縮図法(詩)


 おまえの目を覗き込んだとき
 虹彩と水晶体に滲んだ
 火花の煌めきにだけ興味があった

 弾けてふるえるいくつもの光が
 青白く閉じられたおまえのまぶたに隠されるとき
 あの知覚していたはずの空虚がひずみのように
 やわらかな口蓋の奥のほうからやって来る
  (オレンジジュースのにおいとともに)
 硬く、厳かな冷たさを持つそれは
 まるで無謬のように
 掬いあげた砂粒のひとつに投影された春の日の
 微笑みの孤児らのように
 引き裂かれた距離として認識される 
 あたりまえな景色だった

 糸を手繰り寄せてみる
 深夜の寝室にはどんな音も響かない
 針の先がぷつんと布に刺さり続けていくことを
 おまえは眠りのなかで聴いているか
 詩情としての孤児は
 いったいどの座標で泣いているのだ
 あの惜別の日は
 (おまえはまだ
  夢に用いられる縮図法を
  私に示してはくれない)

 小さな手が放ったボールを見送って
 濁るように浮かぶのは
 おまえの放物線がわたしのそれより
 死に恋われないかというばかりだった

 通り過ぎていった蜜蜂の羽音に
 氷河期を連想する秋の日差しを
 追いかけていった背中は
 戻ることはない

 あの雪 
 浅く積もった白に、赤銅が落ちてきたとき
 私の血
 滴り落ちたものらが賛歌を唱えたとき
 内部からくぐもった悲鳴を上げる
 忘れられた物質どものことを思いだす

 かすかな寝息と硝子の割れる音が
 重なりあって膨大な情報となる夜
 おまえの瞳の中では
 すべてのものが
 やはり輝いていた
  
 また問いかける
(善なるもの 全き存在)
(眠りのなかに生はあるのか)
(花火と月のきらめきのなかに)
 わたしはその縮図法をまだ知らない

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介護士という職業柄、人の死に直接的/間接的にかかわる。

仕事を始める前よりも死ぬことばかり考える。

私が初めて自分が死ぬらしいと気づいたのは10歳。
「もしかして、自分って死んじゃうんじゃねーの?」って思った。

以来18年間、「まさかまさか、死ぬはずないじゃん」と思いながらも不意に死の恐怖は襲ってくる。笑うと忘れる。人間って二つ以上の感情を持てないと武者小路実篤が言ってたから、死ぬのが怖くなると笑うことにしていた。

大学生になると、しょっちゅう怖くなった。ひとりぼっち、1Kのベッドに寝転がって天井を見つめていると、死ぬことばかり考えた。故郷から離れ、知らない土地で死ぬことを考えるのは恐ろしかった。

「伊集院光の深夜の馬鹿力」を聴きながら寝る癖がついた。伊集院光さんの話を聴いていると、すべての不安がどうでもいいことのような気がして、鬱な精神状態にあってもどうにか歩ける気がした。不安障害でどうにもこうにも立ちいかなくなっていた大学時代に、伊集院さんがいなかったらたぶんどうにかなってた。

二十代になって、子供ができた。私は私のこと以上に、子供がいつか死んでしまうということを怖れるようになった。

死恐怖症という病名がある。タナトフォビアとカタカナで呼ぶこともある。

らしい。この病気に特効薬なんてない。たぶん。人間が生物の自然な行きつく先である死を勝手に怖がって、勝手にその恐怖に名前をつけているだけだから。

人はいつか死ぬ。私も妻も子供も知らない人も。今もどこかで誰かが死んでいる。

そう思うとよりいっそう子供のことが愛おしくなる。

いつか死んでしまう。寿命のことではない。

私の施設では急に人が死ぬ。おじいちゃんおばあちゃんは急に天寿を全うする。本当に突然。昨日までぴんぴんしてた人が、翌日冷たくなっている。ちょっと軽い肺炎で入院していた人も、いつのまにか長期入院になり、長期加療が必要になり、気付いたら余命幾日です、なんて報告が来る。

若くして心臓発作で死ぬなんて珍しい話ではない。私の心臓が次の鼓動で止まらない保証なんてどこにもない。それは私の妻にも、息子にも言えることだ。交通事故や天災はいつだって起こりうる。

私がこの仕事で学んだことはただひとつ。

目の前の人間は、死ぬ。今死ぬかもしれないし、明日死ぬかもしれない。

私たちにできることは、目の前のちっぽけな命に善くあろうとすること。それだけ。今ここに死の可能性を持つ私たちには、生きてきた過去なんて意味ないし、これからの未来なんてより価値のないことばだ。

養老孟子のことば「補完語」はいい言葉だと思う。「対義語」と呼ぶのではなく、「補完語」と呼ぶ。

たとえば高いとか低いとか、小さいとか大きいとか。

男とか女とか。

生きるとか、死ぬとか。

それらは反発するのではなく、お互いを補完しあうためにあるのだという。

生は死を補完する。生とは生だけでは成り立たず、死もまた死だけでは成り立たない。死とは生の果てにあるのではなく、生にぴったりと寄り添うもの。

らしい。

私はまだまだ死も生もわからない。孔子大先生の仰る通り、死というものは生を知ることでしか掴めないものなのかもしれない。孔子先生に「そういう意味じゃねーよ」と張り倒されそうだけど、孔子先生はもう死んでいるので大丈夫。

反出生主義には少なからず同意してしまう。私は子供に負い目がある。生と死のぴったりとくっついた命というものに、ただ「のびのび生きなさい」「ひとにやさしくしなさい」「生きていることは素晴らしい」と語り掛けることはできない。親のわがままだ。勝手に生みやがって、と言い放つ権利が子供にはある。親にはそれを受け止める義務がある。

何かが起きたときに、子供のことだけは守って死ぬ。そう覚悟することと実際の行動。私に必要なのはそれだけだ。

「私は子供に死んでほしくない。」

つまり。

「私は子供に生きていて欲しくない。」

こんなにわかりやすい式はない。本当にそう思うときがある。気がくるっていると思う。こんなこと考える父親はなかなかいないだろう。でも本当だ。子供が生まれた現在がなければ、私はもっと気楽だっただろう。私はもう、死んでも、いや死後も解き放たれない鎖を持ってしまった。祈ることしかできない。どうか生き延びて欲しい。どうかこんなことを考えずに生きて欲しい。映画「セブン」で主人公の妻が言った通りだ。「こんな世界に生まれてくるということに責任を感じる」「こんな世界に生んでいいのか」歪んでいるのは私だ。


ひとはどうして死ぬんだろう。そのことにある程度答えが見つかり始めているので、私は次の問いに向かう。


ひとはどうして生きるのだろう。


たぶんこういうことを考えるためではない。
本当にそう思う。

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