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音楽を政治のオモチャにさせない

今更かもしれないけど、あの「便乗動画」について書き残しておきたい。

4月12日、Twitterを見てビックリしました。


星野源さんが『うちで踊ろう』という曲をつくって、弾き語りの動画をInstagramなどにUPしているのは、何となく知っていて。
「伴奏やコーラス、イラストやダンスを重ねてくださいね」とツイートされていたので、さすが!おもしろいこと企画したなぁと思いました。

すぐに楽譜もUPされて、こちらには「どんどん弾いて、アレンジして、歌って動画をアップしてくださいね」と。

ぼくも何かできないかなと、楽譜を見てみたのですが。
星野源さんは9thなどテンションコード多め、ぼくには「ムリ」と思ってすぐに諦めモードでしたけど…。

英語では『Dancing On The Inside』の表記で、「うち」とは「家」に限定していない、「自分の内面」のようなニュアンスだと、後で知りました。
(ご本人の言及、正確に憶えていないので、ぼくなりの言い方ですが)

コラボの動画も、リツイートされたものがちょこちょこタイムラインに出てきて、いいなぁと思っていました。
純粋に楽しかった。


で、12日の朝、だったかな。

いろいろな人が、「なんだこれは」という感じでツイートしていました。
ほんとビックリ。

その星野源さんの弾き語りの横、犬を抱いたりお茶を飲んだりするアレの姿が…。

あ、一応注釈しておくと。
アベノマスクのあたりからだったか、もっと前かも知れませんが。
どうしても政治家として尊敬できるところがもうひとつもないので、名前も呼びたくないのです。
(氣に障るという方は、この先ムリしてお読みにならないでくださいね)


とにかく、普段は批判しないような人たちまでもが一斉に「おかしいだろう」と。
アベノマスクのとき、みんな相当激怒していましたけど。
それに次いで、かなりの怒りの声。

個人的に、余計に腹が立ったのは、メディアの取り上げ方。
「驚きや戸惑いの声が」や「賛否両論」など、作為的な言葉のすり替え。
しかも、コラボ動画って、全然「コラボ」じゃないから。


で、ちょっと長くなってきたので、本題。
この「便乗動画」、何が問題だったの?ということが話題になりました。

何だかいろいろと、むずかしく捉えているものもあるみたい、なので。
それが間違い、ということじゃなく、ぼくなりに簡潔に言えたらいいなと。

まず、「首相のことがキライな人が文句言ってるだけでしょ?」は単なる言いがかりだと思います。
もちろん、そういう人も何人かはいるにはいる、んでしょうけど。
これは、問題を矮小化しているだけでしかない。

あの「便乗動画」の何が問題か、何が人々をイラつかせたか。

それは、「圧倒的なセンスのなさ」じゃないでしょうか?

センス、と言ってしまうと「ファッションセンス」のようなイメージで捉えてしまうかもですが。
センスsenseって、要は「感覚」。

政治的なセンサーが、全然働いていない人。
いや、機能してる/してないどころか、感情を逆なでしてくるような人。

「センスがない」でも、まだ言い方が柔らかいとすれば。

無神経。
厚顔無恥。

とにかく、あれ見てイラっとしたんです、多くの人が。
そこには多少のポイントのバリエーションがあるとは思います。

あの無神経さは、音楽やアーティストに全然リスペクトがないってこと。
そのことは、あれを「ひどい」と思った人共通のものじゃないかな。

その上、音楽や文化芸術に対しての補償をしないくせに、活動できないアーティストの創意工夫の「美味しいところ」だけを掠め取った。
その辺のことは多くの方が分析していて、その通りだと思います。

ただ、みんながみんなその「本丸」にたどり着けたわけじゃないけど。
言葉として核心まで届かなくても、みんなそれをわかった上で腹を立てていたんだろうとぼくは思っていて。

とにかく、多くの人が感覚的に「こりゃダメだ」って。
悲しくなったり、怒ったり、反応もさまざまあったけど。

そのダメのボーダーラインについて、議論する意味はあると思います。
でもでも、今回のはもうボーダーを悠々と超えて、土足で踏み込んできた。

「便乗動画」って書いてきましたけど、便乗ですらない。
ハイジャック、乗っ取りですよね。


「コピーレフト」っていう言葉、だいぶ前に知ったときに、これはおもしろい!と思いました。
「コピーライトcopyright(著作権)」に対して、「copyleft」。
言葉遊びがうまくハマっているのが余計におもしろくて。
(詳しくはWikipediaなどで)

で、ぼくの認識が合っているかわからないので、間違ってたらすみません。
Wikipedia改めて読んだけど、そこまで理解ができなくて…。

「コピーレフト」は、著作権を「放棄」したわけじゃない。
改変はウェルカムだけど、改変したものを勝手に販売するのはアウト、じゃないかな。

だから今回のこれも、例えば企業が自社のPRのために動画を利用したとしたら、批判されたと思うし、アウトでしょう?
それが政治家だったら?

「政治利用」という言葉だとちょっとニュアンスがぼやけてしまう、ぼくはそんな氣がして。
だって、「利用」したんじゃなく、どっちかというと「悪用」だよね。

だからぼくは、音楽を「政治のオモチャにするな」と、そういう言い方をしました。

12日のツイートにぼくはこう書きました。
「百歩譲って、国民に現金給付します、文化芸術のための補償します、であの動画なら、まだ納得のしようがある」と。


別の例えを思い付きました、うまく伝わるかな。

なんて言うか、「カラダ目当てで近づくナンパ師」みたいな感じ?

さっきのツイートの続きに、「発想が詐欺師」とも書いたんだけど。
ほんとに、詐欺的手法でしょう、こんなの。


特設サイト「自民党2019」のときもそう。
あのときからセンスないよ。
いや、もっと前からだけどさ。

あの場合は、天野喜孝さんは積極的に協力しちゃったんだよね、あぁ。

詐欺的、ということで言えば、「桜を見る会」がリンクする。
今回はそこまで書くと長くなり過ぎるので、やめておきます。
(写真は、買いもの途中の公園で撮った八重桜、ちょうど一週間前)


とにかく、理由は十人十色でも、もっと怒っていいはず。

「カラダ目当て」ってのは、その人をちゃんと見てないってことでしょ?
音楽を、ただの人氣稼ぎに使われたらダメだって。

これも12日にツイートしたことだけど。
「平和主義」なら、ちゃんと怒ろう、怒れるときに。
これはもう、星野源さんだけの問題じゃない。
音楽を奪われるな。

あの奪い方を権力者がやったら、「暴力」と同じ。
「ことなかれ」で済ませたら、絶対後悔します。

ミュージシャンの端くれとして、これはやはり看過できないのです。
さらっと書くつもりだったのが、やっぱり熱くなってしまいました。

でも、繰り返します。
怒れるときに、声をあげられるうちに、ちゃんと言おう。

歴史の中では、歌を奪われたミュージシャンだってたくさんいる。
その人たちに代わって、そして未来の人たちのため、言い続けます。

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