聞く。でも、時々集中が切れてぼーっとすることもあった。そんな時、ふと、見慣れた体育館の天井を興味深げに眺めるのだ。あ、あんなところに髪の長い女性が…とかそんなこともなく、何の変哲もない、いつも通りの天井しか見えないのだが、私は目を凝らして何かあるかもしれないと天井を見つめる。その内、先生の話なんてどうでもよくなって、私は今すぐに羽が生えたなら行きたい場所を真剣に考え始めた。今羽が生えたなら、私はあの天井にはさまっているボールを取りに行きたい。それかあの体育館の出口を飛び出して体育館のはるか上空を飛んでみたい。鳥と同じ高さで空を飛ぶのは気持ちいいだろう。あ、でも自分はジェットコースターが落ちる時の浮遊感が嫌いだから地上に降りる時困るなあ、とか。目に入ったものが私の想像を膨らましていく。その内、その行為を繰り返しすぎて、ハッとして周囲を見渡した時に目に入ったものが本当に初めて見るものであるかのような、もしくは長い間見ていなかったものであるかのような感覚に襲われるようになった。私は一人悟った。あ、今未来からやってきた私が私の中に入った、と。時間をさかのぼるという行為は物理的に不可能であっても、意識だけを過去に飛ばすということが未来では可能になったに違いない。しかし、自分の中に未来の自分がいるというのは非常に厄介なことである。そこで未来人は未来の自分の意識の存在を過去の自分の意識に悟られないようにする方法を編み出したのだろう。だが、時々感覚の鋭い人間には分かってしまうのだ。そして周囲を見渡し空想を膨らます技に長けた感覚の鋭い私は幼心に気付いてしまった。未来の自分の意識が時を超えて小さな私の元にやってきている。私は世界の重要な秘密を知ってしまったような気持ちになった。今でも思う、今ここにいる自分は果たして本当に今まで生きてきた自分だけだろうか、未来の自分の意識がまざりこんでやしないだろうか。勘や直感というものの存在に関して考えるたびに、私はこの説を主張したくなるが、秘密はそう容易く語られるべきものではないのだ。

これが人生で最初で最後の壮大なSFチックな私の妄想である。


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