見出し画像

参戦できなかったBABYMETAL「LEGEND - S - 洗礼の義 -」について思ったこと

2017年12月9日 Text by Kotaro MASUDA a.k.a. TAROO-METAL

12月2日,3日と広島グリーンアリーナで行われたBABYMETALのライブ「LEGEND - S - 洗礼の儀」。今回は残念ながらチケットを入手できなかったので不参戦だったが,TwitterをはじめとするSNSのおかげで,後世に語りづがれるであろう歴史的なライブの様子をかなり詳細に知ることができた。

そこで今回は,SNSで寄せられた様々な情報を目の当たりにして自分なりに感じた「洗礼の儀」の感想をつづってみた。繰り返しになるが,今回私はライブに参戦していない。したがってこれは結局,伝聞情報をもとにした感想だ。いろいろと事実とは異なる点があるかもしれないので,その点を踏まえてお読みいただければ幸いである。

画像1

■YUIMETALの不在
開催当日の15時すぎに突然発表されたまさかのニュース――「YUIMETAL体調不良により出演見送り」。日本武道館公演(2014年)の”ヘドバンギャー!!”でステージからYUIMETALが落下し,そのままSU-METALとMOAMETALの2人で1曲やり切ったという過去はあるが,2日にわたる公演を最初から最後まで2人でやるというのは,もちろんBABYMETAL史上初めてのこと。これは相当な試練だ。

真面目なYUIMETALのことだから,出演見送りはものすごく悔しいかったはず。その悔しさをぶつける機会は必ずあると思うので,その時には美しくも鬼気迫る渾身のパフォーマンが見られることを期待したい。それにしても,ただでさえ貴重な「洗礼の儀」はBABYMETALが片翼をもがれたことによってますますレアなライブになった。逆境こそ BABYMETALの真骨頂。とりわけSU-METALはこのような状況下では「覚醒」する可能性が高いと予想したのだが,実際にはSU-METAL以上に「ふたりでひとり」のMOAMETALが「覚醒」したようだ。YUIMETALの不在を補って余りある凄まじいパフォーマンスだったと聞く。

3人が2人になったら演出だって大幅な変更が必要になるであろうことは想像に難くない。限られた時間の中での修正作業は相当リスキーなはず。それでも公演を延期せずに「やる」と決断した3人と関係者の方々の勇気は賞賛に値する。中止だってありえた非常事態なのだ。参戦するファンにとっては大きな借りができたわけだ。

終演後の感想ツイートを見ているかぎりでは,どうやらYUIMETALの不在を感じさせない迫力満点のエンターテインメントが展開されたようだ。一方で「そこにいない」ことがかえってYUIMETALの存在感を際立たせた側面もあったのではないかとも思う。途中からYUIMETALを欠いたままパフォーマンスが続行された,あの日本武道館での"ヘドバンギャー!!"の違和感が最初から最後まで続くなど,およそ想像できない。

■故郷ヒロシマで凱旋公演を開催する意味
いわゆる聖誕祭を故郷で開催と聞くと多くの人は普通「その人のためのイベント」と考える。終結したファンはライブというイベントを通じてアーティストの誕生日を祝い,楽しいひと時を共有するのだ。しかし今回の「洗礼の儀」では,多くの人がSU-METALの成人を祝うとともに「ヒロシマ」についても思いを馳せたのではないか。「洗礼の儀」が単なる聖誕祭にとどまらない理由は,そこにある。

「洗礼の儀」は,SU-METALの20歳を祝うという通常の聖誕祭の枠組みを超えて,地球上で唯一の被爆国としての歴史をファンが記憶に刻み,後世に伝承するきっかけを広めるという稀有なイベントになったと思う。そのような雰囲気がファンの間で自然に醸成されたことが素晴らしいし,それは何より「メタルで世界を一つにする」というメタルレジスタンスの目的と「THE ONE」の精神,つまりBABYMETALの存在意義にかなっていると思う。

ヒロシマの地に生を受けた中元すず香が20歳の誕生月にBABYMETALのSU-METALとして故郷で凱旋公演を開くという,あまりにできすぎたストーリー。これはもはや偶然ではなく必然で,キツネ様によって20年前に定められた運命だったのだと思えてならない。

■"NO RAIN, NO RAINBOW"と「被曝アオギリ」
「洗礼の儀」ではNRNRの前に流された紙芝居に「被曝アオギリ」のエピソードが挟まれたと聞く。原爆の爆風と熱線により4本のうち1本が焼失。しかし残された3本は翌年の春に奇跡的に芽を吹いた。「死からの生」「絶望の中の希望」――壊滅したヒロシマの街にあって絶望に染まった人々の心に希望と勇気を与えた一筋の光。その象徴が「被爆アオギリ」だ。

ライブの紙芝居を直接見たわけではないので「被爆アオギリ」のエピソードがどこまで直接的かつ具体的に盛り込まれていたのかは,私には分からない。しかしそれがどの程度触れられていたにせよ,そのような趣旨の社会性を伴うメッセージを演出に取り入れること自体がそもそも快挙と言っていい。この手の社会的メッセージを世に放つことを,特に日本のアーティストは避けがちだ。下手をすればいらぬ批判を招きかねないからだ。それを承知の上でリスクをおかして「やる」と決断したKOBAMETALはじめ関係者一同の勇気と心意気には感服するしかない。

そのような流れの中でSU-METALが歌うNRNRは,どれほどの感動をその場にいた人たちの心に呼び起こしたことだろう。原爆を投下されて壊滅したヒロシマの街。復興を遂げた現在の街の様子を見れば,確かに「絶望さえも光になる」のだと実感せざるをえない。広島に生まれた,今月20歳になる歌姫がそう歌うことの説得力の凄まじさよ……。

BABYMETALファンにとって重要な意味がある場所や物はたくさんあるが,これからはアオギリもその一つになる可能性が高い。「被爆アオギリ」の物語とその意味を広く世に知らしめる責任を,我々BABYMETALファンはSU-METALから託されたのかもしれない。

※アメブロからの転載です。

いいね!と思ったら投げ銭感覚でサポートを!よろしくお願いします🔥