見出し画像

下書きの詰め合わせセット No.1

※下書き、あまりないと思っていたらたくさんあったので、文章になり切らなかった言葉たちをのせていきます。需要はありません。まずは2020年1月のものです。



新年なんてあけちゃって全然おめでたくない。毎年そんなことを思いながら年始を過ごす。(2020/1/2)



わたしには「かわいい」なんて似合わない。「美人」なんてふさわしくない。そう思って生きてきたし今も生きている。
でも、やっぱり女の感情がある以上、かわいいも美人も思われたいし、言われたい。
でも頑張ったって、整形しない以上この重たい一重まぶたが変わることはないし、似合わない無駄に分厚い唇だって薄くなることはない。痩せたところでわたしの顔自体すべてが変わるわけではない。
つまるところ、わたしは自分が嫌いなのだと思う。でも他人からは嫌われたくなくて(2020/1/4)



2年前、振袖をまとったわたしは成人式の会場にいた。行きたい理由も、会いたい人もいなくて、二次会なんて誰にも誘われてなくて、それでもただ振袖は着たくて、本当にただそれだけの理由で式に参加した。
「こんなもんか」というのが正直な感想だった。悪口を言われていた嫌いな人には会ってしまったし、感動の再会なんてのもないし、中学からの友人は片手で数えられるほどしかいない。そんなわたしは大勢の人の中でぽつんとどこか取り残された気分で記念写真に映った。
意味があるかないかわからない成人式。
大嫌いな大人、20歳。
2月27日が誕生日なわたしは、27日に誕生日を迎えて、28日に大好き人とお酒を飲んで3月1日に死ぬ、わたしは20歳になってすぐに死ぬ、そうやって思って生きていた19歳。

成人式から2年が経ったもうすぐ22歳。
成人の日、わたしは京都にいた。
「“大人になること”を祝うなら、“大人であること”を祝う日があってもいいはず」
「大人であることを“喜べる”一夜をつくりたいの!」
そんな言葉たちに後押しをされて「成人たちの日」というイベントに参加していた。

わたしははっきり「大人」と言いきれない。それでも年齢的には大人だし、ずっと子供のままでいられるわけでもない。自分でお金を稼いでいるし、年金もおさめる歳ではあって、入場料だって「大人料金」だ。それでも心から「大人」であることを喜べるかといったらそうではない。大人になんてなりたくない。大嫌いだ。
だから正直、イベントに参加するのは怖かった。大人であることを祝うのはわたしにとってはふさわしくないと思っていた。
それでも考えることをやめてしまったら、この機会を失ってしまったら、「大人であること」をわたし以外の人と考える機会なんてないと思った。(2020/1/17)



最後のLINEが「大丈夫?」って言葉で終わってるトークが2つあります。でも大丈夫じゃないからこんなことしてるんだし、大丈夫だったら普通にバイトに行ってるし、もう全然大丈夫じゃないです。
「連絡しなさい」「帰ってきて」「寂しいから早く帰ってきて」そんな言葉ばかりが並びます。やさぐれているわたしの心にはなにひとつ響きません。めんどくさいとすら思います。
偉そうだけど、わたしの気持ちをなにひとつ考えてない言葉ばかりだと思いませんか、わたしのなにをわかって、なにが嫌で、こんなことしてるのかわかってないくせして、自分がこうだからわたしにこうして、なんてただの向こう側の自己満足だとは思いませんか。
「あったら便利はなくても平気」なんですよ、わたしはそういう存在なんです。わたしを本当に必要としてくれる人なんているわけない。
ワガママで傲慢でめんどくさくて悲しい投稿になってしまう。やさぐれてる。(2020/1/24)



「不平不満に溢れた雰囲気がすごく嫌だった」
「頑張っても頑張ってもなにも変わらなくて、コンビニの店員ってなめられがちじゃん、だからすごいちゃんとしようと思ってすごい頑張ってつもりだったけど、それはわたしだけで、けっきょくみんなはたかがバイトで、いやそんなわたしの価値観押し付けちゃダメなんだけど」(2020/1/26)



大好きなのに大嫌いで、近いはずなのに遠くて、儚くて、強い。わたしが憧れる人はそんな人、そんな人がやっているブランドは素敵でキラキラしていて、素敵なお客様に囲まれてて、わたしはいつもどこか浮いていた。

かわいい服に目が向かなくなった。(2020/1/30)

わたしの文章で何かできそうなことがあれば、全力で力になりたいと思っています。