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「何気ない日常を省察する」をテーマにinteractiveなアウトプットを目指していま…

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「何気ない日常を省察する」をテーマにinteractiveなアウトプットを目指しています。

最近の記事

早期英語教育を効果的に行う唯一の方法

 以前にも小学生の英語教育導入についてかいたことがあるが、その後いくつかのことを経験して改めて考えたことをかいてみる。今回は先に結論、早期英語教育を効果的に行う唯一の方法、それは「日本語を諦める」ことである。  小学生の学習をみていてつくづく思うのは、それは日本語が驚くほどできないということである。何も国語の読解問題に限ったことではない。算数の文章問題で、理科の実験問題で、「どのような設定で、何が問われているのか?」が読み取れない。算数や理科の理論などという以前の問題を抱え

    • 児童教育の変化に加えてコロナ禍の影響で増す親の責任

      児童教育の変化 変化は常に歓迎されるべきものではあるが、度を越すと時に問題となる。今回は児童教育において考えてみる。僕が小学生だったころとは当たり前ではあるがそれは大きく変わっている。みんな仲良くしないといけない、勝つだけが正しいことではない、優劣を公にしてはいけない、などの風潮がとても強くなっている。例えば、終わりの会では「今日〇〇くんが××をしていました。嫌でした。」などと報告され、公開処刑される。ほとんど内容で僕が槍玉に上げられていた。今では、終わりの会は「みんなの今

      • 新聞はもはや崇め有り難がるものではない

        かつでは神々しい存在であった 子供の頃、新聞は「自分の知らないことをかいてあるものだから大事にしなさい。踏むなんてとんでもない」と教わった記憶がある。朝起きたら、郵便受けに新聞を取りに行って、大事に父親に渡す。朝食時に父親は新聞をみる。その後、家族に解放される。僕はすぐにテレビ欄を確認する。母は広告を整理する。昭和のごく普通の家庭の朝の雰囲気であったと思う。休刊日は何となく落ち着かず、手持ち無沙汰であった。新聞は家庭の習慣を形成していたし、父親の権威の相棒であった。しかしなが

        • 夏休みの自由研究に取り組んだ話

          取り組みスタート 例年夏休みの自由研究に取り組んでいる。昨年は「くわがたの研究」で科学的構成について学ばせて、その観察により夜行性であることを導き出した。次は夜行性であることをもとにさらに発展させた内容が理想である。夜にまた近所の神社にいってみる。何故か、木にカタツムリが大量にいる。蛇もいて嫌になったところで、たまたま遥か頭上に何かとんできた。カブトムシだ。虫取り網をもった長男を肩車して捕らえようとするが、届かない。止むを得ない。長男を妻に変更して、もう一度網をふる。何とか虫

        早期英語教育を効果的に行う唯一の方法

        • 児童教育の変化に加えてコロナ禍の影響で増す親の責任

        • 新聞はもはや崇め有り難がるものではない

        • 夏休みの自由研究に取り組んだ話

          変えられること、変えられないこと 例えば体型について

          変えることについて  何かを変えることは難しい。革新的なことを考えても最後は保守的になってしまうことが多い。けれども周りは特にこの数年、どんどん変わっていく。例えば、牛乳パックの注ぎ口、牛乳ビンのキャップ、醤油の押したら出る容器、 コーンフレークの口チャック、これらはこの5年ほどの間に急に変わった。僕が物心ついたときからほとんど変わっていなかったのに。この変化は何も革命的な発明があったとかではない。青色発光ダイオードも何とか細胞も全く関係ない。おそらくもっと前からできていた

          変えられること、変えられないこと 例えば体型について

          キャラクターを変えてみると

           先日、自分らしくないことをした。背景から述べてみる。  以前から旅先でトレーニングをしている外人をよくみていた。 朝に走っていたり、夜、ホテルのジムにいたりする。そんな人は大抵夕食時に赤ワインを1杯だけ飲む。僕の場合、おそらく身近な人もそうであると思うが、旅先では飲んで、食べて、翌日は二日酔いでたっぷり朝ご飯を食べて、昼頃本格始動する、といった真逆のスタイルである。旅行に行ってまで、なぜ運動しないといけないのか?とつくづく思っていた。  いつだったか、ハワイのホテ

          キャラクターを変えてみると

          とにかく英語

           以前から気にしていたことが、子供が小学校に入り身近な問題となってきた。実際のところ、僕はこの問題に対して、できるだけ距離をとっていた。ずっと考えてきた問題ではあるが、明確に僕の考えを述べられるほど十分に吟味できていないからである。しかし、少なくとも家族には自分の方向性を提示すべきカウントダウンは始まっている。この文章を機に、ある程度まとめてみようかと思う。それは、ほとんどの親が必死になっている、そして必死になるべき「とにかく英語」についてである。    前提として、僕は英語

          とにかく英語

          足の速い人はいつまで誉められるか、モテるのか?

           季節は違うが時折、小学校の運動会を思いだす。僕はかけっこは常に最下位であったし、リレーは同じグループになるのを嫌がられた。組体操はいつも一番下だった。しかしながら、開会や閉会の挨拶は何故か僕にあたることが多く、昼の応援合戦でも目立っていた気がする。本来の目的とは程遠いところで自分としては活躍していたのだ。  時代は変わって、子供の運動会を迎えることになる。妻に似たのか、幸い息子達は遅足ではなさそうだ。そして、彼らは何より運動会を楽しみにしている。僕の様に「台風2回連続で

          足の速い人はいつまで誉められるか、モテるのか?

          professional feeについて思う

           小さいバーが好きだ。新居に移転すると必ずバーを探すし、出張先でも行き当たりで立ち寄ったりする。カウンターでウイスキーをのんで適当に話をする。2度、3度と立ち寄るまでは自分の話はあまりしない。バーテンダーや他のお客さんの話を聞いて頷いている。自分の知らない世界をみるチャンスだと思っている。先日、ある町で面白いバーに入った。その後、考えたことについて述べる。  6帖くらいの小さなバーで、ハットにヒゲの初老マスターの店だった。行きつけの居酒屋がしまっていて、帰ろうかと思った時に

          professional feeについて思う

          こんな時こそスタンドバイミー

           いつの時代も「世の中世知辛い」とはいうけれど、最近特にそう思う。何でも足の引っ張り合い、とりあえず批判、粗探し、その結果、全体が低迷してもその頃には次の話題に移っている、「win-win」どころか「lose-lose」の関係、誰も得をしない。それだけ世の中余裕がないことを示しているのだろうか。花粉症に悩まされながら、ふとドラえもんについて思い出したので述べる。    実のところ、僕はしずかちゃんが昔からあまり好きではない。アイドルキャラを気取って都合のいい時だけ男(特に出来

          こんな時こそスタンドバイミー

          「人生を変える出会い」と出会う方法について

           まず初めに断っておくが、テーマは恋愛の話ではない。人生の岐路に立たされたときはもちろん、後々に振り返ったときなどに影響を受けたなという人との出会いについて考える。例えば野球少年がプロ野球選手などと出会えば間違いなく大きな影響を受ける。その少年が将来プロ野球選手になればもちろんのこと、ならなくてもその出会いから受ける影響は大きいであろう。そんな出会いを求めた場合、どうすればよいか。スタジアムに通う、ファンクラブに入る、知り合いに紹介を頼むなど、熱心な親ほど必死になるだろう。

          「人生を変える出会い」と出会う方法について

          もういいんじゃないかという2つの団体;日本医師会と国際オリンピック委員会

           少し前のことになるが時事的な内容でかいてみる。  1つ目は日本医師会、そろそろみえてきたが、この団体は日本の医師を代表する団体ではない。従って日本の医師、ひいては医療システムに対して影響力を持っていない。医師、とくに開業医を中心とした自らの権利を主張する圧力団体といって良い。どんな職種にもそのような団体は存在し、発信を行うことは全く批判されることではない。批判されるべきなのは、「実態のない」ものをあるかのようにみせている言動である。「全面的に協力する」といって該当問題が大

          もういいんじゃないかという2つの団体;日本医師会と国際オリンピック委員会

          ケアレスミスを克服する

           男の子は女の子に比べて未熟でガサツで幼少期は育てにくい、とよくいわれている。「一姫二太郎」といった言葉もある。我が家は「イチロージロー」なので、例に漏れず外でも内でも常に盛り上がっている。それはそれで楽しいことかな、と思っているが、ここにきて1つの問題がでてきた。長男のケアレスミスである。    計算ドリルから始まって、文章問題、漢字、とにかくミスが多い。問題すら読んでいない。視界に入らずにやっていない問題さえもある。のび太が自分の名前を「のび犬」と間違ったのを笑っていたが

          ケアレスミスを克服する

          相手にしなくていいのに

           インターネットの普及によって少数派の意見が広く知られるようになっている。僕のような一般人からすると夢のような時代になったものだ。ありがたい反面、今回はその弊害について思うことを述べる。結論はタイトル通り「相手にしなくていいのに」である。  例えば時事的な話題に多くみられる、発信元が明らかではない批判的な意見。正論を振りかざしているが、反論をする場は提供されておらず、どこかでの書き込みだけが広がっている。どんな主張をしても勝手ではあるが、発信元不明であれば、昔の同僚のいい方

          相手にしなくていいのに

          ジョセフの笑み;良い結果がでた時にみせる顔について

           少し前の話題にはなるが、2019年のラグビーW杯を再見した。そこでサモア戦勝利後のジョセフの笑みをみて考えたことを述べる。勝利が確定した時、ジョセフは軽く頷いて鼻で笑うような不敵な笑みをみせた。  「one team」のフレーズは今でこそ受け入れられているが、W杯開催前は批判も多かった。それは、前回大会指揮をとったエディージョーンズの型に嵌めたタフな方針に比べると、ジョセフは自由度も許容する(決してタフでなくはない)方針では日本に合わないだろうというものが多かった。またジ

          ジョセフの笑み;良い結果がでた時にみせる顔について

          僕が考える塾の役割

           塾は楽しい。前述のように僕は小学校2年のときから塾に通っていたが、そこでは他の学校の友達ができて、成績順位も明確で、先生も面白い。学校は、成績順位をつけてはいるものの結果は明らかにされない(してはいけない)ので、ぼやけた結果、ひいては不明確な目的のもとに成り立っていた。更には昔は「塾は悪」とされていて、学校の先生から目の敵にされた。これについての考察は学校教育にも関連するので今後の課題とする。    さて、今回は僕が考える塾の役割について、子守を兼ねた習い事としての塾など

          僕が考える塾の役割