見出し画像

大人になるならどうなりたい?

 たまに,不意に思い出の引き出しが開いてしまうことがあって。だいたいはそっ閉じしたくなるような,恥ずかしいというか若気の至りというか,そんな出来事ばかりというのがパターンですが,今回は定期的に思い出していいようなことだったので残しておこうかと。

 これは私が「どういう大人になりたいか」をおそらく初めて意識するようになった話です。

修学旅行の行き先で

 それは,中学生のころ。修学旅行のシーズンのことです。旅程には工場見学が含まれており,3か所から選べるというものでした。一つは誰もが知っている自動車会社の完成車工場,もう一つは発電所とその研究所,最後に環境技術の総合研究所。このラインアップだと――当然というと失礼ではありますが――一つ目の自動車工場に人気が集中します。他二つは名前と簡単な説明だけだと中学生にはイメージしづらく,一方で自動車工場の方は教科書レベルで写真が載ったりするしCMもしているしで知名度が高いわけです。

 当時からクルマが好きだった私も,当然自動車工場に手を上げます。ですが知名度の差から案の定希望が殺到し,仁義なきじゃんけん大会が始まるわけです。そして私は敗れ去り,当時クルマが好きと周囲が知っていたので交代等の救済を期待していましたがそれもなく,しぶしぶ発電所に向かうことになったわけでした。

 そして当日。少々不貞腐れた状態で発電所に向いました。現金なもので,実際プラント系の大きな建物とか設備とかを見ると,それなりにテンションが上がってきたのでした。どんなものでも工場めいたものも非日常ですからね,無理もないです。で,工場めぐりと前後して会議室っぽいところに集められて詳しい説明を聞くことになりました。

 そこで登場したのは,まあ何と言うか普通のおじさんなです。正直顔も名前も覚えていませんし,登場の時にインパクトがなかったことは確かです。工場見学の座学の時間なんて睡魔との戦いというのが相場で,修学旅行で睡眠不足気味だとなおのことなので,あまり構えずに話を聞いていたんです。

 それがさ,そのおじさんは本当に楽しそうに説明してくれるわけですよ。楽しそうというか,自分の技術への誇りとか,これまでの工場としての頑張りとか,そういったことを伝えたいという熱意とか,そういうのが伝わってくる話のしかただったわけです。具体的にここがこうとか,そんなことはもう覚えていなくて,そう感じたという結果だけが残っている状態ですが。

 ともあれ当時の自分にとって,どこが刺さったのかは今となっては思い出せないのですが,めちゃくちゃ印象的だったわけです。おじさんの説明する様子を見て,これまで不貞腐れ気味だったことへの若干の後ろめたさと,「こうなりてぇ~」というちょっとした憧れまで感じてました。修学旅行のまとめで壁新聞をそれぞれ書くという課題があったんですが,そこにも「こういうおじさんになりたい(意訳)」って書いた記憶がほんのりあります。振り返って思うに,直感的にあれほど自身と熱意が溢れるまでに頑張ってきたことがすごいと感じたんだと思います。

 そんなこんなで最初は期待していなかった工場見学も,かなり満足な状態で工場見学のイベントを終えて次の集合場所に向かったわけです。ちなみにそこで自動車工場の見学組だった小学校時代からの友達から,見学記念にもらったミニカーをもらいました。彼は私が自動車工場の方にどうしても行きたかったという事情を知っていたので,相当気の毒に思っていたのでしょう。ですが,当時の私はそれがなくても充実感を得ていたんだと思います。ミニカーはもらって今でも手元にありますが。

そこからしばらく経って

 で,その後高校から大学に進学していき,なんやかんやで成人を迎えることになりまして。成人になるにあったって何となく,「こういう大人になりたい」を考えるフェーズがあると思うのですが(ありますよね?),そこで私は

子供に「早く大人になりたい」と思わせる大人になりたい

 と,思ったわけです。これには高校・大学で出会った人たちの影響は当然受けていますが,先のおじさんの話も大いに影響しています。

 子供に「いいな~」って言われて「そうかい?だったら早く大人になるんだな」って言える大人になりたいじゃないですか。

 この目標――というかある意味人生のコンセプト――って達成ぐあいはさておき,それなりに私の行動決定の一要素にはなっているんですよね。近ごろ子供と接する機会がないの出来栄えが分からないというのはあるんですが。

人生のバタフライエフェクト

 で,この話で個人的に面白いと思うところは,当のおじさんは何も知らないということだと思っています。おじさんとしてはいつも通り,睡魔と戦う子供たちを相手しているつもりだったのに,何やら強めの影響を受けてしまったやつがいるという。そのおじさんはこちらのことを微塵も認識していないのに。

 さらに,私がじゃんけんに負けていけなかった会社の工場には――別の事業所ではありますが――数年後大学に行って就職して,仕事で行くことになっていました。ついでに言うと,件のミニカーをくれた友達は最近でもたまに飲む仲だったりします。そこから十数年たっているというのに。

 その瞬間はじゃんけんに負けて行きたくもない工場に行くだけだったのに,十数年たっただけでこれだけのストーリーの繋がりができているって人生分からないものだなって思います。当たり前ですが,人生は小説のように後から読み返すなどできないものなので,その瞬間に伏線が敷かれていても我々は知る由もないわけで。

 日々を過ごしていればその瞬間に,意図しない選択だったり,不可抗力で思わしくない方向に物事が転がる,なんてことが発生するときもあると思います。それでもこんな風に,後々酒でも飲んでいるときに開いた記憶の引き出しからこんな感じでいろんなことが振り返られるなら,そんなに悪くないんじゃないかなと思ってます。だから,多少不本意なことがあっても,「この後の人生に布石を打ってやった」くらいの気持ちでいてもいいんじゃないかと。

 人生のバタフライエフェクトを楽しんでいこうぜ
 幸運か不運かなんて今じゃ分からないんだから。
 無駄かどうかなんて死ぬまで分からないんだから。

 と,いうことで開いた記憶の引き出しの整理整頓したい話でした。
 以上,お納めください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?