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『浮草』 親の心子知らず 、それでも子は親を乗り越えていく<2022年1本目、 ★3.8/5>

映画情報:
『浮草』1959年
監督: 小津安二郎

1文内容紹介:
ある町にやってきた旅劇団一座の人間ドラマ。

ネタバレ感想:


子供には立派に育って欲しいと考えない親はいないだろう。だが、その親心が子供とのすれ違いを生んでしまう。

主人公である嵐駒十郎は親方として旅劇団を率いている。劇団は方々の劇場を旅して巡り、映画冒頭の港にやってきた。団員は同じ釜の飯を食う家族とも言える存在だ。駒十郎も団員を大切にしており、厳しくも慕われる劇団の父である。

駒十郎がこの港にやってきたのは芝居のためだけでは無い。この町には昔の女であるお芳と、隠し子の清がいるのである。しかし駒十郎は清に叔父として接していた。旅役者である自身に引け目を感じ、父だと名乗り出ることができない。公演先から清の学資を支援し、立派になって欲しいとただ願うばかりだ。清も駒十郎の気持ちを知ってか知らずか、勉強に励み上の学校を目指していた。

この駒十郎の「父」としての二面性が設定として面白い。清に叔父としてしか接しないのは、彼の子に対する愛情故なのだろうか。彼は息子に自分と同じ道を歩んで欲しくないというが、それは駒十郎の事情に過ぎない。映画には描かれていないが、清は父親もおらず、どんな寂しい幼少期を過ごしたことだろう。お芳は父親は公務員で亡くなったと伝えていたが、清の「立派になりたい」という思いは、お芳の語る偽りの父親像に影響を受けているはずである。駒十郎は自分の仕事に自信が持てないが故に、これまで家族の父であることから逃げ、劇団の父として生きてきたのだ。

だが、この父の思いはなかなか子に伝わらない。公演の客足は思わしくなく、団員はヤキモキした日々を過ごす。毎日出かける駒十郎の目的が、昔の女と清のためだと知った連れ合いすみ子は、劇団の若い女優加代をけしかけて、清を誘惑させる。清は家を留守にするようになり、加代に溺れていった。

加代と清が初めて相対する場面が美しい。カメラはそれぞれを正面から捉える。が、清が映されるとき、その顔には影がかかっていて表情が伺えない。加代にはしっかりと光があたり、明るく清を誘う。

客入りが悪いにも関わらずズルズルと滞留を続ける駒十郎一座だが、劇団に見切りをつけた団員が金を持ち逃げしてしまい、流石の駒十郎も解散を決意する。

劇団の清算も済み、これからはお芳と清と家族として過ごそうと駒十郎は考えるが、肝心の清が見当たらない。一夜明けて清は加代と家に帰り、結婚を認めてるようにお芳に迫る。堪らず二人に当たる駒十郎だが、清は加代を庇って駒十郎を突き飛ばす。「お前の父親だよ」というお芳の言葉にも耳を貸さず、「なんで今頃になって言うんだ」という清の言葉に駒十郎はハッとし、家族の父としてではなく、劇団の父として再起を図ることを誓う。駒十郎が新天地へと出発する駅では、すみ子が待っていた。

駒十郎には彼なりの考えがあっての行動だったが、清の指摘する通りそれは勝手な親心だ。だが学歴や身分以前に、加代を守る潔い姿勢を清が持つに至ったことに、親として駒十郎は喜んでいいのではないか。再起を図る駒十郎にはすみ子もいれば、町で待つ清・お芳・加代もいる。駒十郎はもう孤独な父親ではないのだ。


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