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「それやってることキャバ嬢と変わんないよ(笑)」

自分でも、なぜこんな一言で怒りを感じてしまうのかわからなかったが、どうしようもなく許せなかった表題の一言。最近この感情に決着がついたので、前に進むため、ここに供養しようと思う。進もう私。

主催でイベントを開催した話

私が大学2年生の時、あるエンタメ系の社長2名との対談イベントを開催した。当時の私は周りの人がイベントをしているから、私もイベントしてみたい!という単純明快な理由で、イベントを開くことになった。当時はかなりアホの子で、イベントと言えば人を集めれば成立するもんだと思っていたから、私は当日までにとにかく人を集めた。20人くらい。
実は、それまでの人生の中で、私は何かのイベントに参加したことすらなかった。学校のイベントに参加したり、何とかマルシェみたいなものに遭遇したりということはあるが、何か目的をもってイベントに参加するという経験がなく、「イベントって何?」状態で、「とりあえず発表する人とそれを見る人がいれば成り立ちそうだな」と思ったので、沢山集めた。中身は対談してくれると言ってくれた社長が考えるんだろーなー、社長が好きなことしゃべって就活生でも見つけんだろうな。と思い、ほとんど関与しなかった。

イベント後の衝撃の一言

イベントは無事成功し、その後、社長二人に焼肉に連れて行ってもらった。肉だけは美味しかった。しかし、「頑張って人集めた!」と満足していた私に対して、そのうちの一人に「君のそれって、キャバ嬢と変わらないだろ」とボソッと言われた。正直クッッッッッソイラついた。でも、目上の人だし、「は?なめてんじゃねぇよ、キャバ嬢だって立派な職業だろうがクソ野郎」なんて言えなかった。それに、どことなく「うーんそうなのかな、まあ確かに私集めただけだしな…コミュ力だけで乗り切ったしな...」という気持ちもあり、その時は何とも言えない気持ちになりながら別れた(もう二度と会いたくない)。

でも、この一瞬の怒りが、後々尾を引くように私について回る。

実は、当時、私は生活が切羽詰まっていた。その中で色々なアルバイトを試したが、遅刻・ルールを守らない等でクビになったり居辛くなったりして長続きせず、最後の砦として待ち構えていた水商売に片足を突っ込みかけて、辞めた思い出があった(働いたのは2,3日くらい)。自分の体を売っているような抵抗感があったので、単純に肌に合わなかった。けれど、コロナ真っただ中、一生懸命働くキャバ嬢のお姉さん達の仕事を見て、ある意味自分には出来ないことをしているなあ、凄いなという感情もあった。
そして最後の砦に頼るのは本当に最後にしとこう、と自分の中でそっと決意していた。
なので、水商売にも通常アルバイトにも頼らず、自分で自立して稼ぐにはキチンとしたビジネスをするしかない!→意識高い系の学生団体の人にイベントした方がいいと言われた→出来ることは何でもやる!イベントしよう!という経緯で、やっと勇気を出して開催したのだった。人を集めるのだって本当に大変だった。

そんな中で、この言葉を言われた。自分が尊敬している対象を貶された怒り、そしてそこに頼らず自立しようとしている最中の自分自身を貶された怒りの両方が、私を襲った。

何度も蘇る怒りの理由

でも、私はたいてい、誰に何を馬鹿にされても、「そうなんだなあ」くらいで、後々怒りが尾を引くように発生したりしない。この記憶だけが、脳裏を何度もチラつく。
どれだけ水商売に頼らず、オフィスワークで生きていけるようになっても、怒りは収まらなかった。

それは多分、わたしも心のどこかで水商売を下に見ているところがあって指摘されたことが図星だったからなのだと思う。私も、どこかでかすかに、「見下されてもしょうがないよな」と感じていたのだ。体を売るなんてはしたない、どうせ適当に生きてきた人たちの集まりでしょ、底辺でしょ…みたいなね。親や社会から受けてきたそういう洗脳が、解けてなかった。
じゃないと、きっと「最後の砦」なんて思わない。
だから、「キャバ嬢と変わんないでしょ(笑)」と言われた時、「自分が見下している職業と一緒にされた」と、途轍もない怒りに襲われたのだ。

私は、すべての人、すべての環境から学べるものがあると思っている。自分はどんな立場になっても、誰かを見下したりしない。全員に対して、平等に愛を持って接していきたい、という気持ちがある。
私のポリシーみたいなものだ。「職業に貴賎なし」という言葉があるが、それがただの綺麗事でも、私は他人に対してそういう態度で接したい。

一方、「いい人生とは何だろう」と悩み、なるべく清く正しく生きていきたいという思いもある。その中で、かすかに「水商売は、やると心が削れていくからダメなんじゃないか」みたいな、考え抜かれていない、誰かに対して優しくない偏見を持ってしまっていた。

これから

「あ、これ、自分の偏見に自分で苦しんでたんだったわ」って気づいてからは、詰め物が取れたように苦しさがなくなりました。

今は、いろいろと経験もしてきて、ADHDなりにやり方があるとわかって来たので、そんなに怖くも切羽詰まった感じもありません。水商売なんかに関わったら人生終わる!という偏見をさらに無くすために、働いてみてもいいかなと思いました。
馬鹿にされるのもまた一興です。
全員に対して、平等に愛を持って接するというのが、私の人生のポリシーだし。達成できるよう日々精進します。


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