見出し画像

わたしの何がわかる


あんたにわたしの何がわかる。
これ最近のわたしの思考。
あまりにもよろしくないことはわたし自身が重々承知している。

人と繋がることを恐れてるはずなのに、人と関わることを何よりも求めている。独り身真っ只中のとき「ミホは誰かがいないと生きていけないよね」と友人に言われた。その通りだ、誰かがそばにいてほしい。でもその誰かですら傷つけ、突き放し、試すようなことをしてしまうから恐ろしい。やっているときは気付けないのだ。

1人になりたいわけじゃない。ただ、裏切られたり、自分が嫌な気持ちになるくらいなら、自分から関係を壊したほうがマシだと思ってしまう。どうせうまくいかない、どうせ何をやってもダメ、どうせできない、そんなことばっかり考えてしまう脳内、だからなんにも長続きしない。どんなことであれ、続けることって1番重要なのにね。

年々、この投げやりの思考がひどくなっている気がする。人間関係がまったくと言っていいほど築けない。文章にすればこんなにベラベラ書けるのに、話そうとすると思ってることの1割も言えない感覚。

だって、どうせ、何にもわかんないでしょ、というやつ、本当に嫌なやつだということはわかっている。
腕を切りたくなる気持ちを他人がわかるわけがない、話したところであんたに何ができるんだ、話しながらけっきょくのところ自分がもっと頑張ればいいだけだと思ってしまうわたしの気持ちなんてどうせわかんないじゃん、それで?けっきょく最後に苦しんでやるのはわたしじゃん?

嫌なやつだ、だって少なくともちょっとでも楽になったらいいな、とか、助けてあげたい、とか、思う気持ちがあって声をかけてくれてるだろうに、そんなことばっかり返されたら嫌になるに決まってる。

嫌われたくない、と、嫌われたほうがマシのあいだにいる。早く嫌いになってほしい、でも本当はそうやって言って試してるだけかもしれない。

素直になるって難しい、何話したらいいのかわかんなくなる。わたしの話したいことってだいたいが仕事のことか、こういうメンタルの話。そんなのつまらなくなっちゃうだろうし、しんどくなっちゃうと思う。そんなの話せるわけがない。

自分のことが信じれないから、まわりのことも信じられなくなってる、きっとね。生きるのが本当に不器用だ。

もっと上手に適当に幸せに生きたいだけなのにな。


わたしの文章で何かできそうなことがあれば、全力で力になりたいと思っています。