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江田島と旧海軍兵学校

数十年ぶりに江田島を訪れました。私にとっては懐かしい場所ですが、以前と変わらない風景がそこにありました。今回は、江田島と海軍兵学校についてご紹介します。
 
江田島について
Yの字の形をした江田島は、広島湾に浮かぶ瀬戸内の島のひとつです。江田島市を構成する江田島、東能美島、西能美島は、元々は別々の島でしたが、埋め立てが進んだ現在は陸続きのひとつの島になっています。

広島湾に浮かぶ江田島
(Created by ISSA)

昔、干潮時には浅瀬伝いに跳んで渡ったことから、江田島と能美島(注1) の境目には飛渡瀬(ひとせ)という地名が残っています。

(注1) 2008年には西能美島と東能美島が統一され「能美島」に改められた
 
この辺りは、昔は広島県安芸郡江田島町だったのですが、2004年の合併で江田島市となりました。

しかし、市制に移行してもなお、人口は約20,000人と、中国地方で最も人口が少ない市となっています(米海軍横須賀基地の人口とほぼ同等)。

江田島へのアクセス
江田島に行くには、広島や呉からだと海路が便利ですが、2つの橋を通って陸路で行くこともできます。その場合、最初に通るのが呉と倉橋島に架かる音戸大橋です。

ここは、厳島神社への近道として平清盛が切り拓いた「音戸の瀬戸」で、以来、海上交通の要衝となっています。
 
音戸の瀬戸を望む公園には、1935年から連載された「宮本武蔵」で人気を博した吉川英治の文学碑があります。

左上:音戸大橋(1961年)  
右上:第2音戸大橋(2013年)
下:吉川英治文学記念碑 
(Photo by ISSA)

この碑は、1950年に吉川英治が「新・平家物語」執筆のために音戸の瀬戸を訪れた時の記念碑です。
 
平家物語といえば「諸行無常」や「盛者必衰」ですが、英治は、ここから対岸の清盛塚に向かって「君よ今昔之感如何」(清盛よ、今の戦後・日本を見て、君はどう思うか)と問いかけたそうです。
 
旧大橋だと3層のループをグルグル回って上り下りしないといけないので、目が回りそうになるのですが😵、このようなループになっているのは、橋の下を通過する船のために敢えて橋を高くする必要があるからです。
 
そして、2つ目が倉橋島と能美島に架かる早瀬大橋です。長大トラス橋なので、音戸大橋よりも幾分、大きめの橋になっています。

早瀬大橋(1973年)
(Photo by ISSA)

橋を渡ってしばらく北に走ると、江田内に面した旧・海軍兵学校(現・海上自衛隊)に辿り着きます。
 
ここには、現在、海上自衛隊の幹部候補生学校や第1術科学校がありますが、今もなお、一部は100年以上前に建築された建物が校舎などに使われています。
 
明治期を偲ばせる風情から、NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」や映画「るろうに剣心」などのロケ地にもなりました。
 
旧海軍兵学校の歴史
江戸末期の1864年、幕府の軍艦奉行・勝海舟の発案により、日本初の海軍士官養成機関として神戸海軍操練所が創設されました(しかし、思想が反幕府的であるとして、翌1865年には閉鎖)。

「神戸海軍操練所跡」 - 神戸市中央区新港町
(Photo by ISSA)

その後、1869年に明治新政府が東京・築地に新たに海軍操練所を創設し、1876年には海軍兵学校に改称しました。
 
1888年、繁華街に近い環境が生徒に悪影響を及ぼすということで、海軍兵学校は江田島に移転されます。
 
以来、終戦までの約60年間、名だたる多くの海軍将校を世に送り出し、一時期は、アメリカのアナポリス、イギリスのダートマスと並ぶ世界三大兵学校と称えられ(注2) ました。
 
(注2) 1932年から3年間、海軍兵学校で英語教官を務めたセシル・ブロック(Cecil Bullock)は、「英人の見た海軍兵学校」(原題:Etajima, The Dartmouth of Japan.)の中で、「江田島は日本のポーツマスともいうべき呉と厳島の間にあり・・・(中略)・・・兵学校の景色や瀬戸内海の姿は、こよなく美しいものである」と懐述している
 
幹部候補生学校
戦後は連合軍に接収されていましたが、1956年に日本に返還されると海上自衛隊(1954年に創設)が敷地を引き継ぎ、翌1957年、ここに幹部候補生学校が開校しました。
 
校舎には、1893年に建築された建物(通称、赤レンガ)(注3) を使用し、海上防衛に必要な知識・技能を習得させる教育機関として、幾多の幹部を育てて海上自衛隊の部隊に送り出してきました。
 
(注3) イギリス人建築家が設計し、建物に使われているレンガは、ひとつひとつ紙に包まれてイギリスから軍艦で運ばれたという

海上自衛隊・幹部候補生学校
(Photo by ISSA)

 スマートで 目先が利いて
 几帳面 負けじ魂
 これぞ船乗り
 

これは、旧海軍からの伝統精神を表現する標語の一つであり、千変万化のする海上勤務において、船乗りに必要な心構えを端的に表現したものです。
 
構内にはゴミひとつ落ちておらず、隅々まで整備が行き届いており、その几帳面さが、大変、心地よく感じられます。
 
構内を案内してくれた幹部候補生たちは、海を志すリーダーに相応しい所作が身についていて、大変、頼もしく思いました。

(Photo by ISSA)

写真左上の長い廊下は 「坂の上の雲」のロケで使用され、秋山真之(注4) 役の本木雅弘が、起床ラッパのあと、部屋から飛び出して走るシーンに使われました。
 
(注4) 実際、秋山真之(17期)や広瀬武夫(15期)は、移転後の江田島で海軍兵学校を卒業を迎えている(ただし、その頃は未だ赤レンガは存在していない)
 
写真左下のとおり、安倍さんも現役時代に来校されました。安倍さんほど「自由で開かれたインド太平洋」と、海上防衛が担う役割の重要性を認識されていたリーダーは居なかったと思います。

また、写真右下のように、中庭には軍歌「同期の桜」で「同じ兵学校の庭に咲く…」と歌われた、樹齢100年ともいわれる桜の木が、今もなお実在しています。
 
下記の五省は、海軍兵学校で用いられた五つの訓戒で、1932年、当時の学校長・松下海軍少将が創始したものです。
 
 至誠に悖(もと)るなかりしか 
 言行に恥づるなかりしか
 気力に欠くるなかりしか
 努力に憾(うら)みなかりしか
 不精に亘(わた)るなかりしか
 
幹部候補生たちは、就寝前にこの言葉を唱えることでリーダーにふさわしい人間として成長を促されるのです。
 
大講堂
こちらは、1917年に瀬戸内産の花崗岩で造られた大講堂です。この講堂も、NHKドラマ「坂の上の雲」の撮影に使われました。

大講堂
(Photo by ISSA)

講堂内は床石畳となっていて、2階には来賓席があります。また、天井には舵輪を模ったシャンデリアが吊り下げられています。

大講堂
(Photo by ISSA)

海軍兵学校時代には、天皇の名代として宮様の御臨席を仰ぎ、厳かな雰囲気の中で入校式や卒業式などの儀式が行われたそうです。
 
今でも幹部候補生の卒業式は、こちらで行われています。
 
教育参考館
このギリシャ神殿風の建物は、海軍の歴史と伝統を保存し、学術研鑽の資とすることを目的として、当時の海軍士官らの寄付によって1936年に建てられました。

教育参考館
(Photo by ISSA)

ここは、いわゆる歴史資料館であり、一般にも公開されています。
 
正面から入ると、目の前に赤絨毯を敷かれた真っ白な階段があり、登ったところに東郷平八郎の遺髪が奉納された小部屋があります。
 
そこから右手に進むと、海軍創世記からの多数の展示品や資料が収蔵されています。
 
江戸末期の兵学者・吉田松陰と、軍艦奉行・勝海舟と神戸海軍操練所、そこで海軍について学んだ坂本龍馬…
 
日本海海戦を勝利に導いた戦艦「三笠」と、司令長官・東郷平八郎、そして参謀・秋山真之や、旅順港に散った広瀬武夫の雄姿…
 
世界の三大海軍と称された時代に「ビッグセブン」とうたわれた超弩級・戦艦「長門」と「陸奥」…
 
第2次世界大戦中の連合艦隊司令長官・山本五十六と長官機の最期…
 
戦闘機や回天で特攻した隊員の遺影・遺書の数々…
 
そして、戦後の海軍再建に取り組んだY委員会の顔ぶれと…
 
幕府海軍から、大日本帝国海軍、そして海上自衛隊創設に至る、いわば「日本海軍」の歴史の集大成であり、「海防を志す」とはどういうことか、について一目瞭然で窺い知ることが出来ます。
 
収蔵品の一部は、第1術科学校のホームページからもご覧いただけます。

教育参考館の横には、特殊潜航艇「甲標的」や「海龍」、戦艦「大和」や「長門」の主砲弾、駆逐艦「雪風」(注5) の錨などが展示されています。

左上:特殊潜航艇「甲標的」      
右上:潜水艦の甲板に搭載した特殊潜航艇
左下:特殊潜航艇「海龍」       
右下:駆逐艦「雪風」         
(Photo by ISSA)

(注5) 当時の主力駆逐艦38隻中、唯一終戦まで生き残り、坊ノ岬沖海戦では「大和」生存者を救助した奇跡の駆逐艦である

戦艦陸奥の砲塔
海に面した岸壁には、戦艦「陸奥」の砲塔が展示されています。1936年の近代化改修で取り外した砲塔を、海軍兵学校の教材として移設したものです。

グラウンドの向こうには戦艦「陸奥」の主砲
(Photo by ISSA)

江田島クラブ
正門近くの江田島クラブ1階には、海軍ゆかりのお土産やグッズが販売されており、2階には海上自衛隊の広報ブースがあります。

左上:護衛艦「くらま」 
左下:護衛艦「ひゅうが」
右下:砕氷艦「しらせ」 
(Photo by ISSA)
左上:ミサイル艇1号   
左下:エアクッション艇1号
右上:Mk-46魚雷     
右下:RIM-7 シースパロー 
(Photo by ISSA)
戦艦「大和」に関連する数々の展示品
(Photo by ISSA)

見学ツアーについて
以上、ご紹介した建物や展示品は、誰でも無料で見学することが出来ます(毎年約7万人の見学者が訪れている)。

コロナが終わって予約も要らなくなったので、当日、見学ツアー開始の30分前から正門で受付すれば大丈夫です(車の置き場所もあります)。
 
歴史や海軍が好きな方は、一度は行っとかないと勿体ないですよ😊✨

広島方面へのお帰りは「切串港」からが便利です。瀬戸内の穏やかな海を眺めながら、ちょっとした船旅気分が味わえます。

切串港から宇品港へ向かうフェリーに乗る
サミット会場となったグランドプリンスホテル
(Photo by ISSA)

最後に、海を志す幾多の若者を育んできた江田島に相応しいこの名曲を✨ 

凛として旅立つ 一朶の雲を目指し

幹部候補生学校と、青空に浮かぶ一朶の雲
(Photo by ISSA)

時はめぐり、再び時は訪れた
原点回帰の想いを胸に
凛として旅立つ
 
「志」という名の一朶の雲
それのみを見つめて
坂を上っていこうと思う
 
         by ISSA