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海洋にまつわる話(第3回)

第2回では、公海における旗国主義の考え方、船籍制度と便宜置籍船の現状、軍艦の定義や地位等について概説しました。第3回となる今回は、海洋安全保障政策と、そのために海軍力が担う役割や実際の活動等についてお話していきます。
 
1 海洋の特性と近年の傾向
第1回では、国家主権の及ぶ領域や、その外側に広がる様々な水域、更にそれらの水域においてどのような権利を行使できるかについてお話しましたが、陸地に比べると、海洋では安保環境が不安定化しやすいという特性があります。それは、概ね以下の理由によるものです。
 
法的ガバナンスが不十分
陸地(つまり、領土)では国家主権が完全に及ぶ一方、海洋(つまり、領海、接続水域、EEZ等)では沿岸国が行使できる権利が限定され、或いは旗国側に一部の権利が認められており、国際社会の法解釈においても曖昧な部分が残されている
 
物理的な対策にも限界
海洋の境界は、陸上に比べてかなり広範かつ曖昧であり、また陸上のように「鋼鉄の非常線」(Cordon of steel)を張ることなど出来ないので、境界や水域の警備は専ら船舶や航空機でのパトロールに依らざるを得ない
 
近年、このような海洋特有の脆弱性を巧みに利用し、公船による領海侵入や漁船による違法操業、更には軍艦による軍事活動を活発化させて現状変更を試みようとする国家や組織が台頭しつつあります(日本周辺での実際に起きている具体的な事例については、次回、最終回で取り上げます)。
 
2 海洋安全保障政策
(1) 海洋状況把握(MDA:Maritime Domain Awareness)

このような背景を踏まえ、近年、世界各国で進められている代表的な海洋安全保障政策のひとつにMDAというものがあります。MDAは、2001年の同時多発テロを機に米国で検討が始まり、欧米が先行的に整備を進めてきたもので、関係機関が取り扱う海洋情報などを組織横断的に強化して、国や地域の安全保障、治安、経済、環境等に影響する情報を統合的に把握しようとするものです。
 
日本でも、海洋をめぐる安保環境が厳しさを増し、更に南海トラフ地震・気候変動・水産資源管理等、海洋環境に係る問題も喫緊の課題として浮上していることを踏まえ、2013年に海洋基本計画を制定しました。
 
更に、2018年5月の第3期海洋基本計画では、MDAの能力強化に関する主要施策を更に具体化するなど、政府及び関係機関が海洋情報を広範かつリアルタイムに共有し、国家の安全保障、海上安全、自然災害対処、環境保全及び産業振興等に幅広く利活用する取り組みが進められています。

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MDAの利活用分野及び推進体制《内閣府ホームページ》 

(2) 船舶自動識別装置(AIS:Automatic Identification System)
特に、MDAを高めているのは、近年、導入が開始されたAISの存在です。
 
テロリズムへの対処を目的として、2002年に国際海事機関IMO:International Maritime Organization)(注1) の主導により海上人命安全条約(SOLAS条約)が改正され、この改正文の中にAISの設置に関する事項も盛り込まれました(同改正条約は2004年7月に発効)。
 
(注1) 国連の専門機関のひとつで、海上航行の安全性及び海運技術の向上、タンカー事故などによる海洋汚染の防止、諸国間の差別措置の撤廃などを目指している。個々の船舶には、識別のためにIMO番号という恒久不変の番号を付与している
 
AISは特定の船舶に搭載される一種の通信装置で、日本では2008年7月以降、以下の船舶にAISの搭載が義務化されています。
① 国際航海に従事する300トン以上の全ての船舶(300トン未満の漁船などに装備義務はない)
② 国際航海に従事する全ての旅客船
③ 国際航海に従事しない500トン以上の全ての船舶
 
AISは、当該船舶の識別信号(注2)、種類、位置、針路・速力、航行状態、その他の安全に関する情報を、VHF帯の電波(注3) を介して船舶相互間及び船舶と地上局等との間で自動的に情報交換を行うシステムです。

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(注2) 海上移動業務識別コード(MMSI:Maritime Mobile Service Identity)と呼ばれ、9桁の数字で構成される
 
(注3) 海上保安庁が、日本沿岸部にAIS用の地上局を設置して船舶の航行データを入手しているほか、民間会社と契約して衛星を介してのAIS情報の入手も可能になっている。2004年から、海上交通センターで使用されるレーダーシステムとAIS情報を融合させた新しい航行支援システムの運用を開始(2009年からは、一部離島地域を除いた全治岸海域での運用を開始)
 
AIS情報は一般にも公開されており、マリントラフィックのウェブサイトから世界中の船舶情報を見ることができます。

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https://www.marinetraffic.com

AISの普及により、それまで沿岸国等が多大な時間と労力を費やしていた「船舶の識別」を容易にすることが可能になり、結果としてMDAを大きく向上させたのですが、一方で、次のような課題も残されています。
 
〇 AIS装備義務のない300トン未満の船舶の動静把握が困難
〇 軍艦その他の政府公船は、職務遂行のため停波することが多い
〇 民間船舶も、海賊などによるシステムの悪用を回避するため、危険海域では停波することがある(臨時措置として認められている)
〇 国によっては、操業中の漁船も漁場を秘匿するために停波出来る
〇 船員が故意に停波させることも容易で、かつ発信情報を偽装する可能性がある(技術的に不可能ではない)
 
このように、海洋安保に係る課題は残されているものの、数十年前に比べればMDAを通じた海洋状況に対する認識度や理解度は高まりつつあります。
 
しかし、AISの普及だけでは海洋の安全保障対策としては不十分です。今後、強固なネットワークや人工知能(AI)と連接された無人ユニットでも普及しない限り、境界や水域の警備は、引き続き、専ら有人の船舶や航空機でのパトロールに依らざるを得ないでしょう。
 
3 海洋安全保障に係る実働部隊
海洋安全保障、特に国家の安全保障や海上安全に係る側面においては「既存の国際秩序が保たれる」ことが極めて重要であり、その実効性を高める役割を担う実働部隊(Law enforcers)、すなわち、海洋においては海軍や沿岸警備隊による平素の活動が欠かせません。
 
従来は、平素から警察権を持たせて法に基づき立件し刑罰に処する沿岸警備隊が前面にあり、他方で法がもはや機能しない世界で最後の砦として武力でもって脅威を排除する海軍が背後に控えている、このような構図が一般化し、海洋における挑戦的な行為に対する抑止カとして機能してきました。

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日本周辺海域で活動する実働部隊と
役割分担の概念図(Created by ISSA)

海上保安庁、海上自衛隊及び米海軍・第7艦隊の概要は、次のとおりです。
 
(1) 海上保安庁(JCG:Japan Coast Guard)
〇 1948年5月に設立された国土交通省の機関
〇 定員は12,916人
〇 予算規模はおよそ2,250億円
〇 巡視船127隻のほか、巡視艇238隻、その他210隻を保有
〇 航空機は、固定翼機27機、ヘリコプター48機を保有
〇 自衛隊法第80条により、防衛出動や治安出動があった場合等、総理大臣の命により防衛大臣の指揮下に組み入れることができる
〇 他方、海上保安庁法第25条では、海上保安庁又はその職員が軍隊として組織されること認めないとしており、有事の際は非軍事組織/文民として防衛省の指揮下に入ると理解されている
 
(2) 海上自衛隊(JMSDF:Japan Maritime Self Defense Force)
〇 1954年7月に設立された防衛省の機関
〇 定員は45,356人(現員42,850人)
〇 予算規模はおよそ1兆1,589億円
〇 護衛艦48隻のほか、潜水艦20隻、その他の艦艇70隻を保有
〇 航空機は、固定翼哨戒機74機、電子・両儀データ収集機10機、哨戒ヘリコプター81機、掃海・輸送ヘリコプター10機を保有
〇 グローバル・ファイヤーパワー(Global Firepower)によれば、海軍力としては米・中・露に次ぐ世界第4位
〇 諸外国からは、Japan Navy(日本海軍)と表現されることがある
〇 海上警備行動の発令によって、はじめて警備行動の権限が与えられる
 
(3) 米海軍・第7艦隊(USN 7F:United States Navy, Seventh Fleet)
〇 1943年3月に設立された米海軍の艦隊のひとつ
〇 担当海域は西太平洋からインド洋にまで及び、名実ともに世界一の海軍力を誇る
〇 日本に駐留する人員は、海兵隊を含めると約20,000人程度
〇 空母1隻のほか、巡洋艦3隻、駆逐艦6隻、強襲揚陸艦1隻、その他の主力艦艇10隻程度を横須賀、佐世保に配備
〇 必要に応じ、ハワイ、米本土等から水上艦艇や潜水艦を期間限定で増派(結果、横須賀・佐世保配備艦艇も含めて、常時50〜70隻が隷下に存在)
〇 航空機は、空母搭載用の多数の戦闘機、電子戦機、早期警戒機、ヘリコプター等を岩国や厚木に、哨戒機を嘉手納や三沢に配備(海兵隊も含めて140機程度が日本に駐留)
〇 日米安全保障条約の第5条は安全保障の中核的な規定であり、日本の施政下にある領域内に対する武力攻撃が発生した場合には、両国が共同して防衛に当たると規定(ただし、尖閣諸島の帰属そのものについては言及していない)

ただ、近年では海軍と沿岸警備隊の中間的な存在である準軍事組織、いわゆるパラミリタリーが台頭して沿岸警備隊の能力を凌駕するなど、これまでの伝統的な切り分けでは対応が難しくなりつつあります。
 
各国は、このような状況に適切に対応するため、沿岸警備隊を増強する一方で、海軍による採証などの法執行能力の拡充を図り、両者の隙間を埋めることで、よりシームレスに対応しようとしています。
 
4 実働部隊の具体的な活動
(1) 日本の実働部隊は十分か

第1回の冒頭で述べたように、日本は6,000を超す島々と世界第6位の広大な海域を擁する海洋立国です。1万2千人規模の海上保安庁だけでは、到底この広大な海域は補いきれません(海保の取り締まり活動は、外国船舶のみならず日本船舶も対象。また海での救助活動も主体的に行っている)。

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更に、海洋安全保障を考える上では、この地図を立体的にとらえる必要があります。今日、日本の実働部隊が監視しなければならないエリア・対象物は、海面上の船舶みならず、海中にある潜水艦、海の上に広がる空域を飛行する航空機、更には宇宙空間を経由して飛来する弾道ミサイルにまで及び、それらを包括的に監視しなくてはならないのです。
 
海上保安庁が対処できるのは、基本的には海面上を航行する軍艦以外の船舶のみであり、それ以外の脅威、例えば軍艦や潜水艦、航空機及び弾道/巡航ミサイル等といった脅威には、海上自衛隊や航空自衛隊が対処することとなります。
 
加えて、日本は中東からのエネルギー資源に頼っていることから、この日本周辺の地図を超えて中東域まで伸びるシーレーンの安全確保も極めて重要です。
 
これら広大な海域や多様化する脅威に適切に対処し、国家と海洋の安全を守り続けるには、現在の海上保安庁及び海上自衛隊の戦力では、決して十分とは言えないのではないでしょうか。

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(2) 平素の警戒監視活動
日本では、海上保安庁が海上における警備・救難活動を主体的に担う一方で、海上自衛隊が有事の際に即応できる実力を保持しながら、同時並行的に平素の警戒監視活動も担っています。
 
海上自衛隊と航空自衛隊は、かれこれ半世紀も前から次のような警戒監視活動を24時間365日、片時も休むことなく実施しているのです。
 
〇 哨戒機による海域の監視(オホーツク海、日本海、東シナ海)
〇 必要に応じ、艦船や哨戒機による特定の海域、船舶、航空機、潜水艦に対する監視
〇 レーダーサイトによる空域の監視
〇 必要に応じ、戦闘機の緊急発進による対領空侵犯措置

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日本周辺における警戒監視活動《防衛省ホームページ》

(3) 臨検(船舶への立入検査)
第2回でお話したとおり、公海上の軍艦には「公海海上警察権」が認められ、疑義のある船舶に対しては例え公海上であろうとも追跡・近接し、一定の条件下(注4) 臨検(船舶への立入検査)を行う権利が認められています(第110条)。
 
(注4) 一定の条件とは、海賊行為、奴隷取引、無許可放送及び無国籍や船籍の乱用を疑うに足る十分な根拠を有している場合(第110条の1)
 
なお、ここでいう「軍艦」には、沿岸警備隊などの政府公船も含まれます(第110条の5)。主要各国では、沿岸警備隊などが一義的に臨検の実施を担う一方で、海軍でも臨検を平素の活動の一部としている(注5) ことが多いのですが、日本では海上自衛隊に権限を与えておらず、海上警備行動の発令や重要影響事態法(旧・周辺事態法)下での船舶検査活動、その他、特措法などの時限立法によって初めて権限が与えられます。
 
(注5) 米国ではVBSS(Visit, Board, Search and Seizureの略)と称し、米海軍・海兵隊及び沿岸警備隊が主体的に行っている
 
いずれにせよ、陸上の警察組織と同じで、ただ何となく怪しいという理由で「ガサ入れ」感覚で臨検を行うことはできません。臨検の実施に際しては、ある程度の容疑を固めた上で、立件を視野にどのように証拠を押さえるか、また、場合によっては当該船舶の乗員をどう制圧し拘束するかなど、かなりの準備とシミュレーションが必要で、そのためには、平素から臨検に携わる要員の知識教育や訓練の積み重ねが不可欠となります。
 
(4) 米海軍の活動
米海軍・第7艦隊も、海上自衛隊と同様に艦船や哨戒機による特定の地域・対象に対する警戒監視を行っています。
 
もっとも、第7艦隊を含む在日米軍は、同盟国・日本に対するコミットメントのためだけではなく、海洋安全保障も含む米国の世界戦略の一環で日本に駐留しているという側面もあるので、米国自身の関心に基づいて行われていますが、情報を日米間で共有することで、日本の海洋安全保障にも貢献していると言えます。
 
また、米海軍は日本の実働部隊ではないので、日米安保条約第5条(日本の施政下にある領域内に対する武力攻撃が発生した場合)に該当しない限り、日本の国内法に対する侵害行為に米海軍が対処することはありませんが、国際水域での国際法違反に対しては、米海軍が先頭に立って秩序の維持に当たっています。
 
(5) 航行の自由作戦(FONOP:Freedom Of Navigation Operation)
その代表的な例が、国際法の遵守や行き過ぎた海洋政策の是正を求める「航行の自由作戦」です。そもそも米海軍は、発足当初から海洋及び航行の自由を死活的に重要な国益と捉え、それを害する行為を排除する活動を継続し、海洋大国アメリカの建設を支えてきたという歴史的背景があります。
 
1970年代から、多くの国家が従来の国際法概念と異なる形で海洋での規制強化を主張するようになると、米国が意図しない内容での新たな国際海洋法制定への懸念と相まって、米国は海洋の自由を守るための具体的施策として航行の自由プログラム(Freedom of Navigation Program)を開始し、外交機関と連携・調整しつつ、米軍が主体的に行うとされました。
 
この活動は、米海軍では航行の自由作戦FONOP:Freedom Of Navigation Operation)と呼ばれています。「作戦」というと、如何にも武力行使を伴う軍事作戦のイメージですが、実際は武力は行使しません。
 
平時、つまり、法的な国際秩序が機能している環境下での実施が前提で、例えばある国が領海やEEZ等を過剰に主張している等、UNCLOS等の国際法に違反している行為に対し、米国として意義を唱え、その主張を認めないとする意思表示するとともに、国際社会にその違法性を訴える意味合いが強いからです。
 
この作戦は、事前通告なくその海域に軍艦又は軍用機を派遣し、自由に通航するという形態で実施されます。また、近年では下図のように南シナ海の岩礁等を埋め立て軍事拠点化を図ろうとする中国に対し実施されることが多い作戦ですが、ロシアに対しピョートル大帝湾で実施したり、米国の同盟国・友好国に対しても同様に行われています(FONOPに係る米国防省年次報告書)。

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南シナ海におけるFONOP実施状況

冷静に考えれば、そもそもUNCLOSの非締約国である米国が、他国に対しUNCLOSへの服従を強要すること自体おかしな話なのですが、実質的に米国は深海底以外の部分ではUNCLOSに従っており、また、米海軍は「海洋統治の象徴的な存在」として国際社会に広く認知されていることが背景にあるからではないでしょうか。
 
なお、米海軍は近年、台湾海峡の通航回数も増加させています(注6) が、これはFONOPというよりは、むしろ中国による台湾侵攻を阻止するための米国としての意思表示といえます。

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(注6) 2020年:13回、2019年:9回、2018年:3回、2017年:5回
  
第3回はここまでとなります。冒頭で、海洋安全保障政策が喫緊の課題となっている背景要因として、近年、海洋特有の脆弱性を巧みに利用して現状変更を試みようとする国家や組織が台頭しつつあるとお話ししました。
 
次回の最終回では、日本周辺での海洋安全保障上の脅威となっている具体的な事例について取り上げ、特に対策が急務となっている尖閣諸島を巡る動向や今後の見通しについてお話していきます。