見出し画像

辛くても、なおのこと

私は、産まれつきの脳性まひによる、重度の身体障害者ですが……

義務教育の9年間は普通学級でした。
当時は、障害に対する社会の理解が乏しい時代だったという事と、どちかと言えば、私の意思より親の意思で通学が決まったことなどから、
教師からも同級生からも、ネチネチといじめられた経験があります。
当時はほんとに辛かった。
子どもながらにも、ぼんやりと『死』を考えるくらいに辛かった。
それでも……今となっては、あの時、無理してでも頑張って普通学級に通っておいて良かったと感じています。
なぜなら……
世間では『健常者の方が数が多い』または『少数でも声の大きい』方に論理が動くと知れたからです。
そして、何よりも……
『この世はハナから居心地が悪い』……
つまり、自分の思った通りには、容易には物事の理屈は動かない 。ということを理解しました。
しかし、だからといって、生きること、暮らすことを諦めていては、それこそなんにもなりません。
居心地が悪いのなら、それを良くしていけばいい。状況を変えようがないなら、逃げ道、抜け道を探す。
なんであれ……ただ受け身、座って待つだけのお客さんでいてはいけない、
人生の主役は自分なのだから……
どうするにせよ、何を決めるにせよ。
まず自分で考えを巡らせ、動かなければ……

私は別に、養護学校、特別支援学校が悪い所だ。
そこに通う子どもさんがダメな子だ、というつもりは無いです。
しかし、分けられ、隔てられて育ったお子さんは『弱い子』になってしまうというのは、
私自身、特別支援学校の高等部に編入した時、同年代の仲間を見ていて思いました。
彼ら彼女らは、それが決して彼、彼女の責任という訳では無いにせよ……
成長過程で『受け身』のままで、弱いまま育てられてしまった。と、私にはそう見えたのでした。
確かに現状でも、普通学級は決して、障害児に優しい、と言えるような環境ではありません。
しかし、だからこそ、そこに通う意味があります。
だって世の中そのものが、まだまだ……
何も無かった昔に比べたら、随分マシにはなったけれど、それでも障害者に優しくない社会なのですから。
そこでの身の振り方、過ごし方を決めるためにも、
なるべく子どものうちから、イージーよりはハードモードで行った方がいい。と考えます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?