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23-69. 母親の自律と自立|よかった、おかあさん、自分のこと、いま好きなんだね

以前こちらのnoteでこんなことを書いた。

子どもは自分を傷つける鏡のような存在だったりします。「お母さんはきょうは機嫌が悪いので何もかも全部をお休みしたいです」というムードになったとしても、子どもはそういうときほど容赦なく、粘着力たっぷりにからみついてきて「わたしのことを愛していマスカ?」という不安げな表情と共にわたしの目の奥を覗き込み、わたしの中に愛があるかどうかを確かめにくる生き物なのです。たぶん。


これを読み返してみて、「あ、そうじゃないな」と思った。

子どもがわたしを見て不安気なのは、おかあさんが自分のことを愛していないかもしれない、という不安ではなく、おかあさんであるわたしが、ちゃんと、わたし自身を愛しているかどうかを心配しているのだ。

ライティング・ライフ・プロジェクト(以下WLP)のファシリテーターとして、フィードバックをしていて気づいたのだが、わたしは幼いときから「わたしは悪い」という信念が、少し人より強かった。もう、物心ついたときからそうだった。

人格は10歳までに形成される、とか言われるけれど、わたしは8歳くらいのころに仲良しだったグループから集団無視にあったことがある。

そのことをWLPの講座生さんが提出してくださった課題を読んでいて思い出したのだ。

とはいえ、すっかり忘れていたわけではない。詳細は割愛させていただこうと思うが、当時、弟がうまれたばかりだったからなのか、承認欲がひじょーに強くて。

友人を子分のように扱ったことがあり、それが直接的な原因なのか、はたまた、偶然が重なったのかわからないが、あたらしく学校にはいってきた転校生を中心に、集団無視にあってしまったことがありました。(転校生にいじめられるって、なかなかめずらしいパターンよね)

でも、原因はわたしにあると強く信じ、自分を恥じ、親にも言えず、「自分はダメ人間だ」「悪いことをするとバチがあたる」という信念を持った。

お腹をよく壊すこどもだったので、お腹がいたくなるたび、「わたしは悪い子だからこうなるんだ」と、どんどん「自分ダメな子」という信念を深めていくのだった。

暗い話になっちゃったな。笑

大人になってからも、仕事でトラブルがあったときは、咄嗟に「わたしが悪かったのだろうか?!」と思ってしまったり、誰も責めていないのに「わたしは悪くない!」と主張したくなることもあった。なぜなら、「私は悪い」という信念を、根っこにもっているからだったのだ。

うーん。根深くて、無意識すぎて、全然気づかなかったや。

だからこそ、正しく生きようとするようになったんだと思うけど、「いい子ちゃん」は周りに過度に合わせすぎ、疲れてしまったのでした。

別にいい子じゃなくてもいい、このままの自分でいい、って思えるまでに何年かかったんだろう。そしていま、ほんとうにそう思えるときもあれば、うっかり今でも自罰的な自分が顔を出すことがある。

いい人に見られたがり、自分を必要以上に大きく見せようとして、自分を責めすぎてしまうことを、無意識にする。これはわたしのパターンで、そういうとき、自分で自分を罰している。

そんな感じになると、冒頭のように、子どもがサインを送ってくる。そして自分へのこだわりがなくなると、子どもは安心してくれる。

「よかった、おかあさん、自分のこと、いま好きなんだね」って。

子どもには、ごまかしは、きかない。子どもはなんでも知っているなあ、って関心しちゃいます。


自己否定をするのは簡単です。気を確かにもっていないと、わりと人って簡単に闇落ちするものだと思う。

メンヘラじゃないからわたし!って思ってる人に限って、けっこう脆かったりする、と思う。

そうならないために、日々ココロもカラダもメンテナンスしていきたい。

食事と運動(ヨガ)と睡眠、そしてモーニング・ページ。この4つでかなり変わります。

自分を律し、自分の足で立つには、自分をまず見てあげて、愛してあげること。

これは、口を酸っぱくして言いたいです。


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