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note、はじめました。


はじめまして、もずや ことと申します。
本日は数あるnoteの中から、私の記事を手に取ってくださり、誠にありがとうございます。

このnoteでは、私の主従に関する考え方、美的センスや知的センスのお話、性的倒錯についての考察などなど、雑多な記事を書いていこうと思います。
ただ、ひとつテーマは決めたいですね。
「美しいもの」を取り扱うことにします。

私は美しいものが大好きです。
美術、音楽、日本語、主従、性、SM…etc.
そんな美しいものたちを取り扱っていくnoteにしたいと思います。

簡単ですが、私について少しだけ自己紹介をしたいと思います。

名前:もずや こと
年齢:アラサー(記事執筆時点)
セクシュアリティ:女性、パンセクシャル(但し恋愛は男性のみ)、サブミッシブ、マゾヒスト
名前の由来:谷崎潤一郎『春琴抄』より

現在、お慕いしている主がいます。

文章をしたためるのは楽しいですので、少しでも私の文章を気に入ってくださる方がおられると嬉しいです。


と、自己紹介が終わったところで、私の主従観について少しお話したいと思います。

主従観にはいろいろなパターンがあります。代表的なものには「主人と奴隷」「飼い主とペット」「主と従者」…etc.
この中で私が自然と落ち着くのは「主と従者」に他なりません。「師匠と弟子」「君主と家来」といったものにも近いと思います。

私の主従のバイブルは谷崎潤一郎の『春琴抄』です。
この2人の主従観が私は大好きで、紙の本を買って蛍光ペンで線を引きまくって付箋を貼りまくりました笑

私は、主従において「日々のやり取りをただのプレイにしたくない」ということを常に念頭においています。もちろん、実際はSMプレイをすることもあるのですが、主従関係においてはすべて、成長が伴うお付き合いがしたいなと思っています。

以前、ボトム側がトップ側にすべてを捧げる、その見返りはなに?と聞かれたことがあります。その時すぐに答えが思い浮かばなかったのが悔やまれるのですが、私なりに考えた結果、ひとつの答えに行きつきました。
それは、人間としての成長です。人生を導いてくださる…というとすごく大層に感じますが、ただ、関係性を通して成長したい、人間的にも従者としても、成長したい、そんな思いがあります。

その関係性において、依存は禁物だと思っています。もちろん人間なので、何かに依存しなければ生きていけません。そのうちの1つが主であることは何も問題がないのです。ただ、主に依存しすぎる、1人で立ててないのに主に立たせてもらっている、などという状況は理想ではありません。私は、いざという時にはしっかりと主をお守りできるような、自立した従者になりたいのです。

と、自らの主従観をさらっと語ったところで、今回はこの辺で。
これから無料記事、有料記事ともに、充実させていきたいと思っておりますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

もずや こと

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