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考察:BABYMETALとは何か(まとめ)

2014年3月に日本武道館でBABYMETALのライブを初めて体験して以来,「BABYMETALっていったい何なのだろう」という問題意識が常に頭の片隅にあった。普通に音楽を聴いて楽しみ,ライブに参戦して感動していればそれだけで済むはずなのに,なぜか「BABYMETALとは……」という意識が頭から離れなかった。これほどまでにユニークで,ある種異様ですらある存在を目の当たりにして,何も考えないわけにはいかなかったのだ。

幸いなことに(?)BABYMETALは2021年10月10日に「LEGEND」封印を発表して事実上の活動休止状態になったので,いろいろと考える時間がたっぷりできた。以下は私なりに理解し,たどり着いた「BABYMETALとは何か」という問いに対する答えのようなものである。ただし,これは私独自の考えではなく,今まで10年以上にわたって述べられてきた様々な意見・言説の中から「BABYMETALとは何か」という問いに対する答えとして私自身が納得できるものを拾い上げ,私なりの見解や感想を付け加えたものであることをあらかじめ指摘しておく。

問い:BABYMETALとは何か

答え:
①BABYMETALとは現象である。
②BABYMETALとは絶対に無視できない存在である。
③BABYMETALとは物語である。

1. BABYMETALは現象である

「単なるメタルではない。もはや現象だよ」(アレクサンダー・マイラス/NHK「BABYMETAL革命」,2014年)。

これは当時『METAL HAMMER』誌の編集長だったアレクサンダー・マイラス氏が同番組の中で発したコメントである。BABYMETALの本質をついた秀逸な発言で,古くからのファンにとってはおなじみのものなのだが,日本語で“現象”と表現すると具体的な意味が分かったような分からないような中途半端な感じになってしまうので,実は「ちょっと何言ってるか分かんない」という人も多かったのではないか。

そこで,日本語の“現象”にあたる英語の“phenomenon”の意味(定義)を調べてみたところ,この発言の意味することが実に具体的で分かりやすくなった。

“phenomemon”の意味はこうだ(ロングマン現代英英辞典)。

1. something that happens or exists in society, science, or nature, especially something that is studied because it is difficult to understand
2. something or someone that is very unusual because of a rare quality or ability that they have

日本語にすると次のようになる。

1. 社会や科学あるいは自然の中で起こる,あるいは存在するもので,特に理解が困難なために研究されているもの。
2.  稀有な性質や能力を持っているため,非常に珍しいもの,または人。

まさにBABYMETALのことではないか!

BABYMETALというアーティストは世界に突然出現した感があるので,“社会に存在する”というよりは“起こった”=“発生した”という表現の方がしっくりくる。そしてもちろん,“なんじゃこりゃ!?”に象徴される,そのあまりに強い個性と異質性。それ故多くの人はBABYMETALを容易には理解できず,誰もが彼女たちを研究したくなる。ひと言で言ってしまえば,BABYMETALは興味をひいてやまないレアな“珍獣”のようなものだ。

世界に打って出たBABYMETALは,その際立つ個性と完成度の高いパフォーマンス,そして作り込まれた独特の世界観故に大きな注目を集めた。メタル・ファンのみならず,その他のジャンルを含めた音楽ファンの多くがBABYMETALについて語り,彼女たちから目が離せなくなった。

それだけであれば,BABYMETALは単なる“突出したメタル・バンド”と表現されるにとどまっただろう。

しかしBABYMETAL旋風の吸引力はオーディエンスというコミュニティのみならず,音楽関係者や同業ミュージシャンをも巻き込んでいき,そのうねりは徐々に巨大化して音楽シーンに大きな衝撃を与えることとなった。そして多くの人たちの眼前に突きつけられたのは,「BABYMETALとはいったい何なんだ」という問いである。誰もがそのことを考えざるを得ず,持論を展開して議論するようになり,そして論争が勃発した。その象徴とも言えるテーマが,「BABYMETALはメタルか否か」というものである。BABYMETALが「もはや現象」であることが,こうして振り返るとよく分かる。

補足:BABYMETALはBABYMETAL

結局のところ「BABYMETALはアイドルなのかメタルなのか」という活動初期の論争については,SU-METAL自身が「BABYMETALってアイドルでもメタルでもない,BABYMETALだなってずっと思ってる」」と発言したことにより,事実上終止符が打たれた(NHK「BABYMETAL現象」,2015年)。

とはいえ,BABYMETAL結成当初の「アイドルとメタルの融合」という売り出し方故に,特にヘヴィ・メタル・ファンの側から言われてきた「BABYMETALはメタルなのか否か」という問題は,おそらく消滅することはないだろう。何がメタルで何がメタルではないかなどということは個人の嗜好の問題なので,本来明確に定義づけなどできるはずがない(そしてそもそも定義づけする意味がない)。それでもメタル原理主義者たちはその定義にこだわり続けるから,「BABYMETALはメタルか否か」という問題は一定の周期で蒸し返されることになる。

くり返しになるが,「BABYMETALはアイドルなのかメタルなのか」にしろ「BABYMETALはメタルなのか」にしろ,そのような不毛な論争にはすでに終止符が打たれている。しかも当の本人たちによって。SU-METALがそう言っているのだから,BABYMETALはアイドルでもメタルでもなくて,単なるBABYMETALなのだ。

2. BABYMETALは絶対に無視できない

「聴いたら好きか嫌いしかない。でも絶対に無視できない」(マーティ・フリードマン/NHK-BS「アジア・ミュージック・ネットワーク」,2014年)。

ヘヴィ・メタルという音楽にダンス(振り付け)を導入するという突拍子もない試み(アイドルとメタルの融合)は,異文化の衝突以外の何ものでもなかった。しかもそのクオリティはメタル視点から見てもダンスという視点から見ても図抜けて高いという徹底ぶり。メタルという範疇にとどまらない,さまざまな音楽ジャンルの要素を躊躇なく取り込んで独自のスタイルへと昇華させるセンスは見事と言う他なく,ダンスはいわゆるアイドル的な可愛らしさを維持しつつも実態は極めてハードで,武道の演舞や格闘技にも通じるパワー,スピード,そして美しさを体現している。

BABYMETALの「異種格闘技戦」的なスタイルは,音楽(メタルに限らず)やアイドルファンの間で当然賛否両論を巻き起こした。音楽にしろダンスにしろ,どちらか一方が中途半端だったとしたら,BABYMETALはイロモノ扱いされて終わっていたに違いない。しかし実際には,BABYMETALが生み出す音楽は紛れもなく“本物”で,彼女たちのパフォーマンスは空前絶後にして唯一無二のものだった。だから「ケチを付けて,はい終わり」にはできないのだ。

あまりにも尖ったその個性ゆえ,BABYMETALを初めて体験した人の反応は好きか嫌いかの真っ二つに分かれることが多い。しかもその反応は両極端で,音楽の世界に突然変異のように出現した存在に対して拒絶反応を示すか,新たな地平を切り拓く存在として大絶賛するかのどちらかである。良くも悪くも,誰もがBABYMETALについてひと言云いたくなる。一度でもBABYMETALを体験したら,何も見ず,何も聞かなかったかのようにスルーすることはできないのだ。

3. 「封印」以前の物語性

BABYMETALには様々な物語が内包されている。そのパフォーマンスや活動にどのような物語性を見出すかは,見る側の体験や嗜好に大きく左右されるだろう。しかし誰もが共感する最大の物語は,こんな感じなのではないだろうか。

「ヘヴィ・メタルとは無縁だった10代の3人の少女たちが,半ば無理やり仕事としてメタルっぽいことをやらされた。しかしそれを続けていくうちに彼女たちはメタルを理解し,メタルを愛するようになり,メタルによって自分たちを表現することが大好きになった。そして今や唯一無二の個性を発揮するようなり,世界の共通言語としてのメタルによって世界中のメタル・ファンを虜にするまでになった――」

要するに「親がもともとメタル好きで,小さな頃から自然とメタルに接していた」という類のエピソードのエクストリーム版(あるいは特殊事例)である。もっとも,「仕事でメタルを演るようになって,メタルのフェスにたくさん出ていたらメタルを好きになっていた」というわけで,メタルを“聴く側”ではなくて“演る側”というのが極めて異例ではあるが……。

いずれにしても,アウェイな状況を真正面から受け止めてバッサバッサと切り返し,「やらされていたBABYMETAL」を己の血肉と化し,やがては「BABYMETALとしての自我・自覚・責任」を背負って立つまでに成長するという物語は,メタル視点から見てもアイドル視点から見ても非常にエモいことは間違いない。しかもこの物語にはシナリオがあらかじめ用意されていたわけではなく,自然の成り行きとしてそうなったのだから,なおいっそう人を魅了してやまない。このような誰もが予想だにしなかった成長過程=“SU-METALとMOAMETALの意識の変容”こそ,BABYMETALが有している最も魅力的な物語なのだと思う。

そのようにして今や自らの足でメタルのフィールドにしっかりと立つようになったSU-METALとMOAMETALだが,メタルに対する向き合い方には違いがある点が興味深い。

SU-METALのメタル愛の原点は音楽体験にある。2013年に大阪で開かれた「サマーソニック」でMETALLICAのパフォーマンスに激しく心を揺さぶられたというエピソードは有名である(NHK「BABYMETAL革命」,2016年)。「音楽は耳で聴くものっていう常識が覆された」(『Young Guitar』2016年5月号)とまで言っており,SU-METALの発言からは彼女がヘヴィ・メタルという音楽の魅力にどんどんハマっていく様子が強くうかがえる。

MOAMETALもMETALLICAのライブを観て「心に地震が起きた」「よりメタルが好きになった」(TBS「めざましテレビ」,2016年)と発言しているが,SU-METALのようにメタルを追求して表現することが目的ではなく,メタルによって世界中の人たちを笑顔にすることが目的である点が少し違っている。世界に愛と笑顔を届けるための手段が,大好きなメタルという音楽なのだ。

受動から能動への転換。「わたし」がBABYMETALをやることの意味,自分たちがBABYMETALであることの意義とメタルであることの理由――そのようなことを自我の芽生えとともに自問自答し始め,その答えを自分なりに見出そうとする物語。メタルとは縁も所縁もなかった少女たちが,メタルを己のアイデンティティとして取り込み,消化して表現するようになるという成長物語。BABYMETALというのは,最初は何者でもなかった少女がたちが,新たなメタルの体現者になるまでのストーリーなのだ。

※この記事はBloggerに3回にわたって投稿されたものを1つにまとめたものである。


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