どうしてそんなに思い込んでしまうのかねえ

先日、とあるYouTuberさんの動画を見ていたときのこと。
そのYouTuberさんはオタクで陰キャを自称しているのだが、ときどきコメント欄に、このようなことを書かれることがあるという。
「なんで自分を陰キャと卑下するの? そんな気持ちだから陽キャに相手にされないんじゃないか?」
これに対し、YouTuberさんは動画の中で次のようなことを答えていた。
「卑下はしていないし、陽キャが上だとも思ってない。むしろオタク・陰キャであることは誇りにしている。世間一般では自虐と取られるから、自虐的に語って笑いにしているだけで、陰キャの自分は大好きだ」

たぶん、世の中の陰キャたちの多くが、賛同すると思う。
もちろん、わたしもだ。
だってわれわれは、自分たちの好きなように生きている。
その結果、陰キャと呼ばれるカテゴリーに入った。それだけのことだ。
何も卑下するようなことはない。

ところが、世の中の陽キャたちには、なかなか通じないんだ。
彼らは、陽キャこそ正義で、陰キャはダメなものと信じて疑わない。
それ以外の価値観が、どうも受け入れられないように見受けられる。
固定観念と偏見にとらわれていないか?
このままだと、ご自身に何か誤りがあったとしても、修正できないのではないか?
それは、とても不幸なことのように思うのだが。

今年の夏ごろだったと思うが、Yahoo!の記事で、外国人のどなたかが次のような発言をしていたのを読んだことがある。
「日本人は今になってもマスクを外さない。それほど日本人は同調圧力が強いのだ」
個人のブログとかではない。記者によってインタビューを受けた形でYahoo!に掲載された記事である。
この外国の方にとっては、今の時代、マスクなんかつけないのがあたりまえなのだろう。マスクをつけるなんて異常なのだろう。
異常なことには、原因がある。この方はその原因が、日本人の同調圧力だと思ったわけだ。
この記事、コメント欄では大荒れだった。
「日本人だと思って何でも同調圧力に結びつけるな」
「こっちは、マスクをつけたいからつけているだけだ」
そりゃ荒れるよな。
この外国の方、日本人に聞き取り調査とか行ったのだろうか。

「陰キャなんて、ダメな存在なんだ!」
「この時代にまだマスクをつけているのは異常なんだ!」
思い込みが激しいようで。
自分の考えとは別の、ほかの人の価値観があるとか、考えないものなのかねえ。

わたしは作家志望だから、人の意見や価値観には、いろいろなものがあると、いつも自分に言い聞かせている。
そうしないと、小説の登場人物が全員同じ価値観で、同じような行動をとりたがってしまう危険性があるからだ。
とは言え、どうだろうなあ。
わたしも固定観念がないとは言えないし。
例えば、重い荷物を持って大変そうなお年寄りがいたとする。それを見てどうするか。その荷物を持ってあげるとか、無視して通り過ぎるとか、声をかけたいけどそんな勇気が出ずに躊躇してしまうとか、人によって行動は違ってくるだろう。
わたしは、荷物を持ってあげる人しか書きたくないと思ってしまう。人間ならそうすべきだと思うからだ(わたし自身がそうするかどうかは棚に上げておいて言うのだが)。これも固定観念だ。
これじゃいかん。登場人物がみんな同じ行動をとってしまうようでは、個性がないどころか、区別がつかなくなる。
人の振り見て我が振り直さなければなるまい。


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