無題

かつて人々がみんな詩人だったあの頃に
わたしの祖母は産まれ育ち
宝石のようなことばを
その口の端からこぼす

彼女のことばは
常にわたしの意識を
鮮烈に苛む
極彩色の粒だった

(蜻蛉の羽のように綺麗な布
 骨のように白い百合
 夜の蜘蛛の仏性
 鬼の角
 供花
 柊)

手のひらを合わせるとき
かみさまなんて糞くらえだと云ってのけた
祖母の渋面を思い出す

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気が狂いそうになることが多々ある。ひとつは小説が書けないとき。ひとつはうまく気持ちを伝えられないとき。疲れ切ったとき、わたしはいつもからっぽになってくたびれてしまう。もうすぐ二歳になる息子のことばはそんなわたしのなかに綺麗に当てはまってくれる。車をみても「でんちゃ」である。犬をみても「でんちゃ」である。なにをみても「でんちゃ」である。しかし父親を指さして「とーちゃ」という。ほんとうにきもちのいいことばだと思う。疲弊したわたしはただ笑顔を返して頭を撫でるばかりだった。手渡されたプラレールを、一応テーブルの上に走らせてみる。スイッチを入れて、そのままどこまでも走らせてみる。ときどき祖母のことばをうらやましく思う。信仰心というものを持たない祖母のことばは、気持ちのいいほどに強烈である。庭の木々を愛することばと、祖父の介護度が上がったことに飛び跳ねて喜ぶときのことばは、どちらも同じ祖母の口から出る言葉だ。短歌を詠み、ひ孫を愛で、信仰というものを激烈に罵倒し、わたしの妻をとても良い人だという。祖母の体は年々若返るようにみえる。
寝ている息子の体からはいつもわたしの知らないにおいがする。

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