見出し画像

わたしの中のミホちゃん


涙がとまらなかった。大事な人を失うかもしれないこと、それでもまだ言われていることが信じられないこと、すべてはわたしが傷つけていたこと、わからなくてしんどかった。枕はびしょびしゃになって、声も抑えられなくて、わんわん泣いた。それでもずっと1人だった。

今日は朝から研修で、眠れたのは3時間ほど。
泣いた目は、ああこんなにも泣いたのがわかるんだというくらいにぽこぽこしていて、くまもひどかった。
起きてから、家を出るまでに2時間半はあった。
でも何もできなくて、すっぴんのまま、足取りは重いまま家を出た。
どうしてこんなに傷つかなきゃいけないんだろう、どうしてわたしが傷つけていたのに、わたしが傷ついてるみたいな顔してるんだろう。それでもやっぱりよくわからない、よくわからないけど、自分がしんどいことだけは、嫌というほどわかる。

上の空で研修を受け、緊張を強いられる場面もあり、しどろもどろしながら、乗り越え、次の仕事までに時間が空いた。

これだけしんどいだから、1回、わたし、自分のこと大事にしてみてもよくない?と思った。スマホから離れて、連絡することや連絡を待つことを1回中断して、自分の気持ちとかほしいものに時間使ってみてもいいんじゃない?これだけ傷ついてるんだから、それくらいいいんじゃない?

そう思って、お金をおろして、イヤホンを買いに行った。好きな音楽で耳からの情報をシャットアウトして、音や歌詞で頭をいっぱいにすれば、多少マシな気がしたからだ。店内のイヤホンをくまなく見て、散々試しているのに、店員は誰も接客にこなかった。ああ世界はこんなにも無関心で悲しいのかとすら思った。そんなこと思ったのは、傷ついてるんだから、優しくされてもいいのに、というわたししかわからないのに察してくれというエゴでしかないんだが。

気に入ったイヤホンの注文番号の書かれたカードを持ってレジに行く。在庫ありますよ、と言われ、バーコードをスキャンすると、書いてあった値段と1000円ほど違う。安いならいいのに高いときた。それでももうなにも言う気力も残っていなかったので、店員とは目も合わさず、小さくありがとうございました、とだけ言って店を出た。

その足で同じ商業施設の本屋さんに行った。自己肯定感や自分のことを大事にする系の本は注目コーナーとして設置されている、そんなところが多くなった。わたしはそんなの読んだって…とバカにしている部分があった、どうせ何も変わらない、読みたくない、遠ざけている部分もあった。でも、そういう自分を大事にする系の本を真剣に選んでみた。自分のこと大事にしてもよくない?誰に問いかけてるのかもわからず、もはや怒りのような感情で3冊選んで本屋を出た。

本屋の隣にスターバックスがあり、そこでスターバックスラテを買った。イヤホンを買ったときとは打って変わって、店員さんが優しかった。唯一救われた出来事だった。


車に戻ってスターバックスラテを飲みながら本を開く。

不思議なことだな、と思うけど、わたしの怒りのような、よくわからない感情が不思議とまるくおさまっていくことに気付いた。自分のことを大事にしてもよくない?と思っていた自分のことをまさに肯定するかの内容だったから。それとともに、なんでこんなにしんどいかの理由もわたしを傷つけるわけではなく、明確に記されていた。

目から鱗だった。どうしたらこの感情を説明できるんだろう、複雑に絡み合ってどこから話したらいいんだろう、ということを丁寧にきれいな文章にしてあった。

同時にわたしのなかのミホちゃん(わかりやすくするためにもう過去のわたしのことはミホちゃんと呼ぶことにした)はかなりしんどい状況にいて、すごく大変だったことにも気付いた。だからこそ、大丈夫、ミホちゃんはすごく大変だったから、もう、そんなにしんどくならなくても、ミホちゃんを愛していいんだよ、と思った。こんなにも自然と思うことなのか、と思うくらい、今まで思わなかったことを思った。そんな自分にも驚いた。

そんなことを思ったら仕事もなんだか、ニコニコできた。相手への不安が少しなくなって、自分の不安も薄くなって、少しだけ頼ることができた。不思議な感覚だった。

少し心が軽い。
それでも大事な人を傷つけたことに変わりない状況に罪悪感もあった。それでも、わたしはまだ一緒にいたいと思った。執着かもしれない。でも、わたしが本当のことを言って、後悔することは何もない。それでどんな結果になろうとわたしはわたしの考えがあったことに自信を持っていいと思った。

「告白みたいだな」と言われた。
そのつもりだった。ミホちゃんではなく、わたしからの告白のつもりだった。
「いいよ、一緒にいよう」って、当たり前のように返ってきた言葉に泣いてしまった。
自分の気持ちに自信を持っていい、と思ってたけれど、やっぱりどこかで不安だったのだろうと思う。それでもいい、ちょっとでも変わって前進できたことはすごいことだ。

最悪な気分ではじまった月曜日は、なんだかふわふわした軽い気持ちで終わった。まだすべてを読んでいないけど、まるで魔法みたいな本だ。そして、自分を大事にしたい、という気持ちは、間違いじゃなかった。

1月31日をもう一度、記念日にしようかな。

わたしはミホちゃんのことをもっと愛していい。そういうと、すべてを受け入れるように聞こえて、なんだか好きじゃないんだけれど、そうじゃない。わたしはまだミホちゃんのことを愛してみてもいいかもしれない、と思いはじめたへなちょこだ。不安になることもあって、疑ってしまうときもある。それでも、わたしの思ったことは歪めることなく、そのまま伝えても問題ない、自信を持っていい。大丈夫、ミホちゃんは十分しんどかったから、自分のことをこれから愛しても。


わたしの文章で何かできそうなことがあれば、全力で力になりたいと思っています。