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ミャンマーロックダウン遂に。

しばらく更新できていなくて、ごめんなさい。

私がnoteを更新していない間、こんなことがありました。

時は9月上旬。茂木外務大臣のアジア諸国訪問。これによりミャンマー日本間でのレジデンストラック・ビジネストラックの合意がなされ、早々に開始されることに。

限定的ではあるものの、これでいよいよ日本とミャンマーの国交が再開される...!とミャンマー関係者の中では、期待に胸躍らせた人も多かったはず。例に漏れず私もその一人でした。

9月当時ミャンマーは外国人の受け入れを停止。日本からミャンマーへは、ミャンマー政府の救援便(日本在住のミャンマー人帰還のための)の余っている席に乗せてもらう、というのが唯一の入国方法。こちらも、ODA関係が優先されている状況で、HerBESTのような一般企業は引き続き様子見という状況でした。

この状況下で茂木大臣の訪問によって、ついに扉が開かれようとしていたまさにその時、ラカイン州でのクラスター、感染拡大が起こったのでした。

ラカイン州での感染拡大はあっという間に都市ヤンゴンでも広がり、当初は0~10人/日だった感染者数も30、40、90と日を追うごとに拡大。9月半ばには、600~700人/日が感染するという状況に。予定されていた救援便も、ミャンマー側の受け入れキャパが不足している(PCR検査の不足等)から、延期になってしまいました。

9/20、夜20:00。私は友人と、高田馬場のミャンマー料理店で、食事を。ミャンマーの怪しげな香りのする料理を友人に食べさせては、ひゃっひゃと笑い、日本在住のミャンマーの人と(お店のおくさんとご主人)と会話をし、やれ、あの通りのモヒンガ(麺料理)は最高だの、あのパゴダ(寺)が好きだの久々のミャンマートークに胸踊っていたあの夜。ついにミャンマー政府は、STAY HOME措置の強化(ほぼロックダウン)の決行を決めたのでした。

スタッフから送られてきた政府文書はPDF。当然英語ではなくミャンマー語。もう、何が書いてあるか全く読めないし、PDFだからGoogle翻訳にかけるわけにもいかない。困り果てた私は、お店のおじちゃんのもとに走り、解読してもらったのでした。

「ああ〜、なんだっけ、あなたはなにを仕事にしてるの」

「ハウスキーピングです。お家でアイロンをしたり掃除を...」

「ああ〜だめだね。明日から営業休止だ」

「明日!?!?」

もうその夜は22:00を回っていたというのに、明日の朝8:00からの全面的な外出禁止令。すっかり困って、お客様に連絡をいれ、混乱するスタッフにも連絡をいれ、急ぎ印鑑やら大事なものをとりにオフィスに行ってもらい、給与の先払いをし、私たちはロックダウンに入ったのでした。

ロックダウン開始は9/21日。今日で2週間以上たちますが、感染拡大に終わりは未だ見えていません。ついに感染者数が20000人を超えたという報道も目にしました。引き続きHerBESTはお休みで、多方にご迷惑をおかけしておりますが、なんとか、なんとか乗り切って、また、みなさんのお家を、大好きな私の自慢のスタッフたちと共に、お掃除に伺いたいです。

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ミャンマーでハウスキーピングの事業をしています。慣れない国での葛藤や経営の難しさ、毎日の中にある喜びを、小さなことから大きなことまで伝えていきます。

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