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長谷川秀一【信長の野望新生PK】(登録武将)


長谷川 秀一(はせがわ ひでかず)

信長の近習として活躍した武将。史実での活躍は、名人久太郎こと堀秀政と遜色がないほどの人物だが、なぜか収録されていない。
家康の伊賀越えを案内した人物としても有名(だけど大河ドラマでも見たことない。)
顔グラフィックは長谷川博己さんに似てるから、長谷川繋がりで

能力値

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\begin{array}{|c|c|c|c|} \hline
統率 & 武勇 & 知略 & 政務  \\ \hline
74 & 78 & 76 & 84  \\ \hline
\end{array}
$$

戦法・特性

【戦法】早駆(機動力上昇)
【奉行特性】南蛮奉行
【家宰特性】軍役増強・優
【特性】差配(積極的に味方救援)
    能吏(街道に関する具申)
    作事(城下建設効率化)

生年寿命・血縁・列伝

【生年】1558年(史実では不明)
【寿命】41歳(史実では1594年に病死)

【血縁】なし
【親愛】堀秀政
【嫌悪】なし

【列伝】
織田家臣。徳川家康の堺見物の案内役を務め、本能寺の変報に際しては、家康に同行し伊賀を越えた。以後は豊臣秀吉に属し、越前東郷城主となった。

補足説明

若い頃より信長に近侍し、小姓を務めた。信長側近として八面六臂の活躍をしている。例えば佐久間信盛追放後に代官を務めており、重臣の穴を埋めることができる実務能力があったことがうかがえる。
豊臣政権でも順調に出世し、近江肥田城主、越前東郷城主などを務めるが、朝鮮出兵中に若くして病死した。
生年はわからないものの、活躍の時期や交友関係を鑑みれば死亡は30代後半~40代前半だと思われる。
同僚の堀秀政とは姻戚関係でもあり、似たような立場でもあるから信頼関係があったのではないかと推測。仕様上、親愛が一方通行になるのは少し寂しいが。

信長側近時代は、伴天連屋敷造営奉行を務めたことから奉行特性「南蛮奉行」、安土城の馬場建設を務めた記録から、特性「作事」を採用。
本能寺の変が起きた際は、徳川家康の案内役を務めていたため、「早駆」「能吏」といった戦法・特性を付けた。

小田原合戦では3000人を率いる有力武将であり、朝鮮出兵でも5000の兵を率いた。領地は最大で15万石とも言われ、立派な豊臣大名であるがなぜ信長の野望に収録されないのか、不思議で仕方がない。一般的な知名度が低すぎるのか。

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