水脈があると信じているから掘る

新しいことを始めるのはとてもワクワクするものだ。しかし、大人になるにつれ、あれこれ余計な知識や常識が身につき、ワクワクよりもリスクを気にするようになる。

だから、大人になっても新しい分野に挑戦する人や、環境に飛び込む人は、どんな人でもカッコイイし、その心に共感する。

だが、周囲からの目というのは大多数が冷めているはずだ。「何をやってるんだ、非常識なやつめ」「30代なんだからそろそろ子どもでも生んで落ち着いたらどうなんだ」「そんな事業やってニーズはあるのか」「儲かるのか」

なんてね。まあ、言いたいことはわからなくはないが、とりあえず「黙って見ておけ」と一喝したい気分になる。

挑戦している当事者というのは、全身全霊を込めて物事に対峙している。そこには「水脈がある」と信じているからだ。「水脈」を掘り当てると、そこには小さな水たまりができ、周りの生物や人々は潤い、更に環境を整備しやがて湖となる。

湖になれば、より多くの人達へ、多くの水を届けることができる。今まで水を得ることが出来なかった人達へ、だ。これはとてもワクワクすることではないだろうか。挑戦する価値は無いと言えるだろうか。否、そんなことはないだろう。

誰かが挑戦し、出来た湖が、この便利な世の中の一端を担っている。僕もその一端を担えるようなサービス、産業を作り上げるべく、自分の出来ることをやっていきたい、そう思う。


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