青梅のなる頃に、思い出すこと
その古びた小瓶が、キッチンの棚、奥底から発見されたのは、祖母が亡くなって7日目のこと。そこには忘れようもない、7日前まで息をしていた祖母のなつかしい文字があった。
「1987年10月14日」
おそるおそる、小瓶を取り出して蓋をあける。
ふわっと、どこか懐かしい、梅の香りが広がる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
私は、死んだ祖母が大好きだった。彼女はお世辞にも美人とはいえなかったが(ごめんなさい、おばぁちゃん)、どこか愛嬌のあるまんまるのテディベアのような風貌をしていた。
大きな声でよく笑い、人のために涙し、困っていると聞けば、ご近所の魚屋にほいほいっと200万貸し出すような人だった(それが大丈夫かは別として)。高校の制服を洗濯機でじゃぶじゃぶ洗ってしまうような、お茶目なところもあった。祖母の作る料理はどれも最高においしかった。
特に、6月になると毎年つける梅シロップが、私は格別に好きだった。
よく夜中に一緒に飲んだのだ。祖母と。その度に祖母が
「あっらー、こんなに美味しくできちゃって、私天才かしら。」
と自画自賛する姿が、微笑ましくて大好きだったのだ。
iPhoneをみていたら、まさにできたての梅ジュースを自慢している真っ最中の祖母の写真がでてきた。久しぶり。おばぁちゃん。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
昨日まで元気だった祖母は、或る日突然、死ぬことになった。それはよく晴れた夏の日で、緑の木々が眩しい、そう、まさに青梅の季節。その年、初めて祖母は青梅を漬けなかった。急に癌であることが発覚して、そこから3ヶ月。お医者さんの予言通り、祖母は亡くなった。大量の未整理のままの遺品を残して。
お葬式は質素に家族のみで執り行われた、と言いたいところだが、祖母はちょっとした世界の「まぁまぁえらい」人だったので、どちらかというと、豪華なお葬式となった。つまり、家族はバタバタだった。
祖母が亡くなったその日、祖母の師匠である白髪のおばぁさんが、お花も持たずに訪ねてきて、挨拶も早々に、私たちに「お葬式の方針」を聞いてきた。そして、ああでもないこうでもないとご指導ご鞭撻を承り、「祖母の葬式」というイベントはかつてないほどの困難を極める家族総出の大イベントとなってしまったわけだ。
まぁ、とにかく。このお葬式について語り出すときりがないので、関係者が全員死んだ頃noteにでも書くとして、話を戻そう。なにが言いたかったか、というと、私たち家族は、大イベントに忙殺されて、きちんと「悲しいな」と感じられずにいた。
まだ祖母の気配を感じるキッチン。愛用していた包丁。祖母のぬか漬け。もう二度と、包丁がトントンと、キッチンに響くこともない。ぬか漬けを渋い顔で一緒に嗅ぐこともない。
そんなことを感じながら遺品整理していた、ある夜。
私はまだ整理されていない、棚の端の暗がりに、
その梅酒の入った小瓶をみつけたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「1987年10月14日」
それは紛れもない、私の誕生日。
おそるおそる、小瓶を取り出して蓋をあける。
ふわっと、どこか懐かしい、梅の香り。
本当は今年祖母が漬けるはずだった、青梅の香りだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
少しだけ取り出して、口に含んだ。
「あっらー、こんなに美味しくできちゃって、私天才かしら。」
祖母の声がその時、確かに聞こえた。
私の誕生日だったのは、たまたまかもしれない。気まぐれかもしれない。そして祖母も梅酒を漬けたこと自体忘れていたかもしれない。いや、もしかしたら、祖母は今年のために、あのとき梅酒を漬けたのかもしれない。
真相は定かではないけれど、自分の人生と同じ分だけ付け込まれた梅酒を飲んだあのとき、私は祖母を感じた。祖母が自分の一部であることを感じたのだ。それと同時に涙が溢れ出てきて、だいすきな私のおばぁちゃんは、もうこの世にはいないことを知った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
6月13日は祖母の命日。あれから7年が経った。
今年も青梅の季節がやってきた。
ねぇ、おばぁちゃん。元気でやっていますか。そちらはどうですか。
きっとあなたのことだから、
そちらの世界をエンジョイして楽しい毎日を過ごしていると、思うけれど。
私はしばらく会わない間に、いろいろあったよ。
いくつか恋愛をして、ミャンマーで仕事をはじめて、
前より家事もできるようになって、
もうだらしないゆりこだなんて、言わせないよ。
まだまだ足りないことばかりだけどね、
あなたのおかげで、私は、200万円借用書なしで貸すようなことはしないし、あなたのおかげで、制服を洗濯機で洗ってしまうようなこともしない。
おばぁちゃんにおしえてもらった料理、たまに思い出して作るよ。
そのたびに「あら、私天才かしら」って、言ってみてるよ。
おいしいけどね、追いつけないよ。まだまだ全然追いつかない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
今年も青梅の季節がやってきた。
いつか私も、大事な人のために、大事な人と一緒に
甘い甘い梅酒を漬けよう。
あなたが存在したことを、そっとそっと確かめるように。
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