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「はなまるママね」といわれたあの夕暮れ

マレーシアのインターナショナルスクールに行こう、と決めた動機は、一言でいえば「子どもの視野と可能性を広げたかった」からだ。

子どもには、幸せだ、楽しい、と思って生きていってほしいと思った。

「幸せ」とは「選べること」だと思った。

だから、はじめての子が生まれた時から、「この子の可能性を広げる」ためにできることはなんだろう、と思い続けてきた。

いろいろな育児書を読み、教育についての本を読み、専門家のセミナーを聞いた。日本以外の教育がどうなっているのかも興味をもった。

でも結局のところ、「自然」に勝る先生はいないと思ったし、
「実体験」「本物を見る」以上の学びはないと思ったし、
「なんでも自分でやってみる」ことが大切、と考えて、
とにかく外に出た。
そして、たくさんの発見を一緒にして、会話をした。

最初は屋上や近所の公園。
少しずつ、遠い所へ。抱っこで、歩いて、ベビーカーで。
バスで、電車で……。
いろいろなところに連れて行った。
興味を示すものにはとことん付き合おうと思った。

季節を感じ、不思議を感じ、なんでもやってみよう。
公園・水族館・動物園・水遊び・博物館、とにかく行けるだけ連れて行った。

上の子は男の子で、小さい時は乗り物が大好きだった。
いろいろな乗り物を観に、乗りに、連れて行った。

乗り物が好きだったから、ほとんど、公共の交通機関で行った。電車、バス、船、時には特急列車に新幹線。蒸気機関車も。
3歳差の下の子が生まれてからは、0歳と3歳、1歳と4歳、2歳と5歳…の二人の幼児を連れてあちこちに出かけていた。

新橋経由でゆりかもめ(東京都港区お台場にある無人運転のモノレール)に乗ってどこかに行った帰りだった。バスだったかゆりかもめだったか、なんらかの乗り物の接続が悪くて、思ったより帰りの時間が遅くなってしまった。子どもは2歳と5歳のときだっただろうか。

やっと家の最寄り駅まで帰ってきて、家まで続く坂道をのぼるとき。
下の子は、いつものようにベビーカーで眠ってしまった。
上の子は、いつもよりも疲れてしまっていた。

子どもが2人とも疲れてしまったときは、普段は小さい方を抱っこして、上の子をベビーカーに乗せていたのだが、家までもう少しだし下の子は寝てしまったし、私もちょっと疲れてしまっていたし、上の子があと数分だけこのままがんばって歩いてくれないかな…と期待して、なるべく楽しく歩けるように気持ちを盛り上げながら坂をのぼっていた。

が、もう歩けない、とついに上の子が泣き出してしまった。

上の子が悲しそうな顔をするので、私も悲しくなってしまった。
夕暮れだった。薄暗くなってきて、もっと悲しくなってしまった。
もっと早く帰ってくればよかった。楽しかったけど、なんだかうまくいかなかった。小さい子なのに無理をさせちゃった、と後悔した。

悲しい気持ちと疲れと、申し訳ないような気持で、しゃがみこんで上の子を抱きしめた。ちょっと涙が出た。坂道の途中の歩道で、ベビーカーの横で、2人で抱き合って泣いてしまった。

夕暮れ時の住宅街の坂道は静かだった。

すると、通りかかった上品な老婦人が

「はなまるママね」

と言って通り過ぎて行った。

*  *  *  *  *

優しい声だった。
なんと返していいかわからないでいるうちに、ひとさじの温かさを残して、老婦人はそのまま通り過ぎていった。

その後のことはよく覚えていないけれど、ほどなく上の子と私は、大きなマザーズバッグがかかった重たいベビーカーを押して歩いて家に帰り、いつも通り、下の子をきちんと寝かせ、上の子とごはんを食べたりお風呂に入ったり絵本を読んだりして、眠った。

ただそれだけのことなのだけど、あのときの言葉を8年くらい経った今も忘れられない。

*  *  *  *  *

子育てには、大小の「失敗した」という思いがつきまとう。
自分の選択や判断はよくなかった、と後悔していたところ、

「はなまるママ」

といってもらえたことにどれだけ救われたことか。

もしも、「遅くまで小さい子を連れまわして」とか「子どもが可哀想」なんて責められたら、ひどく傷ついただろうと思う。
「ベビーカーで歩道をふさいで邪魔」という視線をかけられたとしても悲しかったと思う。
今なら「そんな些細なこと」と思うかもしれないけど、あのころはとにかく何もかもが初めてで、一生懸命だった分、ときにはいろいろなことが気になった。

*  *  *  *  *

あの老婦人は、私のなにが「はなまる」だと言ったのだろう。

毎日一生懸命ではあったけど、そんな一生懸命な母親である私の普段の姿を通りがかりの彼女が知るはずもなく、
離乳食を食べない子どもにどうにか美味しいものを、と奮闘していたことも、
お風呂に世界地図ポスターを張って子どもと一緒に国旗を覚えたことも、
毎晩、絵本を読んでいたことも、
幼児を連れての1日がかりのお出かけにどれだけの準備をしたかも、
知るはずもないのに。

ご近所の方だったのだと思うけれど、どなただったのかわからないまま。
だけど、いまでもたまに思い返しては心でお礼を言っている。

今は13歳と10歳になった子どもたちをみながら、たまに、あのころはとにかく一生懸命だったなあ、と思い返し、
あの老婦人のような優しさを、一言を、見ず知らずの人にも向けられる人に私もなりたい、と思っている。

いろいろな人に親切にしていただいて私の子育ても成り立っているなあ、と思う。私もそれを返したい、と心から思う。

そして、みんながそういう気持ちを向け合い、感謝し合える社会であったらいいな、と思っている。

*  *  *  *  *

カナダにも桜が咲いています。

あのころ、「公園に行こう!」という子どもの声に背中を押され、暗くなるまで砂場で遊んだ公園の桜と同じ色の桜です。


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