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ケアレスミスを克服する


 男の子は女の子に比べて未熟でガサツで幼少期は育てにくい、とよくいわれている。「一姫二太郎」といった言葉もある。我が家は「イチロージロー」なので、例に漏れず外でも内でも常に盛り上がっている。それはそれで楽しいことかな、と思っているが、ここにきて1つの問題がでてきた。長男のケアレスミスである。
 
 計算ドリルから始まって、文章問題、漢字、とにかくミスが多い。問題すら読んでいない。視界に入らずにやっていない問題さえもある。のび太が自分の名前を「のび犬」と間違ったのを笑っていたが、自分も「いぬごや」の漢字書き取りを「太子屋」とかいている。妻は自分はこんなに計算間違い、漢字間違いをしたことがない、と驚き、呆れ憤慨している。僕は小学校低学年の頃、それらの間違いでよく怒られた記憶があるので、同じような状態だったのかもしれないな、と思った。これも性別による差なのか?
たかが計算間違い、されど、、ということを僕は知っている。算数でも数学でも計算間違いが多い人はまず点を取れない。大体のところ問題は小問1がヒントになって構成されている。もう終わってしまったが、センター試験などはその典型で、始めに間違うと「連鎖的に」間違ってしまう。考え方はあっている、などということは下書き用紙も採点に入れてくれるごく一部の学校を除いて全く評価されない。「連鎖的間違い」で大量失点した人を数多く僕は知っている。その大量失点の根本が小学校低学年での計算間違いであるのだ。予備校時代、数学の人気講師が興奮していっていた言葉にこんなものがある。「計算間違いをなくす方法を聞きに来る生徒がたまにいる。そんな彼らに私はいつもいっている。それを知りたければ霊山にでもいってありがたいお言葉でも聞いて来なさい、と」要は誰しもが起こしうるリスクを最低限にするためには方法論ではなく精神論である、という意味であると僕は理解した。しかし、予備校生にはこれで良いが、小学生には伝わらない、以下に実践した方法を記す。
 
 1つ目は「計算間違いは誰しもするもので、それ自体は否定しない、その間違いを自分でみつけて直しなさい。本番では誰も間違いを指摘してくれません」という考え方に基づいたもの。例えば30問の計算をさせて答え合わせをする。間違っているところを指摘して(時に叱責して)直させる、というのが一般的なトレーニングだと思われる。この場合、間違った問題をやり直しさせるとほとんどが正解できる。「ほら、できるのだから始めからきちんとやりなさい」と聞こえてきそうな方法である。僕が子供の頃は間違った数だけゲンコツだったかもしれない。痛い思いをしないと分からない、といった理由だったと思う。しかしこの方法だと上述のように本番も答え合わせをしてくれる人(ゲンコツをしてくれる人)がいないと直せない。そこで、ここではまず30問をさせる。全部正解なら終わり、一問でも間違っていたら「アウト」とだけ伝えて、(ゲンコツはしない)どこが間違いかを教えない。自分で間違いを探して直させる。全部正解した時点で終了とする。自分で修正をできるようになる極めて実践的、実用的方法であると考えた。試してみると確かに良い方法なのだが、時間がかかることで全体の問題量が減ってしまうというデメリットもある。また、子供の気分によってはグダグタになり、合ってるところまで直したり、とこちらが相当の我慢を要する時がある。
 
 2つ目は「実際にはやり直しなどできない、一回で全部正解しなさい。時間は難問を考えるためにある」というスタンスに基づいたもの。例えば30問、見直しなし、間違っていればそこは指摘、すぐに直させて次の30問、1回で全部正解すれば終了とする、といったやり方。これは問題量は十分に確保できるメリットはあるが、延々と終わらない、やればやるほどグダグダになって寝れない、最後は管理者が根負けして結局達成感もなく誰も得をしない、といったことになる可能性もある。
 
 3つ目は「計算間違いと一言でいっても子供によってパターンがある。それを見つけてその特化した訓練をさせる」といったもの。例えば僕の長男の場合、妻の分析によると間違った計算はベースに6と7の段の掛け算が多いことがわかった。もちろん九九をいわせると間違えない。しかし計算問題になると間違える。その間違えた問題を徹底させてやらせる。すると、不思議なことに他の問題を間違うようになる。脱力する。
 
 男の子は女の子に比べて未熟でガサツで幼少期は育てにくい。その育てにくさが男の子の面白さでもある。先日孫が家に来ていて大変だといっていた初老の女性は「私は女の子2人しか育てたことがなく、いつも他所の男の子はあんなに騒がしいのにどうして親は叱らないのだろうと思っていました。でも孫ができて分かりました。叱ることすら大変で疲れてしまうんです」と仰っていた。その性差は年齢とともになくなってきて個性が差の方が大きくなるといわれている。ケアレスミスもこれから少なくなってくるのか?成長を期待するとともに管理者としての分析、対策は続く。

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